E-8「あのね」
E-8「あのね」
王国は経済崩壊という危機に直面していたが、かといって、僕たちに何かができるわけでもなかった。
僕にできることと言えば、戦闘機に乗ることと、動物や作物の世話をすることだけで、王国の経済危機を救うことなんて、とても無理な話だ。
僕たち301Aが王国で「守護天使」などと呼ばれる、エースパイロットの集団であろうと、こればっかりはどうすることもできない。
例えば僕に、おとぎ話の様に、さわったものを黄金に変える特殊能力でもあったのなら、話は別だ。
黄金は基本的に世界中で価値があるものとされてきたし、少し前までは紙幣の価値を保証するために、黄金と紙幣との交換レートが固定され、国有銀行の地下金庫に必要なだけの金塊が厳重に保管されていたほどだった。
金塊をたくさん作ることができれば、王国はそれを使って、外国から好きなだけ物資を輸入することができただろう。
もちろん、現実ではさわったものを黄金に変えることなどできるわけがないから、これは僕の空想でしかない。
聞いた話では、王国が保有していた金塊の多くがすでに資源を輸入するために使われてしまっており、政府は国の管理下にある貴重な芸術品などを集め、外国に売ろうとしているらしい。
その中には、せっかく戦火から焼け残った、王国の歴史的に貴重な美術品の数々や、王家をはじめとする旧貴族階級から寄付されたものが数多く含まれている。
王国の歴史や文化が流出し、失われてしまうことになるが、王国には他にすぐに外貨に換えられそうなものはあまりなく、国家が破綻し、僕たちの生活が立ち行かなくなることを阻止するためには、止むを得ないという苦渋の選択だ。
王国の議会では、何なら王国の領土の一部を切り売りしてしまおうとする意見まで出ているということだった。
これにはさすがに慎重意見が多く、実現される見込みは小さい様だったが、そんな話が出てくるほど王国は切羽詰まっている。
全ては、僕には手の届かない話だ。
素晴らしいご馳走を思う存分味わうことができた楽しいパーティの翌日。
休日とされているその日を、僕はのんびりと過ごしている。
今日も日差しがきつかったが、少し風があり、木陰の下に入ると心地よかった。
僕は背の低い適当な木を見つけ、そこにハンモックを張って、昼寝を楽しんでいる。
高く、青く、澄んだ空に、白い雲。
青々と茂った木の葉の間から降り注ぐ木漏れ日。
月並みな表現だったが、今日は天候にも恵まれ、素晴らしい1日だ。
空を飛んだらきっと楽しかっただろう。
だが、僕たちが「休日」を言い渡されているのは、定期的にきちんとした休息をとるという目的の他に、王国で不足しがちな燃料を節約するという目的があるので、いくら飛びたくても我慢しなければならない。
僕はハンモックの上で寝返りをうつと、爽やかな夏の空気を肺の中いっぱいに吸い込んで、できるだけ難しい問題は忘れようと試みた。
やがて睡魔が襲ってきたころ、僕の耳に、飛行機のエンジンと、プロペラが回る音が響いてくる。
戦争中だったら思わず身構える様なことだったが、王国から連邦も帝国もすでに撤退を完了させているし、敵襲の心配はしなくても良くなっている。
王国で電力不足が起きているとは言え、防空レーダーは稼働しているし、よほどのことが無い限り、奇襲を受ける前に警報が発令される。
それに、聞こえてきた音は、聞き覚えのあるものだった。
王立空軍の主力爆撃機として、ベルランと同じく改良型が現役で活躍し続けている双発機のウルスが1機と、恐らくはその護衛なのか、ベルランが2機。
きっと、どこかの部隊の訓練か、それか、何かの連絡や人員輸送の飛行機だろう。
戦争が終わったはずなのに護衛機つきというのはなかなか厳重な警備だったが、まだ公式に休戦条約も講和条約も結ばれていないのだから、警戒することは少しもおかしなことではない。
いきなり飛んで来た3機は、どうやら近くの滑走路へと着陸して行った様だったが、僕たちには関係のないことだろう。
僕たちに関係のあることなら、ハットン大佐から事前に説明があるはずだった。
僕はそう思って、睡魔に身を任せることにした。
カシャリ、と、カメラのシャッターをきる音がしたのは、その時だ。
僕が薄く目を開くと、そこには、カメラを構えたライカがいつのまにかいて、決定的な瞬間を撮ってやったぞと、得意げな表情を浮かべていた。
「ライカ。僕の寝顔何か撮ったって、何にもならないんじゃないかな? 」
僕は眠かったから、すぐにまた目を閉じながら、少しだけライカに文句を言う。
僕に何の断りも無く寝顔を取られたことは少々不満ではあったが、相手はライカだし、よく考えると何も困る様なことではないので、睡魔の方が優先だ。
せっかくの休みにのんびりできるのだから、今はのんびりしたい。
戦争中は毎日、嵐の様に目まぐるしく、忙しいばかりで、こんな風に休める時間なんてほとんどなかった。
せっかく平和になったのだから、それを思う存分に楽しみたかった。
「あら、そうでもないわよ? いい思い出になるもの」
ライカはそう言うと、また、カシャリ、とカメラのシャッターをきった。
「私ね、なるべく形に残る様に、たくさんの思い出を持ちたいと思っているの」
「だから、カメラが好きなのかい? 」
僕は眠かったが、ライカとおしゃべりをするのは悪くない。
僕はうとうととまどろんだまま、恐らくは話し相手になって欲しくて僕のことを探しに来たのであろうライカとのおしゃべりにつき合うことにした。
「そう。……軍隊に入る時に、できるだけ思い出を残したいからって、お父様にお願いして、買っていただいたの」
ライカはそう言うと、また、カシャリ、とシャッターをきった。
僕は目を閉じたままだったから彼女が何を撮影したのか分からなかったが、今日の空は綺麗だったからきっと、空を撮ったのだろう。
「なるほど。いい買い物をしたんだね。でも、そんなにカシャカシャ撮って、フィルムは無くならないのかい? 」
「まだ平気。予備はたくさん買ってもらっていたから。でも、みんなとお別れになる前に全部、使い切っちゃうつもりよ」
ライカはそう言うと、また、カシャリとやった。
今度はいったい、何を撮ったのだろう?
それから彼女はしばらく無言で、何やらゴソゴソとやっている様だった。
フィルムでもきれたのだろう。新しいものと交換している様だった。
そして、彼女はもう1枚、カシャリ、と撮影する。
僕には少し不思議だった。
「ライカ。ここに、そんなに撮るものがいっぱいあるのかい? 」
「あるわよ? ……目の前にごろごろしている、面白い人がいるもの」
僕は目を閉じたまま、苦笑する。
僕はそんなに写真に残すほどの人間では無いと思うのだが、ライカはモノ好きだ。
後で何枚か欲しいとお願いしたら、今日の写真を僕にくれないだろうか。
それから、ライカはしばらくの間、無言になった。
写真を撮るのでもなく、新たな被写体を探してどこかへ立ち去るわけでもなく、僕のすぐ近くで、じっと立ちつくしている。
何かを迷っている様な、そんな感じがする。
昨日の夜、僕と話をしていた時も彼女は何かに迷っている様子だった。
今も、昨日と同じことで悩んでいるのだろうか。
僕はライカの悩みをできれば解決したいと思って、彼女の話を聞こうとしたのだが、結局、僕は彼女の力になることができなかった。
彼女がどうして悩んでいるのか。それを聞くことに僕はためらってしまった。
僕には、あと1歩を踏み出す勇気が無かった。
だが、ライカは、その1歩を踏み出す勇気を持っていた様だった。
気配だけでも、彼女が何か、重大な決心をしたことが分かる。
彼女ともずいぶん長く友人をやっているし、僚機として一緒に戦争を生き抜いてきたから、そのくらいのことはお互いに分かるようになってしまっている。
僕の眠気は、いつの間にかどこかへと吹っ飛んでしまっていた。
だが、僕は目を開くことができないまま、固唾をのんで、彼女の次の言葉を待っている。
「ミーレス、あのね……。大事な、大事な、お話があるの」
総員配置につけ、という号令のラッパが辺りに鳴り響いたのは、ライカがそう切り出した直後のことだった。