運命的出会い【sideセシル】
来た時と比べると格段に表情が明るくなったソフィア嬢。
ひとまず安心した。今日のところはもう王宮に帰ろう。
「今度は流行りのアップルパイを用意してくるよ。楽しみにしててね、ソフィア嬢」
「ありがとう」
薄く微笑んで見送ってくれる姿に軽く手を振り、まだ残っていたそうなクリスを連れて、ソフィア嬢の部屋を後にした。
「セシル良かったのか?」
「何が? あれだけ元気になったなら僕達がいなくてももう大丈夫でしょう」
「落ち込んでるところに付け入るって手もあっただろうに」
「そういうのは趣味じゃないな」
手入れの行き届いた廊下を歩きながら、小声で話す。
「あんまり優等生ぶってると、いつかアランに全部持って行かれるんじゃないか」
「アランはそんなことできないよ。あいつこそ、優等生そのもの、理性の塊みたいな男なんだから」
僕の言葉に、クリスは納得したように相槌を打つと、僕の方をポンと叩いた。
「まあ、せいぜい頑張れよ。俺はどっちの味方でもないけどさ」
「ありがと。ところで今日のことは母上にもいちおう報告しとく?」
「耳には入れといた方がいいかもなぁ。あの人、ソフィーのこと大好きだからな」
「だよね。帰ったら母上のところに寄るかな」
玄関に着くと、ソフィア嬢の部屋にいたはずのクレアがいつの間にやってきたのか、ぺこりと頭を下げてお見送りしてくれた。
「クレア、さっきはティーセットありがとう。良いタイミングだったよ」
後ろにクレアが立っていなかったら、ソフィア嬢はきっと僕達のことを追い返しただろう。
にっこり微笑んでみせると、クレアはぽおっと頰を赤らめた。
「いえ、お気をつけてお帰りくださいませ」
軽く手を振り、迎えの馬車に乗り込む。
続いて乗り込んできたクリスが毒づく。
「とんだ女たらしだな」
「ソフィア嬢には一切通用しないけどね」
「残念だったな」
「本当に」
ソフィア嬢には一切ブレがない。
そういうところが魅力的なのだ。
幼い頃、このキャベンディッシュ公爵邸に何週間か居候していたことがあった。
この屋敷は母の実家でもあり、それまでにも母は夫婦喧嘩すると、僕達を連れてここにやってくることがあった。大抵は半日も経てば気分が収まるのか、鼻歌を歌いながら帰宅したのだが。
ところがその時はよほど大きな喧嘩だったのか、大量の衣類や僕達のおもちゃを乗せた馬車数台と共に押しかけて、いつ帰るかわからないからあんた達もそのつもりでいなさいと泣きながら豪語された。
母の実家とはいえ、母の両親はもう亡くなっており、屋敷と爵位は母の兄であるアンドリュー伯父さんが受け継いでいた。
広大な敷地を持つ屋敷には、アンドリュー伯父さんとその息子のアランが2人でひっそりと暮らしていた。アランは僕達の従兄弟にあたる。4つ年上だったけれど全然兄貴ぶることもなく、お互いに年の近い親戚が他にいなかったこともあって、とても仲が良かった。
母がプチ家出する度に、3人で遊ぶ時間ができたと喜んでいたけれど、今回はちょっと長そうだな。
そんなことを思いながらやってきたキャベンディッシュ邸には、意外にも伯父と従兄弟以外の人物がいた。
それがソフィア嬢と、その母マリアンヌ様だった。
アランの母である先の公爵夫人が病気で早くに亡くなってから、伯父は長いこと独身を貫いていたが、どうやら知らぬ間に、マリアンヌ様とちゃっかり再婚をしていたようだ。
「そろそろナーシャにも紹介しなきゃなあと、ちょうど手紙を書こうとしていたところだよ。まさか直接やって来るとはね。まあ手間が省けて良かったかな」
嬉しそうににこにこと笑うアンドリュー伯父さんに、母は目を釣り上げて怒鳴った。
「再婚するとは聞いてたけど、まさかこんなに早く諸々済ませてるとは思わなかったわ。そういうことは早く言ってよね。おめでたいことだから、もちろん祝福するけど。わかってたらこんな風にのこのこ帰ってこなかったわよ」
「マリアは歓迎してくれてるよ」
「そりゃ嫌だとは言えないでしょうよ。兄さん馬鹿なの」
横で聞いていた僕も、うんうんと思わず頷く。
母は少々ヒステリックな部分はあるけれど、公式には王妃という立派な地位を持った人なのだ。急に来られても困りますなんて、思っていたとしても言えるはずがない。
すると、それまで伯父の後ろで控えていたマリアンヌ様が、おずおずと前に進み出た。
「いえ、私は本当に…。お会いできて嬉しゅうございます。どうぞお見知り置きくださいませ」
朗らかに微笑む姿はとても温かく、嘘を言っているようにも媚びているようにも見えない。
茶色い巻き毛がくるくると可愛らしく、小動物のようだった。
「兄にはもったいない素敵な方ね。急に押しかけて本当に申し訳なかったわ。なるべく早く帰るようにするから、どうぞお気を悪くなさらないで」
「いえそんな。ゆっくりお過ごしください」
よく見ると、小動物のようなマリア様の後ろに、更に小さいものがプルプルと小さく震えながら隠れていた。
僕の目線に気づいたマリア様が、その小さいものの背中を押してそっと前に寄せた。
「こちらは私の娘のソフィアです」
マリアンヌ様によく似た茶色い巻き毛がふわふわとあちこちに散らばっている。
不安そうにプルプルしながらも、僕達に興味津々といった様子だ。
「初めまして。ソフィア・キャベンディッシュと申します。どうぞよろしくお願い致します」
マリアンヌ様に促され、ソフィア嬢はぎこちない動きで挨拶をする。
そしてふと目が合うと、大きな瞳がじっと僕を見つめた。やや赤みがかった、強い意志を感じさせる真ん丸の瞳。
「あら可愛らしいお嬢さんね。ほら、あんた達もちゃんとご挨拶なさい」
母に促され挨拶をしようとするも、ソフィア嬢にじっと見つめられているのが落ち着かなくてそわそわしてしまう。
「セシルです」
ぶっきらぼうに名前だけ名乗ると、僕は耐え切れずにその場からわっと逃げ出した。
後ろから母の怒鳴り声が聞こえる。
普段から無愛想なクリスと同じような態度をとってしまった。普段の僕なら、もっとスマートですぐ仲良くなれるような挨拶ができるのに。
戻ってやり直そうか。
いや無理だ。
またあの瞳に見つめられると思うと、想像だけで顔がじんわり熱くなって来るのがわかった。
何だろう、これは。
「恋ってやつかね。いわゆる初恋?」
後からクリスに指摘されて、ますます顔が火照った。