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永禄三年五月五日夕方、織田軍七百は船で平坂入江を北に進んでいた。
兵士は黒の地味な鎧を着ていた。
指揮官は織田信長。彼は金色の派手な鎧、日の丸金箔押紺糸威二枚胴具足を着ていた。
目的地に近付いてきた。部隊は戦闘準備を整えた。
槍の穂先の鞘を取った。銃の火縄に火を点けた。まだ明るいのに松明を灯した。
船は河原に寄せた。部隊は船から降りて河原を走り抜けた。
足利一族の名門、吉良家は三河南部を治めていた。しかし今は分家筋の今川家に吸収されていた。
平坂入江は旧吉良領内にある。入江の北には実相寺という寺が建っていた。
上陸した織田軍は実相寺の近くで二手に分かれた。
信長隊四百は正門に向かった。
柴田勝家隊三百は裏門に向かった。
信長隊は正門から境内に突入した。
実相寺は吉良家の菩提寺である。広い敷地に沢山のお堂が建っていた。
境内にいた僧侶は塀をよじ登って逃げ出した。お堂にいた僧侶は建物から飛び出して、裏門の方に逃げていった。
信長は部隊に指示した。
「寺に火を点けろ。ハゲは僧侶だから逃がせ。髪のある奴は武士だから殺せ。剃り跡もよく見ろ。青々とした奴は剃ったばかりの武士だから殺せ」
部隊はお堂に油をかけて松明を投げ込んだ。お堂は盛大に炎上した。火は周りの林にも飛び火した。
柴田隊は裏門を固めていた。
僧侶数十人が慌てて逃げてきた。武士は一人もいなかった。
勝家は部隊に命じた。
「道を開けろ。通せ」
部隊は二つに分かれて道を開けた。僧侶は部隊の真ん中を通って逃げていった。
寺の炎は消しようがないほど燃え上がった。織田軍は敵が来る前に現場を立ち去った。
織田軍は船に乗って平坂入江を南に進んだ。入江の先には三河湾があった。
背後の方角から黒い煙がもくもくと上がっていた。
この時、今川義元は大部隊を本拠地の駿府に集結させていた。そんな中、織田軍は船で伊勢湾を南下して知多半島を回り、三河湾に入って寺を焼き討ちし、一撃離脱でまた伊勢湾方面に戻っていった。
つまり織田軍は緊急事態の最中、敵領土深くまで侵入して寺を焼き討ちした事になる。
この二か月前、織田軍は義元が吉良領を訪れる事を掴み、海上から奇襲をかけた。しかし悪天候もあって作戦は失敗に終わった。
おそらく、信長は五日に義元が実相寺に滞在するという情報を何らかのルートで掴んだと思われる。




