一体何の恨みがあるというのか
一同、何とも言えない微妙な表情をしていた。
それはそうだろう。自分が知ってるはずのゲームの世界に転生したと思ったら、同じような立場の人間が他にもいるだけならともかく、何故かゲームの内容が異なっているのだ。
前世で暮らしていた日本とよく似たという意味で異世界らしさはあまりなかったけれど、それでも前世でゲームというある意味虚構の存在だったはずのそこに生まれ落ちた時点で異世界転生と自分の中で折り合いをつけていたというのに、並行世界の存在までは考慮していなかった。
そこはさておくとしても。
睦月と瑛里が語ったゲームの内容から、確かに一歩間違うと自分たちはとんでもなく酷い目に遭うという事だけは確かで。
けれど、その酷い目に遭わせてくる存在は、睦月の話であればある種の悪霊みたいなもので、瑛里の話であれば化物である。要するに、自分たち以外の存在なのだ。
だがしかし、伊織の話だと自分たちを酷い目に遭わせようとしてくる存在は、そういった外部の人外などではなく今この場にいる者たちだ。
とはいえ、少なくともたった今伊織が言った内容通りの展開になるかと問われれば――全員が揃って首を横に振るだろう。
「なんていうか、伊織さんが割と能天気にしてるなーと思ったのは思ったんっすけど、一歩間違ってたら発狂待った無しじゃねーっすか」
ずごごご、とストローでコップの中の液体を限界まで吸い込んで飲み込んだ蓮が呆れたように呟く。
「そうねぇ、もし学校が神薙高等学校じゃなくて神薙学園だったら、わたしきっと呼び出しに出てこられたかどうかわからないわ」
笑って言っているが、実際にもし伊織の知るゲームの世界そのものであったなら、きっと呼び出しには応じなかっただろう。
「それでも最初はね、ちょっと警戒してたのよ。これでも。だって、学校の名前がちょっと違うからって言っても、いざ呼び出された所に行ってみたら……わたしの知ってるゲームでわたしの事を殺そうとした人がいるんだもの。勿論そんな事にはならないように行動してきたはずだから大丈夫、って思ってたけど、万が一ってこともあるでしょう? でも、皆もわたしと同じように転生してきたっていうから、あぁ、それじゃあ大丈夫かなって」
「訂正するっす。能天気なんじゃなくて空元気だったんっすね」
「そうね。でも、逃げたりしないであの場所に行って良かったって思えるわ。じゃなかったら、わたしきっと夏休みの間も二学期が始まってもきっと内心でびくびくして脅えて――学園祭の準備期間になって、それが終わってそこで本当に安心できたかどうかもわからないもの。
今回何もなくてもどこか違う所で別のイベントが起こるんじゃないか、って疑って疑って、一生何かに脅えて生きていったかもしれない」
「狙ってくるのが化物とかならまだしも、登場人物ってなるとねぇ……ゲームの展開が始まらなくても、スピンオフだのファンディスクだの後日談だのっていう自分の知らない展開が発動しないとも限らない。疑心暗鬼で神経すり減らしていつ誰が危害を加えてくるかと警戒しながら生きてくにしても……そう何年も続くものじゃないっすよ」
「えぇ、だから、そういう意味でもここでわたしの知ってる展開になりそうにないって事が発覚して良かったって心から思えるの」
「確かに伊織さんの話からすると、そういう展開になりそうって事はなさそうっすね」
蓮の視線が胡桃から睦月、そして瑛里へと移動して最後に伊織へと向けられる。
「えぇ、わたしも蓮を殺す必要がなくて、睦月が胡桃を殺す理由もなくて、蓮が瑛里を殺そうとする事もなさそうで、本当に安心しているの」
輝くような笑顔でとんでもない爆弾発言である。しかし蓮は薄々何となく予想していたようだ。
「あー……何かそんな気がしてたっすけど、人間関係とんでもすぎないっすか? え、何オレ瑛里さん殺そうとするんっすか? っていうか伊織さんオレの事殺そうとするかもしれない展開があったんっすか?
それぞれが誰かに殺されかけたり殺そうとしてたりって事っすか。マジかー。マジかぁ……」
思わず頭を抱えてうなだれる蓮に、伊織は微苦笑を浮かべた。
「そうね、多分無いと思ってるから言えるけど、蓮が瑛里を殺そうとしたのはさっき言った従兄関係なのよ。瑛里からすると尊敬と憧れの存在だけど、その従兄、蓮にとっては幼馴染のお姉さんの事をいじめていたらしくてね。しかもそのお姉さんは自殺しようとして失敗。植物状態で入院中っていう状況で。
そんな風に人を平気で追い詰めるような人間の事を尊敬してるとか憧れてるとか瑛里が言っちゃったものだから、蓮の中で瑛里もどうしようもない人間の屑認定しちゃったらしくて。従兄だけじゃない、瑛里もどうにかしないと他の誰かが犠牲になってしまうんじゃないか、って思ったらしくて比較的近づきやすかった瑛里を……」
胡桃や瑛里の動機がある意味恋愛感情だったため、てっきり蓮もそういう流れかと思ったら別方向で重たい話だった。
「ゲームの僕男見る目なさすぎ……」
「外面が異様にいい奴っているからね、仕方ないよ……」
睦月が慰めるように肩に手を置いた。
「えーっと、これも聞いておきたいんすけど、伊織さんは何でオレを殺そうと?」
毒を食らわば皿まで、の精神なのか、自分が死ぬかもしれない殺されかけた状況を知りたいという蓮に、伊織は小首を傾げて頬にそっと指を添えた。
「蓮はゲームの中では主人公と一緒に行動しなくても、独自に犯人を見つけようとする人でね? 色々と周囲に話を聞いて回ったりするの。でも、事件に関係なさそうな話でも気になったらつい聞いちゃう、みたいな感じでね? それがゲーム内わたしの地雷だったらしくて。
ゲームのわたしの家庭環境ってちょっと荒れてるっぽくて、でもそれを周囲に隠してたの。けど、蓮は何が気になったのかしつこく執拗に聞いてきて、あまりの根掘り葉掘りっぷりにゲーム内わたしはこう疑ってしまったの。
こいつ、人の不幸を楽しんでるんだ……って。
こいつは触れてほしくない家庭の事情に土足でずかずか踏み込んでくるような真似して、聞いたら今度はきっと面白可笑しく周囲に吹聴するに違いない、って思ったゲーム内わたしはとにかく蓮の口を塞ごうとするの。
詳細は省くけど、ゲーム内わたしが実行に移して成功した結果、蓮は病院に運び込まれて手術する事になるし、何なら学園祭期間も入院してるし退院できたかどうかも疑わしいわ。人間ご飯が食べられないと衰弱するものね。点滴が必須だから、その状態で外に出るよりは病院で大人しくしてた方がいいわけだし」
「あぁ、何となくどういう目に遭うか想像できたっす。毒盛って胃洗浄っていうよりは、物理的に食事ができない状況になってるってわけっすね。……針っすか? 剃刀っすか?」
「剃刀ね」
「詳細をあまり知りたくない会話やめて?」
胡桃が自分の二の腕をさすりながら言うが、蓮も伊織もにこやかに微笑むだけだった。
「あんまり突っ込まない方がいいかなーと思うんだけど、私が胡桃を殺そうとするのは何で?」
正直知りたい情報とは言えないが、知らないままでいるのも何となく落ち着かない。それに、他の皆がその状況にはなりえない、と言っているものならともかく、もし知らないまま何気にそこだけゲームの内容に当てはまっていたらと考えるとやはり知らないままでいるわけにもいかない気がする。
「睦月に関しては……確か胡桃に母親を馬鹿にされたとかだったかしら。学年が違うからそもそもあまり接点もないはずなんだけど、学外でたまたま胡桃が睦月の母親を見かけたらしくて。
睦月の母親だなんて知らないんだけど、所帯じみてるだとか女捨ててるだとか、他にも色々聞くに堪えない感じの事を言っていて、それが学園祭準備してる所でされた話だったから、少し離れた場所にいた睦月の耳にも入ってしまって……だったからしら」
「うわ……ありえない。いくらなんでも他人の事よくそこまでこき下ろせるね。ゲームのワタシ。いや、そりゃたまに有り得ない感じの人いるけど。でもそれ大きな声で話す事でもないでしょ」
「うーん、私の母、ねぇ。所帯じみてるっていうか生活感ないし女捨ててるっていう感じもしないから……仮に胡桃が私の母を見かけてもそういう風に言われる事はないかなぁ……」
「そうね、ゲーム内わたしの家庭環境荒れてるっぽかったけど、今のわたしの家族は割と円満だから聞かれても答えられないわけじゃないし、更に言うなら答えても面白みもないから興味も持たれないでしょうね」
言いながら伊織は一同の顔を見回した。
それぞれが、しっかりと頷く。
そりゃあ確かにゲームの展開になりようがないわ、と意見が一致した瞬間だった。
「あぁ、言い忘れてた。ちなみに犯人は学園祭実行委員の副委員長よ。とはいえ、彼女も多分何もやらかさないんじゃないかなぁって思ってるから、本当にわたしの知ってるゲームの展開になるとは思ってないのだけど」
誰だ副委員長、と思いはしたが、聞いたところで知らない人物が出てきそうだしここまで聞いても何一つ掠りもしない状態だ。少なくとも聞く必要もないだろう。
それでも、もし、学校祭の準備期間中に伊織が知るゲームの展開と似た何かが起きたならば。
その時はここにいる全員で協力すればどうにかなりそうな気がする。
少なくともここにいる全員が、誰かしらの命を狙うという展開はないのだから。