E-5「乾杯! 」
E-5「乾杯! 」
太陽が西の地平線に迫り、空が徐々に赤みを帯び始めた頃。
僕たちはそれぞれの仕事を終えた後、自分たちの手で切り開いた空地へと集合し、それぞれ思い思いの位置について、整然と一点を見つめていた。
視線の先にいるのは、ハットン大佐だ。
パーティをしようと言い出したのが誰だったのかは分からないが、部隊を一まとめにして強力に推進してきたのは大佐自身だったし、何より、僕たちの愛すべき指揮官、「親父」として慕われている人でもある。
その大佐から一言もらわなければ、僕たちはこのパーティを始めることはできない。
大佐はキンキンに冷えたビールがたっぷり注がれたジョッキを片手に木の切り株の上に立つと、僕たちを見回し、オホン、と軽く咳払いをした。
「えー、本日は、部隊の全員でこうして集まり、この様な場を設けることができたことを、大変嬉しく思います」
ハットン大佐が話し始める。
僕たちは、その様子を、固唾をのんで見守っている。
もっとも、真面目に大佐の話を聞いている人は、ほとんどいなかっただろう。
ハットン大佐が尊敬されていないということでは、もちろんない。
だが、僕たちの目の前には、相変わらず食糧は潤沢と言えない王国での普段の食生活からは想像もできない様な、僕たちの手で必死になって用意したご馳走が並び、グラスの表面に水滴がつくほどよく冷えたビールがあるのだ。
どちらに注目が行くのかは、議論の余地が無いだろう。
そんな僕たちの様子を、ハットン大佐は察したのか。
それとも、話しが長くなりそうなのはあくまでフリで、最初からそうする予定だったのか。
「以下、省略! 総員、カンパイ! 」
ハットン大佐は、戦争中の思い出話や、これからの王国の展望など、なかなか聞きごたえのある内容の話をしていたのを突如として切り上げ、ジョッキを高らかに掲げた。
広場に、歓声が満ちる。
ジョッキやグラスを持った人々が一斉にそれをかかげ、唱和する。
「カンパーイ! 」
かけ声とともに、ガチャガチャとビールの入れ物を打ち合わせる音が鳴り響き、ゴク、ゴク、という音を立てながら、黄金色の飲み物が人々の身体の中へと消えていく。
パーティは、アルコールと美味しい料理のおかげで、すぐに賑やかなものへと変わっていった。
僕も仲間たちと一緒にご馳走にかぶりつき、戦争のことも任務のことも忘れて、陽気に笑い合った。
実を言うと、こういうパーティを開いているのは僕たちだけではない。
どの部隊でも中途半端な状態で延々と続いている任務で退屈しており、僕たちがパーティを計画していることを知ると、同じ様な計画を次々と立案し、実行に移していった。
僕たち301Aが使っている場所の両隣にある部隊でも僕たちと同じ様にパーティを開いているし、他の部隊でも日程を定め、着々と準備を進めている。
軍隊という組織の性格上、こういったことはあまりよろしくないのかもしれないが、僕たちは機械ではなく感情を持った人間である以上、羽をのばすことも必要だった。
士気を維持する上で有効と判断されたためか、各部隊でパーティが計画され始めた時、軍の上層部からも、非公式ではあるものの実施を許可するような通知がなされている。
戦争は終わったはずなのに、僕たちはその影におびえ続けなければならない。
そんな状況にうんざりしているのは、僕らだけではなく、王国中がそうだった。
戦争が終わってすぐのころはまだ緊張感もあったし食糧不足が続いていたからこんな気分にはならなかったが、1年も経つと少しは空気も変わって来る。
民間でもこういった気持ちは高まっている様で、物資が乏しいながらも何とか工夫して、いろいろなお祭りやイベントをやっているのだそうだ。
苦労して用意したご馳走は、それはもう、美味しかった。
鹿や猪など、普段はあまり食べない様な野生の動物のお肉がほとんどだったが、適切な方法で調理されたそれらは嫌な臭みがきちんと抜けていて独特の風味だけが程よく残されており、その味わいを存分に楽しむことができる様になっている。
中でも気に入ったのが、鴨肉のピザだった。
甘辛く味付けした鴨肉と、僕たちの部隊が育てたトマトで作られたピザは、物資不足のせいでチーズなどはあまり乗っていなかったものの、生地もパリッと焼きあがっていて芳ばしく、具材も新鮮でジューシーで、美味しい。
残念なのは、あっと言う間に食べつくしてしまったことだけだ。
楽しい夜だったが、僕はやがて、ライカの姿がどこにも無いことに気がついた。
彼女は僕たち、ナタリアやジャック、アビゲイル、僕などと一緒のテーブルを囲み、楽しくおしゃべりしながら食事をしていたはずなのだが、いつの間にかどこかへ行ってしまった様だった。
何となく、物足りない。
そう感じた僕は、ライカを探すために、仲間たちに一言挨拶してからテーブルを離れた。
ライカともおしゃべりをしたかったというのもあるが、少し、彼女のことが心配だった。
ライカは僕たちと少しものの見方が違うためなのか、第4次大陸戦争が未だに続いていることに深刻に心を痛めている。
そういう気持ちは僕にもあるにはあったが、ライカほど真剣には考えていない。
連邦も帝国も、僕らには共感できない理由で、彼ら自身の都合で戦っているのだから、どうなろうと僕らには関係ないというのが、正直なところだ。
自分や王国の行く末で不安になることはあっても、ライカの様に大きな視野を持ってものを考えることはしない。
だが、せっかくのパーティだ。
ライカが悩んでいるのだとしても、今日くらいは楽しんで欲しかった。
僕たちは1つの家族として日々を過ごしているが、それも、いつかは終わってしまうのだ。
楽しい思い出は、できるだけたくさんあった方が良い。
ライカは、すぐに見つかった。
彼女は、アヒルたちが暮らしている池の近くにいた。
1年ほど前、ライカと一緒に座って話をした倒木にライカは腰かけていて、何だかどこか物憂げな様子で、池の方を眺めている。
彼女の視線の先には、池に住むアヒルたちの姿がある。
彼らは夜の訪れが近づいてきたことで背の高い葦などの植物の間に潜り込み、眠る準備をしている様だ。
その中には、ブロンも混じっている。
彼は僕たち301Aのマスコットで、僕たちにとっては無くてはならない存在となっていたが、ここ、鷹の巣穴での暮らしが長くなるうちに、元々そこで暮らしていた彼の仲間たちにすっかり溶け込んでしまった様だ。
1年前、彼は彼女を作った。
そして今では、6羽のかわいらしい雛鳥たちを子供に持つ、立派な父親だ。
今も、彼は何だか責任感のある凛々(りり)しい顔で、葦の間に潜り込んで寝床を整えている彼の家族を見守っている。
ブロンは牧場育ちだったが、家族のために周囲を警戒するという野生では当たり前の行動を、自然に取ることができている様だ。
アヒルは天敵に対して反撃する手段をほとんど持たず、いざ、天敵が現れても、ブロンに出来ることと言えば囮となって時間を稼ぐことでしかない。
だが、ブロンの表情には、例えそんな不利な戦いでも精いっぱいやり抜くという決意が浮き出ている。
ブロンと同じ様に真っ白な羽を持つ彼とつがいのアヒルは、ブロンに見守られながら雛鳥たちの世話をし、雛鳥たちは母親と父親に見守られながら、幸せそうにまどろんでいる。
自然界にアヒルの天敵は多いが、このまま健やかに育ってくれればと、そう願わずにはいられない。
何とも微笑ましい光景だったが、ライカの横顔は、嬉しそうでは無い。
彼女はブロンたちを眺めてはいるものの、実際には、別の何かを見ているのだろう。
僕は、ほんの数秒だけ、そんな彼女の横顔を眺めていた。
だが、すぐにそれではいけないと自分を戒め、1歩前へと踏み出す。
「やぁ、ライカ。ここにいたのかい? ブロンを見ていたの? 」
僕がなるべくさりげなく声をかけると、ライカは僕の接近にやっと気がついたようで、少し驚いた様な顔で僕の方を見上げた。
「う、うん、そんなところ。……ミーレス、あなたはどうしてここに? 」
「君がいなくなっちゃったから、どうしたのかなって思って。……隣、座ってもいいかい? 」
「いいけど」
ライカはそう言うと、少し座っている位置をずらして、僕に場所をあけてくれた。
倒木には枝が残っていて、その場所の関係で、2人で並んで座るためには少し場所を詰めないといけないのだ。
「ありがとう、ライカ。……何か、悩んでいるみたいだったけど、やっぱり、戦争のことかい? 」
「……。んー、それも、すっごく心配だけれど、今考えてたのは、違うこと」
僕が彼女の隣に腰かけながらたずねると、ライカは小さく首を左右に振った。
僕は予想が外れて、少し意外な思いだった。
ライカは連邦や帝国の人々が戦争で傷つき、倒れていくことに心を痛めていたから、今もそのことで悩んでいるのだとばかり思っていたのだ。
「ライカ。良かったら、僕が話を聞こうか? ……えっと、僕に話せることだったらで、いいんだけど」
僕は少し悩んでから、そう切り出す。
ライカには、1年前、この同じ場所で、僕の悩みを聞いてもらったことがある。
彼女の悩みが僕の手に納まることなら、僕は彼女の力に喜んでなりたかった。
ライカは、少しの間悩んでから、ポツリと言った。
「私が悩んでいたのは……、自分の、将来のことなの」