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8-3「ホームシック」

8-3「ホームシック」


 春になって以来、フィエリテ市周辺の天候はずっと安定した快適な気候のままだったが、今日は久しぶりに荒れていた。

 フィエリテ市上空には雨雲が集まり、早朝からザーザーと降り出している。

 雲が低く、風も出ていて、とても、フィエリテ市の上空を飛べるような天候では無かった。

 ちょっとした嵐が来たようなものだ。

 気象班の予測では、この小さな春の嵐は、夜半まで続くらしい。


 こんな状態では、連邦軍機も、帝国軍機も、フィエリテ市に向けて飛んでは来られない。

 低い雨雲のせいで、爆弾を投下しようにも目標の位置を確認できなかったし、第一、乱気流があちこちに渦巻いていて、危険な空になっている。

 わざわざ飛んできても、事故を起こすだけだ。


 敵が飛んでこないとなれば、僕ら、戦闘機部隊の任務、戦闘空中哨戒もお休みだ。


 そういう訳で、僕らは、久しぶりの休暇を得ることができた。

 休暇、といっても、実際は待機命令なので、基地を離れることはできない。


 だから、僕らは、また、急にやることがなくなってしまった格好だった。


 フィエリテ市の天気は荒れていたが、そこから100キロメートル以上も南に位置する僕らの基地、フィエリテ南第5飛行場の周辺は曇りだった。

 風もやや出ているが、強いものではない。日差しも、雲の隙間から少しは降り注いでいる。

 どこかに出かけるには悪い日だったが、休む分にはいい日だった。


 僕らは、この、急に得ることができた暇な時間を、どの様に使おうかをそれぞれ考えることにした。


 ジャックは、炊事班に加わって、パンを焼き始めた。以前、ファレーズ城に贈り物を届けた際にも彼は炊事班と一緒になってパンを焼いたのだが、どうやらそのやり方に相違があったらしく、この際、お互いに勉強し合おうという話になったらしい。

 ジャックは、パン屋の息子だ。家業は継ぎたくないと思っている様子だったが、やはり、新しい技術を見て、思うところがあったのかもしれない。

 焼きあがった成果は、後で僕にも味見をさせてくれると言っていたから、今からその時が楽しみだった。


 アビゲイルは、大胆だった。朝の打ち合わせで今日の出撃が無いことを知ると、さっさと自室へと引き返し、二度寝を決め込んでしまったのだ。だが、これは、ある意味では一番合理的なのかもしれない。疲労はパイロットの大敵だからだ。

 もし緊急の出撃があったらどうするつもりなのかと尋ねてみたが、その時は分かるから起きる、用が無いのに起こしに来たら叩くと、素っ気なく言われた。

 僕は、彼女ほどには割り切れなかった。それに、今、眠ろうとしても、夢見があまり良いものにはならない様な気がする。


 ライカのやることは、決まっていた。いつも持ち歩いていたカメラを取り出すと、それを引っ提げて、基地のあちこちを写真に撮りにいった。撮る、といっても、ここは基地なので軍事機密に相当するものも多く後々で問題にならないか気がかりだったが、彼女が撮りに行ったのは動物たちだった。

 この基地は牧場に擬態するために、本物の家畜までたくさん飼っている。ライカが言うには、犬や猫や馬は家で飼っていたが、牛や羊、鶏やガチョウ、アヒルなどはそれほど身近な存在では無かったそうで、たくさん写真に撮っておきたいとのことだった。


 僕はというと、とりあえず、散歩でもすることにした。


 僕は、元々牧場の出身だ。だから、その牧場に擬態しているここ、フィエリテ南第5飛行場は、妙に馴染む。

 積み上げられた干し草の香りや、家畜たちの、モーモー、メーメー、ブーブー、コッココッコ、クァックァッ、という、無秩序な合唱を聞いているだけで、何だか妙に落ち着くことができる。


 何となく、平穏だった頃を思い出すことができるのだ。


 ふと、僕は気がつく。

 戦争で、何もかもが変わってしまったように思っていたのだが、実際には変わっていないものも多くある。


 僕は、毎日呼吸をし、空腹を覚えれば食事をしてその味に一喜一憂し、退屈を感じればこうやって散歩をしたり、遊んだり、誰かとおしゃべりをしたりする。

 それらは、何も変わっていない。


 少し、不思議な気分だ。


 いつの間にか、僕は動物たちがのびのびと暮らしている柵の手前までやって来ていた。

 ここの牧場の家畜たちは、よく世話をされている様だ。

 みんな毛並みが良く、元気で、健康そのものだ。


 家畜の世話をしているのは、古くから牧場をやっている老夫婦だった。

 兵隊だけで家畜たちの世話をするのは難しかったようで、正式に給料を出し、住み込みで働いてもらっているらしい。

 老夫婦の年齢は、僕の両親よりも20歳くらい年上だろうか。白髪にしわくちゃの顔を持つ、温厚で気のいい、仲良し夫婦だ。

 腕も良い老夫婦に毎日世話をしてもらえて、動物たちも幸せだろう。


 柵の中で元気に遊んでいる家畜たちを眺めながら歩いていると、きゃーっ、っという声が聞こえて来た。

 ライカの声だ。


 声のした方を見ると、そこには、鳥たちに囲まれているライカの姿があった。

 ライカは、何とも楽しそうに笑っている。

 彼女はしゃがみ込み、真っ白なアヒルを1羽、抱きかかえながら、そのふかふかの羽を撫でまわしていた。アヒルは心地よさそうな様子で、嬉しそうにクァッ、クァッ、と鳴いている。

 その足元には、他のアヒルや、鶏、そのひよこたち。ライカに懐いている様で、彼女の足に甘える様にすり寄っている。

 どうやら、動物たちはライカのことを友達だと思っているらしい。


 ライカは動物たちに囲まれながら、嬉しそうに彼らを撫で、そして、写真に収めている。

 何とも微笑ましい光景に、僕も、思わず笑ってしまった。


 ふと、僕の家で暮らしているはずの、弟や妹たちの姿が思い浮かんでくる。

 動物たちと無邪気にたわむれるライカの姿が、2つばかり年下の、一番年長な妹の姿と重なったからだ。


 よく、こうやって、牧場の愉快な仲間たちと、楽しげに遊んでいた。

 僕はしばらく家に帰っていないから、今は、僕が覚えているよりも大きく、みんなたくましくなっているだろう。きっと、父さんや母さんを助けて、かつての僕と同じ様に働いているはずだ。


 最後に受け取った手紙では、元気な様子だったが、戦争が始まってからはいろいろと混乱していて、手紙も受け取れていない。前は、月に1度は手紙のやり取りをしていたのだが。


 こんな、戦争になって、僕の弟や妹たちはどんな風に暮らしているのだろう?


 久しぶりに連絡を取りたかったが、開戦以来の混乱で、王国内では郵便物の配達でさえ滞りがちになっていた。


 きっと、大丈夫だ。

 僕は、自分に言い聞かせる。


 きっと、僕の家族は、今まで通りに元気でやっているに違いない。

 牧場には、僕の家族だけでなく、たくさんの動物たち、牧場の愉快で賑やかな仲間たちがいる。

 動物たちは僕の家族を支えてくれるだろうし、僕の家族も、お互いに力を合わせてたくましく生きていることだろう。


 だが、僕は、一度芽生えてしまった感情を、なかなか打ち消すことができなかった。


 ああ……、家に、帰りたい。

 あの、平穏で、今日のことではなく、明日のことを心配できる日常に。


 だが、今は、これが、僕の日常なのだ。

 僕の手の届かないどこかで、そうなってしまった。


 僕は、自分に気合を入れるために、自身の頬を両手で何度かぺちぺちと叩いた。

 あまり感傷的になっていてはだめだ。


 いつか、また、平和は訪れるだろう。

 その時にまた、みんなで、笑顔で暮らせるように。僕は、自分にできることをやる。


 今は、そのことだけを考えるんだ。


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