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竹千代と七人の家臣は賤機山を訪れた。
今川館の北西にこの賤機山があった。山頂には詰め城が建てられていた。
もしも敵が駿府に攻めてきた時、平地の今川館では戦えないので、義元はこの城に籠る。今川家の最終防衛拠点となる城だった。
この重要な山の麓に臨済寺があった。攻め込む時はまずこの寺を落とさないといけなかった。
来客の長い列が門の外まで続いていた。武士に公家に商人、百姓。色々な仕事の人が何人もいた。皆手土産を持っていた。
一行は手ぶらで一番後ろに並んだ。
雪斎は寺の書院で来客に対応した。
来客は十分程度しか会えなかったが、要件は全て聞き入れられた。雪斎は彼らに頼りになる人物を紹介し、陳情を受け入れた。
夜になった。寺に明かりが灯された。
今日の来客は全て終わった。最後の客の商人は何度も感謝して書院を退室した。
雪斎はお茶を一口飲んだ。
この後は夜中まで本を読み、朝は五時に起きて勤行。午前中は政務をこなし、午後は来客。飯はその合間合間に取った。
雪斎は替えの効かない人材だった。三国志の諸葛亮のように国の全てを見ていた。
若手はまだ育ち切っていなかった。魏延っぽい岡部もいたし、馬岱っぽい松井もいた。朝比奈泰能の息子の泰朝も王平っぽくなってくれるだろう。しかし軍事、外交、内政全てを見られる人材はまだ出ていなかった。
若い僧侶がやってきた。
「予定にない来客です。
松平竹千代様。論語先進篇の解釈に関して疑問がある。先生のお考えを是非お聞きしたいとの事です。
お帰り願いましょうか?」
「いや会おう。饅頭をもらっていたな。あれを出しなさい。それと書庫から貞観政要の求諫篇を持ってきなさい。お土産に持たせてやろう」
雪斎と竹千代は書院で面会した。
雪斎はまだ乳歯の子供を丁重に扱った。席は床の間の上席に座らせた。お茶と饅頭は寺で一番立派な黄瀬戸の茶碗で出した。話す時は敬語を使った。
竹千代は疑問を述べた。
雪斎は最後まで黙って聞いた後、自分の見解を述べた。
「税が軽いから優れた政治で民が豊か、という考えが間違っています。
国の大きさに見合った税の大きさがあります。小さな国で重たい税を取る事。大きな国で軽い税を取る事。これが一番悪い政治です。
孔子の時代は皆貧乏でした。税金を沢山取れば餓死するので、孔子は税金が軽い方がいいと言ったのです。
ですが今は違います。金持ちは沢山いますし、貧乏人もまあ、昔に比べれば大分減りました。大きな税金を取っても餓死する人はいません」
雪斎は饅頭を一口食べて言った。
「国が大きいのに税金が軽いと皆困ります。何かあっても国は助けてくれません。貧乏なので助ける力がないのです。
街に悪人がいても国は取り締まりません。訴訟を持ち込んでも裁いてくれません。洪水や凶作が起きても助けてくれませんし、他国が攻め込んできてもただ見ているだけです。
北条をご覧なさい。彼らは領民の人気取りで税金をやたら低くしました。このため武蔵という日本で最も豊かな国を治めているのに、北関東や千葉のどうしようもない大名にさえ勝てません。
北条はいずれ大きな災害か戦争で滅びるでしょう。彼らにそれを乗り越えるだけの力はありません。領民はいずれ経済の分からない馬鹿を領主に担いだ報いを受けるでしょう。国を滅ぼす以上の悪政はありませんよ。
可哀そうなのは北条の後に関東を治める大名です。相当苦労するでしょうね」
「今川の税の大きさは適切でしょうか」
「はい。今の税制にしてから商業が栄えて人口が増えました。減るなら軽くしますが。状況に合わせて柔軟に変えていく。これが良い政治です。
孔子の話にはいい所も悪い所もあります。いい所は取って、悪い所は捨てるべきです。これが良い武将です」
竹千代は頷いた。
雪斎は漢文の本を竹千代に譲った。
「今日はこれを差し上げましょう。中国史上随一の名君とされる唐太宗の言葉をまとめた書物です。今後も勉強に励んでください」
竹千代は本を開いた。白文の他に完璧な書き下し文、振り仮名付きの口語訳まで付いていた。
「こんな大事な物。もらってよろしいのでしょうか」
「はい。書庫で一人寂しくしているよりは、あなたの元にいた方がこの本も幸せでしょう」
竹千代は畳に小さな両手を付いて土下座した。
「先生、ありがとうございます」
「頭を上げてください。
勉強がお好きなのですね。とても良い事です」
「(頭を上げて)早く立派になって岡崎に帰りたいのです。皆私の帰りを待ってくれていますから」
竹千代は瞳を輝かせて答えた。
雪斎は優しく諭した。
「あなたには足りない物が沢山あります。金もない。力もない。軍隊もない。馬印(軍のシンボルマーク)さえ持っていないのに慌てて帰っても家を滅ぼすだけです。
今はゆっくり力を付けていくべきでしょう」
竹千代はシュンとなった。
「はい……」
「岡崎の御祖母が太守様にあなたと暮らしたいと頼んでいるそうです。私からも頼みましょう。
まずは御祖母と暮らす屋敷を岡崎と思い、立派に治めてご覧なさい。鷹の糞一つ始末出来ないようでは、とてもとても立派な武将とは言えませんよ」
この後、竹千代は岡崎から来た祖母と屋敷で暮らすようになる。家族と暮らす事で精神的に安定したのか、乱暴なエピソード(遊びの最中に相手を蹴ったとか、寺の境内で小鳥を取って叱られたとか)は見られなくなる。逆に勇敢さや誠実さ、聡明さを感じさせるエピソードが増えていく。
子供の日のチャンバラごっこを見物して、人数が少ない方が勝つと予想し、見事に的中させた。
人からプレゼントされた立派なインコを「真似ばかりで自分の声がないから駄目だ」と丁重に送り返した。
増善寺(義元の父、氏親の菩提寺)の住職に「父の墓参りに行けなくて悲しい。一度でいいから岡崎に帰りたい」と相談して慰められた。一説には、住職は竹千代を哀れに思い、密かに岡崎に送って父の墓参りをさせたという。
一方、安祥城を手に入れた義元は民法改正に着手した。
義元は条文の中で高らかに宣言する。
―「駿河、遠江、三河の秩序を維持しているのは今川である。足利幕府ではない。よって三国の寺社、商人、豪族に対して過去幕府が保証した権利は全て廃止する」
三河では検地をきっかけに大規模な反乱が発生する。「三河忿劇」である。