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2-7

 十一月末、今川軍は駿府に帰還した。住民は凱旋軍を盛大に出迎えた。

 季節は秋から冬に変わろうとしていた。


 雪斎は今川館の大広間で義元に戦果を報告した。

 二人は一応禅寺の出身である。禅寺には大陸から点心が伝わっていた。二人は暖かい烏龍茶や肉まん、抜糸白薯を食べながら話を進めた。


 今回の戦いで雪斎は三河と知多半島を奪った。

 三河の石高が三十万石。商業先進地域の知多半島が二十五万石。これまで、今川家の領土は駿河十五万石、遠江二十五万石の二か国計四十万石だった。今回の戦いで石高は倍増えて九十五万石になった。

 この時、百万越えの大名は京都の三好家、山口の大内家、小田原の北条家の三家しかなかった。今川家はランク四位の大大名に急成長した。

 しかし三河も水野もすぐ裏切る危険があった。


 雪斎の報告が終わった。義元は今後の方針を語った。


「先生のおかげで望外の大勝利を得る事が出来ました。三河、知多にはまだまだ抵抗勢力が存在しています。これらをしっかり潰しつつ、北上して織田方を圧迫していきたい。

 土地は取るより治める方が難しいものです。特に甘やかされた連中ばかり住んでる土地はそうです。新たな土地に合わせて新たな法律の改訂を考えています」


「今回、俺達は三河を盗み取った訳だろう」


「それはあんまりな言い方です」


「色々言い訳は出来る。出来るように徹底的に正しく行動したからな。でも実際としては人の国を盗んだ。これをどう言い訳するかだ。

 朝廷から三河守の官位をもらうのはどうだ?吉良家に替わる正当な支配者として認めてもらう」


「使えるものは何でも使いましょう。しかしチンピラに朝廷の威光が通じるかどうか。

 今必要なのは言い訳ではなく、金と力と法律かもしれません。俺は何年かかろうとしっかり領国化していく考えです」


 十一月末、松平竹千代は岡崎城を出発した。重臣達は家臣の息子達七人、兵士百人を彼に付けた。城を出る時、家臣、領民は泣いて別れを惜しんだ。


 数日後、竹千代一行は駿府に到着した。

 義元は駿府の中心部に新築の大きな屋敷を与えた。敷地内には武道場や馬術馬、水泳も出来る大きな池もあった。

 屋敷の右隣は重臣の孕石元泰の家だった。左隣は北条家から人質に来た北条氏規の家だった。

 義元は竹千代達に何不自由ない生活をさせた。一流の学者や武道家を付けて最高の教育を受けさせた。東北の立派な馬や鷹も送った。


 開けて天文十九年正月。竹千代は今川家の新年会に参加した。

 重臣達は着飾って今川館に集まり、義元に新年の挨拶をした。

 その途中、竹千代は小便がしたくなった。重臣達が居並ぶ中、彼は一人で部屋を抜け出すと、庭に降りて悠々と立小便をしたという。


 竹千代は駿府で毎日勉強と運動に明け暮れた。家臣と三食一緒に飯を食い、夜は一緒に風呂に入った。休みの日には馬に乗って富士山を見に行き、御殿場で鷹狩りをした。

 鷹狩と読書は生涯を通じての趣味になった。


 駿府の人々は竹千代に優しかった。街を歩いてるだけで年配の女性はお菓子をくれたし、知らない男性からは励まされた。

 同じ境遇で同年代の北条氏規とは仲良くなった。

 冷たい対応をしてくるのは孕石元泰だけだった。しかしこれは十割竹千代のせいだった。

 竹千代がもらった鷹は孕石家がお気に入りだった。鷹は目を離すとすぐに孕石家の庭に飛んでいって、糞や食いカス(犬の肉や小鳥の死骸)を落としたりした。その都度竹千代は孕石家を訪れて謝罪した。何度も来るので最後は「お前の顔はもう見たくない!」と激怒して会ってくれなくなった。


 竹千代は運動神経が良かった。弓、槍、鉄砲、乗馬に水泳何でも出来た。特に剣術は誰よりも上達した。

 勉強も好きだった。そのために授業内容を物足りなく思う事が何度もあった。


 ある日の午前、教師役の僧侶が屋敷にやってきて、竹千代達に論語を読み聞かせた。

 論語は白文だった。漢字が書かれているだけで読み仮名も付いていなかった。


 孔子の弟子に冉求ゼンキュウという男がいた。

 冉求は小国の大臣となり、民に重税を課した。孔子は冉求はもう弟子でもない、軍隊を出して殺してしまえ、と激怒した。

 冉求は反論した。先生の仰る理想はもっともですが、私にはその理想を実現する力がないのです。

 孔子は激怒した。やる前から失敗する事を考える馬鹿がいるか。


 僧侶は説明した。


「重税は悪政の最たるものである。王者たるもの、税金は出来るだけ軽くしなければならない。理想は無税だ。

 冉求は理想を実現する前から諦めた。そればかりか、重い税金をかけて領民を苦しめたのだ」


 家康は挙手して尋ねた。


「今川の税金は重たいと聞きます。逆に北条の税金は軽いといいます。それでは先生、今川は悪い国で北条はいい国なのでしょうか?」


 僧侶はしどろもどろになって弁解した。


「重い、軽いではない。王者か、そうでないかなのだ。今川の領民を見なさい。皆喜んで貢税している。主と領民の間に確かな信頼があるのだ。これこそ王者の政治である!」


 当時の漢文レベルは低かった。関東に足利学校という幕府の最高学府があったのだが、そこでさえ「殺生」を「セッショウ」ではなく「コロシイカス」と読んでいるレベルだった。まともに漢籍を口語訳出来る人間は、京都五山のごく僅かなインテリ僧だけだった。その内の一人が雪斎だった。

 なお、有名な孫子も読める人間はほとんどいなかった。当時は兵書と言えば六韜、三略(孫子に比べると読みやすい漢文だった)で、越前の朝倉宗滴は京都から学者を呼んで講義させていた。武田信玄は京都五山で学んだ高僧から孫子を学んだと言われる。


 授業が終わった。僧侶は座敷を退室した。

 竹千代は立ち上がった。


「午後の勉強は休みにする。臨済寺に行って話を聞いてこよう」


 臨済寺は雪斎が住職を務める寺である。竹千代は小便がしたければ義元の前でもするし、知りたかったらアポなしで雪斎に会いに行く少年だった。

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