20-20「左目」
20-20「左目」
「おじさまっ! どうして、私じゃないんですか!? 」
ハットン中佐から作戦に参加するパイロットの名前を伝えられた瞬間、大声をあげながら、椅子を蹴る勢いで立ち上がったのはライカだった。
彼女が抗議するのは、当然だ。
パイロットの人選だったが、ジャックとアビゲイルが外されたのは、これは仕方の無いことだ。
本人たちの気持ちはともかく、2人共、雷帝との戦いで負傷しており、万全の状態ではないからだ。
だが、ライカは、負傷などしていないはずだった。
ライカの実力は301Aの中で誰にもひけをとらなかったし、雷帝との戦いに出撃できるだけの技量を持っている。
それなのに、出撃するメンバーから外された。
ライカがそのことに怒るのは当然だったし、僕も意外だった。
その上、ライカの代わりに出撃するのが、ハットン中佐だというのだ。
ハットン中佐は僕たちを指揮することで十分に力を発揮してきたが、パイロットとしても十分な経験と技量を持っていることも明らかだった。
中佐はこれまでに僕らを支援するために何度もプラティークで飛行しており、熟練したパイロットとしての腕前を示して来た。
だが、プラティークは偵察・連絡機であり、戦闘機ではない。
ハットン中佐が優れた指揮官でありパイロットでもあることに少しの疑いも無かったが、だからと言って、戦闘機の操縦まで優れているとは限らなかった。
それに、ハットン中佐は、パイロットとしては高齢だ。
すでに40歳以上という年齢であり、急な空戦機動などを行わない機種ならともかく、目まぐるしく曲芸飛行をくり返す戦闘機での戦いでは、体力的に難しいだろう。
しかも、これから行う出撃は、飛行時間の長い出撃の連続となることが決まっている。
機体に臨時の燃料タンクを増設し、無理やり滞空時間を延ばすとい作戦を決めたのは、ハットン中佐自身だ。
だから、これから行われる出撃が過酷なものとなることは、中佐が一番よく知っているはずだ。
もっとも、作戦が過酷なものとなるからこそ、ハットン中佐自身が出撃したいということなのかもしれなかった。
ハットン中佐らしいとは思ったものの、そういう中佐だからこそ、雷帝との戦いは僕たちに任せて欲しいと思った。
部下だけに命は賭けさせないという姿勢は立派だと思うし、僕は中佐をより尊敬したい気持ちになったが、年齢という誰もが避けようのないハンデを背負って無理に出撃し、それが原因で戦死することになりでもしたら、1人の部下としてはとても喜べない。
だが、ライカが外されることになったのは、ハットン中佐の責任感だけが原因ではない様だった。
「ライカ。何でお前がメンバーに選ばれなかったのかは、お前自身が一番よく知っているはずだ」
そう言って立ち上がったのは、レイチェル大尉だった。
「そんなっ!? 大尉、私のっ、私の家のせいですかっ!? 」
「違う。王立軍ではそんな家柄で特別待遇はしない。仮の話だが、お前が王族だったとしても、そういうことはしない。建前かも知れんが、少なくともあたしはしない」
抗議しようとするライカを、レイチェル大尉はそう言って制止し、それから、命令する。
「ライカ。お前、右目を閉じろ」
「えっ!? ……た、大尉、いったい、何を言って……」
「いいから、閉じろ」
レイチェル大尉からの命令に、ライカはどこか焦った様子だったが、改めて強い口調で命じられると、何だか深刻そうな表情で右目を閉じた。
レイチェル大尉はライカが右目を閉じたのを確かめると、突然、自身の右手で拳を作り、振り上げて、ライカの顔面を目がけて突き出した。
突然のことに、僕は思わず立ち上がって身構えてしまう。
だが、レイチェル大尉は、ライカを殴ろうとしたわけでは無かった。
レイチェル大尉の拳は、ライカの顔の数センチ手前で停止している。
ライカは、レイチェル大尉から殴られそうになったのにも関わらず、身じろぎひとつせずに立ったままだった。
「えっと……、た、大尉? いったい、何を……? 」
戸惑った様なライカの左目の前で、レイチェル大尉は親指と人差し指を立てて見せる。
「ライカ。今、あたしの指は何本立っている? 」
「えっと……」
「言っておくが、右目を開くんじゃないぞ。すぐに分かるんだからな」
ライカは言い淀んで、何だか焦っている様だ。
「さっ……、3本です! 」
そして、数秒後。
ライカは、すぐ目の前にあるレイチェル大尉が立てている指の数を、間違えた。
「やっぱり、そうか。……ライカ、お前の左目、ほとんど見えてないんだろ? 」
僕は、思わずライカの横顔を凝視してしまった。
僕が見ている前で、ライカはうつむいて両眼を閉じ、小刻みに身体を震わせ、両手が白くなるほど強く拳を握った。
それから、彼女の双眸から、涙が溢れ出す。
ライカはレイチェル大尉の指摘を否定も肯定もしなかったが、その仕草で、疑いを持つ余地は無くなった。
ライカは、今、左目がほとんど見えていないのだ。
目は、パイロットにとってはもっとも大切なものだ。
視力に優れていれば、敵機の姿をより遠くから発見することができ、戦いをより有利に進めることができる。
それに、目まぐるしく位置が入れ替わる空戦の最中に、敵機の姿を見失わず、自機と敵機との距離感と位置関係を把握し続けるためにも、目は大切な役割を果たす。
敵を攻撃するために照準をするのにだって、目を使わなければどうにもならない。
その視力を、片目とはいえ、失ってしまっている。
それは、パイロット、特に戦闘機パイロットとしては、致命的なものだった。
僕は、自分自身を恥じた。
僕はライカの僚機であり、彼女ともっとも近い場所にいるはずの人間だった。
その僕は、ライカの左目がほとんど見えないということに、少しも気がついていなかった。
思い出してみると、確かに、そういう様子はあった。
ライカが僕の不安を聞いて、励ましてくれた時、彼女は地面の木の根っこに気がつかず、転びかけた。
あの時、木の根っこにひっかけてしまったのは、ライカの左足だった。
ライカは、カルロス曹長を失った戦いがあってからずっと、左側がよく見えていなかったのだ。
「そういうわけだから、ライカ。お前を出撃から外す。……お前、ここ何日か、相当、無茶をしていただろう? 医者にきちんと見てもらわんと、本当に失明することになる。今からでもいい、軍医のところに行ってこい」
ライカの目の前に突き出していた手を引っ込めたレイチェル大尉は、ライカにそう言って命令した。
それから、僕らの方へと顔を向け、大尉は言う。
「安心しろ、お前ら! 我らが指揮官殿は、以前は戦闘機のパイロットだったんだ。今の機体に乗れるかどうか、僭越ながら改造機をテストする時に試させてもらったが、十分にやれるとあたしは判断した。あたしはもちろん、中佐も、雷帝と刺し違えて勝とうなんざ思っちゃいない! 必ず、勝って帰ってくるつもりだ! 明日は改造機で訓練を行うが、明後日には出撃することになる! 心得ておけ! 」
僕は、驚きもあって、レイチェル大尉の方針に何も反論することができなかった。
ライカは、ずっと、無言のまま、顔を俯けている。
その頬を、途切れることなく、涙が伝っていく。
悔し涙だった。
誰もが、ライカに何と言って声をかければいいのか分からないまま、無言で、彼女を見つめている。
僕たちはこれまで、ずっと一緒に戦ってきた仲間だった。
だから、こんな形で戦列を離れることになってしまったライカの気持ちは、よく、分かる。
「ミーレス! 」
「はっ、はいっ! 」
突然、レイチェル大尉から声をかけられ、僕は反射的に姿勢を正していた。
そんな僕に向かって、レイチェル大尉は命じる。
「ミーレス、お前、ライカの僚機だろう? だから、これはお前にしかできん役割だ。ライカを軍医のところまで連れ行け。……いいな? 」
僕を真っ直ぐに見ながら言うレイチェル大尉に、僕は、頷いて見せる。
それは、確かに、僕にしかできない役割だった。




