10-11「空中集合」
10-11「空中集合」
いよいよ、特殊任務のために出撃する時がやって来た。
任務を実施するには、もう、ギリギリのタイミングだ。
前線では、王立軍の防衛部隊が、連邦軍がフィエリテ市内深く進出することを防ぎ、崩壊した防衛線から後退して来る味方を収容するために、必死の戦いを続けている。
まだ、南大陸横断鉄道の橋梁は、王立軍によって維持されている。
だが、そこには連邦軍の部隊が現れ、既に激しい戦闘が行われているということだった。
橋梁の守備隊は、自力で橋梁を破壊するために爆薬を設置する作業も進めていた。だが、それは、とても間に合わないらしい。
連邦軍が南大陸横断鉄道を利用して帝国への攻勢をかけることを阻止し、連邦の思惑を阻止するためにその橋梁を破壊することができるのは、僕らだけとなってしまった。
王立軍は、防衛線が突破された時に備えて、防衛準備を整えていた。市街地の外縁部に突入を果たした連邦軍を、王立軍はまだ辛うじて抑えることができている。
連邦軍によって突破された西部戦線からは、生き残った王立軍の諸部隊がフィエリテ市に向かって次々と撤退してきていた。それと同時に、東部戦線の王立軍諸部隊も、段階的にフィエリテ市に向かって撤退を開始している。西部戦線が崩壊した以上、無理に維持するよりも後退させてその戦力をフィエリテ市の市街戦に投入することの方が合理的となったからだ。
帝国軍は、東部戦線で動かず、王立軍の撤退を静観しているらしい。もしかすると、連邦軍と王立軍を戦わせて、共倒れさせることを狙っているのかも知れなかった。
フィエリテ市にまだ残っている人々も、出来得る限り、その全員で市街地から退避する様に命令が下され、南へ向かって全面的な避難が始まっている。
連邦や帝国の航空攻撃によって既に鉄道は運行能力が落ち込んでしまっているので、避難のために十分な輸送力はどこにも存在しない。避難のほとんどは徒歩によるものだ。年少者や老齢の人など身体的な弱者には、軍や、民間からかき集めた車両を使っての避難が行われているが、その他の大勢を乗せるにはとても数が足りなかった。
人々はフィエリテ市の南側を流れる河を、かつて僕が不時着水したその流れを往復する、大小様々な船や、破壊されずに残っていた橋で渡り、南へと続く幹線道路を、持てるだけの荷物を持ってひたすら歩いていく。
フィエリテ市の南側、数十キロ先までは来ればまだ鉄道が機能しているから、全員列車に乗れる。だが、そこまでたどりつくその旅路が、僕の口からはとても表現し切ることのできない過酷なものであることは、誰の目にも明らかだった。
王立軍が、フィエリテ市の市街値を防御陣地として利用し、そこであくまで抵抗を続けるつもりなのかは僕には分からなかったが、はっきりしていることもある。
王国は、負けたのだ。
もちろん、例えフィエリテ市が陥落したとしても、僕らの戦いが、この戦争が、それで終わりになる訳ではない。
僕らは態勢を立て直し、外国による理不尽な侵略に対して、抵抗を続けるつもりだった。
何故なら、連邦と帝国という、大陸を二分する様な大勢力に対して、その行いに異議を唱え抵抗するのは、僕ら以外には存在しないからだ。
この世界には、マグナテラ大陸以外にも幾つも大陸が存在し、そこにも、多くの国家が乱立している。
だが、王国への攻撃が開始された時、声を大きくしてそれに異議を唱える国家は存在しなかった。
連邦も帝国も、強大な勢力だ。大陸の外にいくつも植民地を持ち、世界中にその強力な軍隊を送り出す能力を持っている。
誰も、そんな相手を敵に回したいなどと、思ったりはしないだろう。
僕は、それを恨むつもりは無い。
自分から厄介事に首を突っ込む様な国家は無いし、例え義憤に駆られたのだとしても、容易に自国民を戦いへと駆り出す様な政治的な指導者は、望ましくは無いだろう。
打算や見通しも無く、その場の勢いで始まる様な戦争が、少しでも良い結果をもたらした例など無いからだ。
助けてくれるというのなら、もちろん、いくらでも助けてもらいたかったが、進んで誰かを巻き込みたいとは思わない。
僕らは、負けた。
そして、よりいっそう、負けつつある。
だが、それで、連邦や帝国の言いなりになるつもりは無かった。
僕らは、早朝から出撃準備を済ませ、フィエリテ市に向かって飛んだ。
その南の空域で、南大陸横断鉄道の橋梁を攻撃する爆撃機と合流する予定になっている。
眼下では、フィエリテ市から徒歩で避難をする人々が、蟻の様に列をなして、南へ向かう道路を歩き続けている。
戦争が始まって以来、王国はフィエリテ市から出来得る限り民間人を疎開、避難させてきたが、それでも、容易に故郷を離れられなかった、離れようとしなかった人々が大勢いる。
避難する人々の列は何キロにもなって続き、フィエリテ市南側を流れる河川では、往復を続ける大小様々な船が動き回っているのがよく見えた。
《やれやれ、嫌なことになっちまったなぁ》
爆撃機部隊と空中集合するためにフィエリテ市南側の空域で旋回を続けながら、無線越しにジャックがぼやいた。
いつもの様に、僕らの間だけで通じる、秘密の周波数での会話だった。
《俺の家族も、ちゃんと避難してるといいんだけど。この前よった時、親父は「うちは誰かを腹いっぱいにするのが仕事だ。フィエリテ市に人間がいる限り、俺はここを離れねぇ! 」とかカッコつけて言ってたからなぁ。逃げ遅れてなきゃいいけど》
《大丈夫さ、きっと。それに、まだ友軍が頑張ってくれているじゃないか》
ジャックは冗談めかして言っているが、本当は心配で仕方が無いはずだ。
それに、彼は、フィエリテ市の下町が故郷だった。その故郷が、いよいよ戦場になりつつあるような状況だから、内心では複雑な心境に違いなかった。
それでも敢えてこうやって冗談を言うのは、彼の精一杯な強がりか、僕らを心配させまいとしているのかもしれない。
《まぁ、そうだけどさ。……ところで、ミーレス。昨日はずいぶん、大声を出してたじゃんか。お前があんな大声出すの、初めて聞いたぜ》
「えっ? 」
急に話題を変えたジャックに、僕は思わず声を漏らしてしまった。もう少しで無線のスイッチを入れてしまうところだった。
それから、少し深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、無線のスイッチを入れる。
《えっと、ジャック、聞こえてたの? 》
《ああ、もちろん。……なぁ、アビー? 》
《ちょっ、そこであたしにも話振るの? まぁ、確かに聞こえたけど》
僕は今まで気がついていなかったが、あれだけ大声で怒鳴り合えば、基地中に響き渡っていたことだろう。
そのことに気づかされると、僕は、無性に恥ずかしくなった。
そしてそれは、ライカも同じなのだろう。彼女も、会話には加わらず、じっと、黙っている。
《いやぁ、正直、ずーっと2人が喧嘩してるもんだから、俺もどうしたもんかと思ってたんだよ。とりあえず、解決して、よかった、よかった》
ジャックの意図としては、軽口を言って、自分がいかに元気かをアピールし、嫌な仕事を前にして緊張している僕らの気持ちをほぐそうとしているのかも知れなかったが、話のタネにされる方はたまったものでは無かった。
もっと、他に、適当な話題は無かったのだろうか?
《ところでさ、アビー》
《な、なんだよ? 》
突然話を振られて、アビゲイルはあからさまに警戒する様な声で応じた。
話の成り行きからして、警戒するのも当然だっただろう。
《アビーの方は、どうやって立ち直ったんだよ? 俺がいろいろ話しかけてみてもぜんっぜんだったのに。レイチェル中尉が何かやったみたいだけど、何を話し合ったんだ? 爆撃機が来るまで暇だし、教えてくれたりしない? 》
確かに、これは僕も気になっていたことだ。
この場で尋ねるのはどうかとも少しは思ったが、ジャックは彼なりに、僕らの緊張をほぐそうとしているだけだから、その質問に答えるか答えないかは、アビゲイルに任せるべきだろう。
《あー……、ったく。別に隠すことでも無いけどさ。……飲まされたんだよ、中尉に。そんで、一晩中、語り合った》
《飲まされた? 何を?》
《酒だよ、酒。この前、みんなでちょっと飲ませてもらっただろう? ビール。あれを、一晩中、ずーっと飲まされたんだよ》
《あれをずっと飲まされてたっての? 》
《そうだよ。飲んでる間は、何か、頭も体もふわふわしてさ、普段なら言えない様なことでも、というか、ぶっちゃけ何の意味も無いうわごとみたいなレベルだったけど、どんどん口から出て来てさ。レイチェル中尉はそれをずっと聞いてくれたんだ。……けど、その後は大分、酷かった。気持ち悪いし、頭は痛いし。けど、それが収まった時には、全部じゃないけど、だいたいすっきりできてたんだ》
《なるほど。あれをたくさん飲むとそうなるのか……。今度試してみるか。なぁ、みんな? 》
ジャックの問いかけに、僕は返答をためらった。
確かに、興味はあったが、アビゲイルの話によるとその後がかなり辛いらしい。個人差はあるのかもしれないが、進んで試そうという気にはならなかった。
《えっと、ごめん、ジャック。ちょっと考えさせてくれ》
《えー、何だよミーレス! この裏切り者! なぁ、アビーやライカはどうだい? 酒の入手手段はこれから考えなきゃだけど、多分、手に入ると思うぜ? 》
《あたしはパス。一日中のたうち回るのはもうゴメンだよ》
《わっ、私も、遠慮、しておくわ》
どうやら、他の2人も乗り気ではない様だった。
《おーおー、何だぁ? 未来ある若者がそんな消極的じゃ、いかん、いかんなぁ》
そんな風に語りかけて来たのは、もちろん、ジャックではない。
レイチェル中尉だった。
僕は危うく操縦桿を思い切り引いてしまうところだった。
僕らの無線は、毎日、出撃の度に周波数を変えている。ジャックの提案で行う様になったこの措置によって、もう、レイチェル中尉やハットン中佐に僕らの秘密のおしゃべりが知られる心配はない、そのはずだった。
《ハッハァ、驚いたか。ったく、小賢しい手を使いやがって。ジャックだな? こういうことを考え付くのは。やっと合う周波数を見つけたぞ》
だが、レイチェル中尉はどうやってか、僕らが使っている秘密の周波数を探り当ててしまったらしい。
僕の背中を、冷たい汗が伝っていく。
任務中に勝手におしゃべりをするのは、禁止されていることだ。おしゃべりをすると集中力が逸れて見張や操縦がおろそかになり、自分や僚機を危険にさらしてしまうかもしれないからだ。それに、いざ、緊急の無線が発せられたとき、おしゃべりのせいでそれを聞き逃すということだって起こり得る。
僕らはレイチェル中尉の指示を破り、その現場を中尉に押さえられてしまった。
いったい、どんな罰を言い渡されることか。
想像するだけでも、ああ、恐ろしい!
《あー、えっと、その、中尉殿? その……、いかような処分でも甘んじて受けるつもりではありますが、もし叶いますなら一つ、お手柔らかにお願いできませんでしょうか? 》
ジャックの声が、震えている。
僕らはみんな共犯者だったが、その中でも、ジャックは主導的な役割を果たしている。主犯格だ。レイチェル中尉の矛先が最も鋭利に向けられることは容易に想像できる。
《おう、まぁ、楽しみにしておけ。久しぶりにたっぷりかわいがってやる。ジャック、お前はずっと優等生だったからなぁ。いろいろ悪さしてまわっているのは分かっているのに、ちっとも証拠をつかませなかったのが、とうとう尻尾を出したってわけだ。……クククク、どんな罰をやらせるか、今から楽しみだ。っと、今はひとまず置いておいてやる。もうすぐ爆撃機部隊と合流するぞ! 各機、目標上空に突入準備だ! 無線の周波数も戻しておけよ》
僕はレイチェル中尉に言われた通り、無線の周波数を部隊に割り当てられているものへと戻し、周囲の見張りに意識を集中した。
すぐに、方位180、南の方から、4機の友軍機が、僕らへ向かってきているのを視認することができた。