あっ、その展開知ってる。ラノベで見たやつだ!
じーじー、しゅわしゅわ、そんな感じの音が鳴りやむ気配もないままに響いている。
最初の頃は気になったし音が止まない事に苛立ちもしたけれど、人間の順応性は案外凄いのかあっさりと慣れて今ではあー、またかー、で済むようになってしまった。
そもそもこの季節になると仕方のない事なのだ。蝉の大合唱というのは。
周囲に自然らしきものがない場所ならともかく、生憎行った事はないが見える範囲に山がある。青々とした木々。秋になれば目に鮮やかな紅へと変わるが今は夏、きっとあの山の木々にはこれでもかと蝉がいるに違いない。
つ、と流れかけた汗を手で拭って、一度足を止める。
既に周囲に人の姿はない。とはいえ完全に無人となったわけでもなく、グラウンドの方では野球部が練習をしているのかつい先程、カキィンという小気味よい音が響いたばかりだ。
まさか今日も練習をしているとは……体育会系の部活、それも大会が近かったりするところはどこもそんなものなのだろうか。詳しくないのでそうだとも違うとも判断がつかないが、考えるだけで答えのでない事にこれ以上時間をかけるわけにもいかなかった。
再び歩き出す。
開けられた窓から生温い風が入ってくる。こんなんでも無いよりはマシだった。
授業中であるならば、教室内はエアコンで一定の温度を保たれているが今日は授業がない。既に大半の生徒は家に帰っている事だろう。残っているのは一部の生徒や、部活で汗を流している運動部員たちと、あとは教師が数名といったところだろうか。
一学期が終了して、明日から夏休みというある意味大変浮かれてしまいたい状況ではあるのだが。
進む足取りは重かった。
足取りは重くとも進んでいればいずれは目的地へと到着する。
はぁ、と小さく溜息を吐いて、それからそっとショルダーバッグのパッド部分を握りしめる。夏休みを目前にしていたので、持って帰らなければならない物の大半は数日前から分けて持ち帰っていたため鞄の中に入っている物はそう多くもないし重くもないが、何となく位置を微調整するように少しだけ動かして、結局元に戻した。
下駄箱に入っていた手紙に呼び出されるという展開は、正直漫画だけの話だと思っていた。
とはいえ別にその展開が事実こうして起きたとしても、おかしいとは思っていなかった。
何故ならここは、前世でプレイした事があるゲームの世界だったから。
だからこそ現実ではありそうでなさそうな展開が起きたとしても、すんなりと……とまではいかないが概ね受け入れていた。
呼び出されたのはあまり使われていない空き教室の一つだ。そしてそこは既に目の前だった。足取りが重くとも歩いていればそのうち到着はする。
気は進まないがドアを開ける。ガララ……と思った以上に大きな音を立てて開いたドアの向こう側、普段は人がいるはずもない空き教室には既に何名かがいるようだった。
入ろうとしていた足が一瞬止まる――が、何とか平静を装って教室内へと踏み込んだ。
新たにやってきた人物に、中にいた一同の目が向けられる。すぐに視線を逸らす者、どこか驚いたように見ている者、ただただじっと凝視している者……中にいたのは三名で、自分を含めてこれで四人か。などと考えてみたがどうにも呼び出した相手はまだ来ていないようだ。
中にいた三名の事は知っていた。前世のゲームで、という言葉がつくが。
こうして転生した今、交流を……とは思ってもいなかったしそもそも会う機会が限られていたせいか、わざわざ率先して関わりにいこうとも思っていなかった。
同じクラスならともかく、隣のクラスの人間など合同授業の時くらいしか関わらないし、仮に顔を合わせても気軽に声をかけられる雰囲気ではなかったから、事実今日が初対面も同然である。
何かを言おうとして、それでもなんとなく気まずくて結局言葉なんて出てこなくて、話しかけようとした事実を誤魔化すように彼女たちから少し離れた席に座る。
何とも言えない奇妙な空間だった。知っているけど知らない人。そんな中でただ黙っている。話しかけるにしても何を言えばいいのかわからずに、微妙に重苦しい空気の中をただただじっと待っていた。
ぱたぱた、と軽やかな足音が聞こえてきたのはそれから間もなくの事だった。
誰が来るかは薄々わかってはいた。ここにいる自分を含めた四人以外の、五人目。
呼び出しておいて来るのが一番最後とかどういう事なの、とちょっとした文句の一つでも言うべきだろうか。一瞬そう考えて、けれどもそっとかぶりを振る。言った所で意味がない。それどころか無駄に話が長引く切っ掛けにもなりそうだ。
「遅れてさーせん! 皆々様全員揃ってー……ますね!? うわホントお待たせしてすみまっせん!」
ガラッと勢いよくドアを開けてやってきた人物の口調に、思わずその場にいた全員が戸惑ったような視線を向けてしまっていた。
誰だこいつ。いや、顔は見知っている。直接話した事はないが、ゲームのキャラという意味では知っている。けれど、こんな口調だったか? 違う。
やって来た彼女は勢いよく頭を下げると、一度廊下側に顔を出して周囲を確認し、そっとドアを閉めた。まるでここにいる事を誰にも知られないように。
んんっ、と小さな咳払い。そうして彼女は教壇の前を陣取った。
「改めまして、急な呼び出しに応じてもらってさーせんっす。転生者の皆さん」
その言葉に、明らかにこの空間の空気が一瞬凍ったのを感じた。
普通なら、何を言っているんだと一笑に付す所だろう。馬鹿な事を、と鼻で嗤うべきなのだろう。
けれどもこの場にいた誰もが笑う事などしなかった。いや――できなかった。
「あー、っと、この言い方じゃ不審っすね。でも、その、申し訳ないんですけど、オレがここに入学してから今までで、皆さんの事ちょっと調べさせてもらったんっすけど……皆さん転生者っすよね。
先に言っとくけど、オレもそうなんっすよ。それで、ちょっと今後についてのお話合いをしたくて呼び出したってわけなんっすけど……」
「原作崩壊待ったなしのその口調で何となくわかるけど、前置き無しで本題に入られると心臓に悪い」
そう言ったのは一見すると大人しそうな少女だった。教室の片隅で読書をしているのが似合うような、そんな少女だ。そんな彼女が、胸が痛いとばかりに押さえながら言う。
そちらに視線を向けて、彼女の髪が短い事に今更ながらに気付いた。ゲームでは、確か少し長めの髪を緩く三つ編みにしていたはずなのだが……
「えー、まぁそうかもしれないっすけどぉ、でも前置き始めちゃうとお互い余計にぐだぐだになりませんか?」
「でしょうねぇ。でも、お約束ってある意味大事だと思うの。正直貴方の登場でちょっと色々とこっちも驚いてるから、まずはお互い自己紹介したほうがいいんじゃないかしらぁ?」
言われてもっともだと納得したのだろう。ちなみにそれを言った彼女は、見た所特に何の変化もなくゲームで見た時の外見そのままだ。ゲームならともかく現実として見ると結構凄い髪の色してんな、と思いつつも、だがしかしそれがおかしな事だとは何故か思えなかった。きっとこの世界が何かそういう不思議を許容しているからなのだろう。
「あー、じゃあまずは呼び出した事もあるしオレから名乗らせていただくっす。
オレは椎川蓮っす。クラスはさておき一年っすね。
えーっと、前世は男でした。ついでに探偵やってたっす。浮気調査とかが主でしたけど。なんで、昔取った杵柄って言うんっすか? それで皆さんをちょっとばかし調べさせていただいた次第っす」
やや申し訳なさそうに告げる蓮に、一同は特に何も言わなかった。言いたい事はあっただろう。けれど、何を言えというのか。
今更だが彼……いや、今世は彼女か。椎川もゲームでの外見と少し違い、前髪をカチューシャであげている。言動と合わせるとどうにも軽薄そうなチャラ男と言った感じがするが、やや小柄な体格のためかどう見ても今は落ち着きのない小型犬だった。
「じゃあ次、先輩よろしくお願いするっす」
そんな椎川に指名されたのは、次に口を開く事になってしまった少女だった。まさか指名されるとは思っていなかったのか、少しの間を置いてそっと指で眼鏡を軽く押し上げる。
「……僕は、鳴瀬瑛里。学年は二年。
僕って言ってるけど別に前世は男とかじゃない。癖みたいなものだから気にしないで。
……えぇと、前世も学生やってた。でも別に居眠り運転とか飲酒運転してた車に轢かれて死んだとかじゃなくて、風邪こじらせて肺炎で……悪化して死んだんだと思う。
生憎自分の前世の死亡原因とかよく覚えてなくて」
口ごもるようにしつつも、そこまで答えて居た堪れなくなったのだろう。
ちらり、と鳴瀬が視線を向けたのは、自己紹介くらいはした方がいい、と言った彼女だった。
「えっ、次わたし? あぁはい、後藤伊織。三年です。
前世ではOLやってました。別にブラックすぎて休みなく働いた結果過労死したとかそういう事はないです。
死因は……なんだろ? 前世の記憶で最後の部分で覚えてる範囲だと……あれかなぁ、テンション爆上げした結果の死?
コンサートのチケットがもうめっちゃいい席でね? 最初から最後まできゃーきゃー言いっぱなしで興奮冷めやらぬまま自宅に帰ってきて……お風呂に入ったとは思うんだけど……そこから先がさっぱり思い出せないのよねぇ」
それ以上は特に言う事もないかしら、とばかりに後藤が視線を向けたのは残る二人のうち近くに座っている少女だった。無言の催促を受けて、一瞬だけびくりと肩を跳ねさせた。
「ぅえっ、ワタシ!? 六条胡桃、一年よ。椎川くん……さん? えっ、これどっちで呼ぶべき?」
「気軽に蓮でいいっすよ」
「はぁ!? あ、いや、わかったわ。蓮とは同じ一年だけど、クラスが違うから初対面。
何か流れるように前世の事も喋る方向性になってるけど……えーっと、前世、の、ワタシは高校中退して引きこもってたから……その、これといって言える事、ない、です」
流石に気まずいのか言葉を途切れさせつつ、最後の方は聞こえるかどうかの小さな声だったがここまで言ったらいっそ最後まで言ってしまえ、と内心開き直ったのか、ワンテンポ遅れてから六条はもう一度口を開いた。
「前世の死因は! 引きこもってばっかじゃダメだって思って! まずはせめて近所のコンビニに行くところからでも外に出ようとしたら! 住んでたマンションのエレベーターが点検中で階段下りてたら、足滑らせての転落死です!」
「いやそこはせめて普通にコンビニ行く途中で事故とかじゃないんだ……」
「ワタシだってせめてその方がマシかなって思ったわよ! 外に出ようとして結果として外に出る前に死ぬってもうお前素直に引きこもってろよって、転生して前世の記憶思い出した時に真っ先に思ったもの!」
無神経だなと思いつつも突っ込まずにはいられなかったのでついそう言ってしまったら、やや食い気味に言葉が返ってきた。
「って、そんなツッコミするよりも貴方も自己紹介しなさいよ! ワタシの事はもういいから!」
それもそうだ。本当につい、といった感じで突っ込んでしまったが、今はそちらの方が重要だろう。
あとはお前だけだとばかりに一斉に視線がこちらを向いていた。
「えー、ご紹介に預かりました。御巫睦月と申します。二年。そちらの鳴瀬さんとは隣のクラスで合同授業の時にたびたびお目にかかったりもしております。話した事はないので視界の隅で確認する程度でしたが。
前世は大学生やってました。ちなみに死因は他人の痴話喧嘩に巻き込まれての殺傷沙汰です。とばっちりとか酷くない? っていうか殺し愛とかよそでやってくれって死ぬ間際に思ったような思わなかったような。
どちらにしてもリア充死すべし慈悲はない。私は面倒くさいタイプのリア充は須らく悪だと思う事にしているのであしからず」
こんなん新学期にクラスで言える自己紹介じゃないな、と思いながらもまぁこの場の全員そんな感じだしいっかー、くらいのノリで軽く言ったつもりだったのだが。
何故だろうか、正直死因とか他の皆とそう変わるものでもないだろうに、何故だか向けられる視線がとても生温かかった。