7-1「飛来者」
7-1「飛来者」
僕らが機種転換訓練に励んでいる間にも、状況はめまぐるしく変化し続けていた。
開戦から、およそ1週間。連邦と、帝国という、マグナテラ大陸に割拠する2大勢力から挟撃される形になった王国は、敗走を重ねている。
なす術はない。
王国は、自身の中立を守るために、その国家の規模からすれば相応に有力な軍隊を備えてきた。だが、その備えは、連邦と帝国という2大勢力を同時に相手どることは考慮されておらず、事前に用意されていた作戦計画の中に、2大勢力から同時に侵攻を受けた場合に対応したものは存在しない。
こういった不備が存在したのは、王国単独の力では、大陸をほぼ2分する2大勢力による同時侵攻という事態に対処することが、そもそも物理的に不可能だとされていたためだ。
その上、連邦と帝国は、お互いを不倶戴天の敵として、闘争の歴史を積み上げて来た。そんな勢力同士が、結託して王国を攻撃するはずが無いというのが、これまでの常識だった。
ましてや、偶然の一致によって、連邦と帝国が、それぞれの思惑によって同時に王国へ侵攻を開始することなど、いったい、誰が予測できただろうか?
そもそも、連邦と帝国が、王国への侵攻を企図していたとしても、外交折衝によってまずは対処し、最低でも敵を1方向に絞るというのが、王国が描いてきた防衛構想だ。
王国は、これに失敗した。
後になって分かったことだが、所属不明機による領空侵犯に対応し、結果として空戦となってマードック曹長が戦死した後、王立空軍に対して飛行禁止命令が出されたのには、理由があった。
開戦が差し迫っていると理解した王国が、それでも外交折衝によって事態の打開を試みようとし、その交渉のために、少しでも連邦と帝国との緊張状態を緩和しようと考えた結果、飛行禁止命令が発令されたということらしい。
王国は最後の瞬間まで対話による解決を模索したのだが、全ては裏目に出た。
あの銀色に磨き上げられた大型の双発機は、王国領内への攻撃のため、その攻撃目標を選定するために放たれた偵察機であり、その翼が王国の領空を犯したその時には、既に、王国への侵攻は決定されていたのだ。
王国はそれを察知できず、まだ、外交折衝によって事態を打開できると考えた。
そう、信じ込んでしまった。
その結果、連邦と帝国による侵攻が始まった際、王立空軍はまともに応戦することすらできずに壊滅し、王国はその領内深くに敵の侵入を許してしまった。
王国は今、存亡の危機に立たされている。
僕は、機種転換訓練が、王国を守るために必要なことだと分かっている。
だが、なす術もなく後退を続けている戦線の状況に、自分自身は何ら関与することができず、日々、焦燥感が募るばかりだった。
僕がそんな日々から抜け出したのは、開戦から7日目の午後のことだった。
その日の午前中は相変わらずの訓練で過ごし、レイチェル中尉からの講評を受け、昼食を摂って休憩に入っていた僕は、突如、部屋の外からプロペラの唸る音が響いて来るのに気が付いてぎょっとした。
先日、フィエリテ第2飛行場で、突然攻撃を受けた記憶が鮮明によみがえる。
僕らは敵襲かと、慌てて建物の外に駆け出した。もちろん、敵襲であれば、迎撃しに飛び立つためだ。
だが、直ぐに、僕らは何も慌てることは無かったのだと知ることになった。
その音は、1機の友軍機が、僕らのいるフィエリテ南第5飛行場へ着陸するために、アプローチしてきている音だったのだ。
それは、王立空軍でプラティークと名付けられ制式化された、偵察や直接協同、観測、部隊間の連絡などに用いられる、単発単葉三座の多用途機だった。
未整備な前線の滑走路でも使用できる様に堅牢な固定脚を持つ機体で、液冷V型12気筒で最大900馬力を発揮するジンニアエンジンを1基装備し、水平最大速度はおよそ時速400キロメートルを発揮する。
武装は、機首に7.7ミリ機関銃を2丁、主翼の片側に7.7ミリ機関銃を2丁ずつの計4丁、全部で6丁の機関銃を装備している。これに加えて、後部座席に自衛用に7.7ミリ機関銃が1丁、装備できる様になっているほか、爆装した場合には最大で250キロ爆弾を1発まで、運用することができる。
前にいたフィエリテ第2飛行場でもよく見かけた飛行機で、翼には王国に属するものであることを示す国籍章、「王国の盾」がはっきりと描かれているから、友軍機であるのは明らかだった。
僕は、ほっと胸をなでおろすのと同時に、あの飛行機はいったい何をしにやって来たのだろうと、怪訝に思う。
少なくとも、僕らは誰も、そんな飛行機が来ることを知らなかった。
僕らが好奇の視線を向ける中、唐突にやって来たプラティークは、上空からは牧草地にしか見えない滑走路に美しいアプローチを決め、微塵も不安を感じさせない完璧な着陸を実施して見せた。
「おい、お前ら! あの飛行機を出迎えに行くぞ! 」
僕らが、その飛行機のパイロットの腕前に感心していると、いつの間にか僕らの隣にやって来ていたレイチェル中尉がそう呼びかけて来た。
「出迎えに行くって……、中尉殿? あの機体には、誰か、偉い人でも乗っているんですか? 」
「まぁ、そんなところだ。ほれ、さっさと行くぞ! 」
疑問に思った僕の問いかけに短く答えると、中尉はそれ以上の問答は不要だと言いたげに、さっさと滑走路の方へ行ってしまう。
相変わらず雑な説明ではあるものの、回りくどい説明や凝った言い方を好まない中尉の性格を僕らは良く知っているから、お互いに肩をすくめて中尉の後を追った。
フィエリテ南第5飛行場に降り立ったプラティークは、既に格納庫の前まで滑走してきていて、ちょうど、エンジンを停止する動作に入った所だった。
格納庫で、午後の訓練のために僕らが乗る機体を整備していた整備員たちの幾人かがプラティークに取り付き、さっそく仕事を始めている。
「全員、整列しろっ! 」
プラティークのすぐ近くまでやって来た僕らは、レイチェル中尉の鋭い掛け声で、すかさず横一列に整列し、直立不動の体勢を取った。
僕らが整列して出迎える中、プラティークの操縦席からは、乗り込んでいた搭乗員たちが次々と降りて来ていた。
1人は、王国の南部出身者に多い褐色の肌と黒い瞳、黒い髪を持つ、背の高い人物だった。飛行服に伍長の階級章をつけている。僕らよりも少し年上らしい青年で、後部座席から降りて来た彼は、身軽な身のこなしでするすると地上へと降り立つと、次に降りてくる搭乗員のために手を差し出した。
「ありがとう」
青年に向かってそう礼を言いつつ、機体の真ん中、通信や航法を担当する座席から降りて来たのは、淡い金髪と灰色の瞳を持つ女性だった。飛行服に中尉の階級章をつけている。年齢は、恐らくはレイチェル中尉と同じくらいで、中尉の力強い印象とは違う、繊細で儚げな印象を持つ。何か大事なものでも入っているのか、円筒形の筒を抱えている。
何より印象的だったのが、その声だった。まるで、ラジオから流れてくるアナウンサーの声の様に、澄んだ美しい声だった。
そして、最後に、操縦席に収まっていたパイロットが、機体から降りてくる。
壮年の、茶色の髪と口髭、瞳を持つ、見るからに温厚そうな感じの男性だった。40~50代だろうか。マードック曹長の様に豪快な空の男、といった雰囲気は無く、年齢的にも現役のパイロットは引退していてもおかしくはない。だが、その腕前が優れていることは、先ほどの着陸の様子を見れば疑いようもない。
そして、驚いたことに、その壮年の男性は、飛行服に中佐の階級章をつけていた。
中佐。階級で言えば、大隊とか、軍艦の艦長とか、参謀とか、それなりの地位につく場合が多い、立派な高級将校様だ。
僕が知っている高級将校と言えば、第1航空教導連隊の連隊長だった年老いた大佐くらいで、佐官というだけでも、もう珍しい。
「おっ、おじさまっ!? 」
僕の右隣で、その男性の姿を目にしたライカが、小さく驚きの声を漏らす。
どうやら、ライカの親類であるらしい。
だが、そのことを彼女に質問している時間はなかった。
カッ、とブーツを打ち鳴らし、レイチェル中尉が姿勢を正し、声を張り上げる。
「第1戦闘機大隊、大隊長殿に、けーいれェいッ!! 」
レイチェル中尉に言われるがままに、僕は、プラティークから降り立ったその壮年の男性に敬礼をする。
僕は、その壮年の男性、大隊長を見ながら、何だか不思議な気持ちになった。
第1戦闘機大隊の大隊長ということは、彼が、僕らの上官になる人だということだ。だが、僕には、どうにも、彼が軍人らしくは見えなかった。
軍人、と言えば、表情はいかつく、きりっとしているイメージなのだが、新しく着任した大隊長はそんなイメージとはかけ離れている。
どちらかというと、学校の校長先生とか、教会の牧師様とか、そういう、熟成された温厚篤実な人格を持つ人の様に見えたのだ。
失礼な言い方になってしまうが、何となく、頼りない。そんな印象だった。
だが、少なくとも、僕らはこれから、この人の指揮の下で戦うことになるのだ。
指揮系統が整理されるということは、必然的に、僕らが実戦に出る時も近いということになる。
僕は、一抹の不安を覚えつつ、緊張で身を固くした。
僕らの敬礼に対し、機体から降り立った3人も整列して、敬礼を返す。
大隊長、つまり僕らの部隊の上官となる男性と、その男性と共に降り立った搭乗員たちが手を下げた後、僕らも敬礼を止め、直立不動の体勢に戻った。
その後、大隊長が1歩前に出て、僕らに休んでよし、と号令した。僕らは指示に従い、直立不動の体勢から、やや足を広げて楽な体勢を取る。
「各員、出迎えに感謝する。私が、今回、第1戦闘機大隊の大隊長を拝命した、ハットン中佐だ。本日より、ここに司令部を設置して、大隊の指揮に当たることになる。よろしく頼む」
中佐はまず僕らにそう告げ、それから、第一印象通りの、人の好さそうな柔らかい笑みを浮かべた。
続けて、ハットン中佐と同乗してきた他の2人が、順に挨拶をしてくれる。
「クラリス中尉です。以後、大隊司令部の要員として作戦に参加します」
「自分はアラン伍長であります! パイロットではありませんが、以後、大隊司令部の要員として作戦に参加します! 」
金髪の、美しい声を持つ女性がクラリス中尉、褐色肌の背の高い青年がアラン伍長と言うらしい。
「いや、急な辞令でな。招集されて出頭したら、その場で辞令を与えられて、そのまま任地に行け、と。司令部の要員として配属された人員も、私の他にはこの2人だけだ。ここへの連絡も、急だっただろう? 驚かせてすまなかった」
「いえ、中佐殿。今は戦時ですから」
中佐の言葉に、僕らを代表して、レイチェル中尉が返答する。
僕らが中佐たちの来訪を知らなかったのは、それがあまりにも急に決定されたことだったためらしい。恐らく、この基地にまで連絡が辿り着いたのは、中佐の操縦するプラティークが着陸態勢に入りつつあったくらいのことなのだろう。
僕にはもちろん、中佐についての様々な疑問があったが、この場では、僕らはお行儀よく並んで立っているのが役割だ。
僕は黙ったまま、成り行きを見守ることにする。
「ありがとう、中尉。……実は、私の着任がこんなに慌ただしくなったのには、他にも理由があるんだ」
中佐はそう言うと、一度、僕らの顔を一通り眺めた。
どことなく、緊張している様な、何か心の奥底に感情を押し込めている様な表情だった。
それから、中佐は、僕ら全員の耳にはっきりと届く様に、声を張り上げる。
「第1戦闘機連隊の司令部より、我が大隊に出撃命令が下された。我が大隊は本日1400時に西部戦線へ向けて出撃し、地上部隊の支援を実施する。出撃は我が大隊のA中隊、すなわち301Aに命ずる。出撃予定機はエメロードⅡ5機、支援にこのプラティーク1機が当たる」
中佐の言葉を、僕は、頭の中で繰り返す。
出撃……?
出撃だって!?