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11-16

 熱田から鳴海に至る沿岸部の近道は海に沈んでいた。敵の読み通りだったが、織田軍は陸地寄りの遠回りの道を強引に急いだ。


 織田軍は鳴海城の北の丹下砦に到着した。砦の守備隊は歓声を上げた。

 鷲津、丸根砦は簡単に落ちてしまった。次は自分達だと不安になっている所に、主君の精鋭部隊がやってきた。喜ぶのも当然だった。


 織田軍は丹下砦の前を素通りして、鳴海城の東の善照寺砦に移動した。

 善照寺砦は丘の頂上の寺を軍事用に改修した砦である。境内の四隅には櫓が建っていた。周囲には空堀が掘られていた。

 砦には包囲部隊の主力として千五百の兵が配備されていた。入りきらない部隊は麓にバリケードと兵舎を築いて立て籠もっていた。幾つかの部隊は大高城からの北上攻撃に備えて、南の中島砦に派遣されていた。

 指揮官は佐久間信盛。彼が鳴海包囲部隊のトップだった。


 織田軍は善照寺砦に入った。守備兵は熱烈に歓迎した。

 首脳部は一旦本堂に入って状況確認を行った。部隊は麓でしばらく休んだ。


 信長の登場で味方部隊は浮足立った。


 鳴海城の南に中島砦があった。大高城周辺の砦が失われた今、ここが織田軍の最前線だった。

 善照寺砦に林立する黄色い旗を見て、中島砦の守備隊は奮い立った。彼らは「えい、えい、おう」と鬨の声を上げた。

 南の鷲津、丸根砦の生き残りは中島砦の救護所に収容されていた。

 閉じ切った救護所の中から、負傷者の喜びの声や雄叫びが聞こえた。外の兵士と合わせて必死に声を上げる負傷者もいた。


 北の善照寺砦から、中島砦に佐々政次の部隊三百が派遣されていた。

 政次は古参の猛将である。パワフルな金剛杵形兜を被っていた。

 政次は周りの高ぶりを見て涙を流した。彼は部隊に呼びかけた。


「これは天下分け目の合戦である!私は命を捨てて今川軍に攻めかかり、勝利のきっかけを作りたいと思う!我はと思う者!付いてこい!」


 政次は馬に乗って砦から出撃した。千秋季忠の部隊が雄叫びを上げて政次を追った。他の部隊も慌てて続いた。


 サッカーの試合で劣勢になると、監督の戦術を無視してドリブル突撃する選手が現れる。政次も個の力で状況を打開しようとした。

 現代の監督なら舌打ちして二度と使わないが、戦国時代なら武士の鑑として絶賛された。


 中島砦の西側には伊勢湾が、東側には丘陵地帯が広がっていた。

 砦の南側には川が流れていた。この川を渡ると東海道だった。

 佐々隊は川を渡って東海道に入った。

 道幅は二メートル。左右には雑木林が広がっていた。

 佐々隊はこの細い道を一列縦隊で東に進んだ。

 こちらの道沿いにも見物人が大勢出ていた。彼らは「頑張れ」、「負けるな」と応援した。


 中島砦から南に出る動きは諏訪山、漆山の監視所からチェック出来た。ただ、沿道に集まった観客で実数三百より多く見えた。また、砦から東の丘陵地帯に入る動きは監視所からは分からなかった。

 監視所は鉦を鳴らして一帯に危険を知らせた。また大高城に救援要請を送った。彼らは佐々隊がこちらに攻めてきたと思った。

 朝比奈隊は諏訪山、漆山方面に移動を始めた。

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