6-2「巣立ち」
6-2「巣立ち」
新たに、301Aという部隊を編成することになった僕らに与えられた最初の任務は、住み慣れたフィエリテ第2飛行場を離れることだった。
移動のために与えられた準備時間は30分と、わずかな時間しか無かったが、僕らは誰もそのことで悩んだりはしなかった。
何故なら、僕らの宿舎は爆弾が命中し、破壊されて、私物らしい私物はほとんど残っていなかったからだ。
当然、身の回りの持ち物をまとめる、とか、そういう手間はほとんどない。僕らがバンカーの前に再集合した時、時間にはかなり余裕があった。
「何だ、お前ら。何も持ってこなかったのか? 」
あまりに早く再集合し、かつ、ほとんど手ぶらで帰って来た僕らを見たレイチェル中尉は、怪訝そうな顔をした。
「それが、中尉殿。宿舎が爆弾の直撃を受けまして、荷物はほとんど残ってないんです」
「そうか。そりゃ、気の毒だったな。……まぁ、向こうについたら、服とか、支給品の申請はしといてやる」
ジャックの答えに、レイチェル中尉は肩をすくめて見せた。
「よぉし、それじゃ、出発するぞ。滑走路はまだ埋まりきってないから、誘導路から離陸する。なぁに、誘導路からでも離陸できるっていうのは、空襲の時あたしがやって見せただろう? 落ち着いてやればおまえらでもできる。機体の説明は整備員がやってくれるし、最終チェックも整備員がやってくれているから、お前らは何も考えず、とにかく飛べばいいだけだ! 各員、ただちに搭乗を開始しろ! 敵の再攻撃が来る前に移動する! では、かかれっ! 」
中尉の掛け声と共に、僕らは機体へ向かって駆け出した。
ジャックが機体番号288番、アビゲイルが289番、ライカが290番、僕が291番に搭乗する。
エメロードⅡの主翼は、胴体の下側から左右に張り出している。その主翼に、機体の後ろ側から、胴体側面に設けられた足掛けを使ってよじ登り、操縦席に入り込む。
いくつか違うところはあるが、レイチェル中尉が言っていた通り、エメロードⅡの操縦席の配置は、僕が今まで乗っていたエメロードとほとんど変わりが無かった。ぶっつけ本番だったが、これなら、何とかなりそうだ。
機体のチェックをしていると、整備員の1人が主翼によじ登って来て、僕に機体の簡単な説明をしてくれた。
本当に簡単な説明で、失速速度が何キロだとか、離陸時、着陸時の速度は何キロから何キロが適正だとか、そういう、とりあえず今必要な情報だけだ。
とにかく、いつ、次の攻撃があるか分からないから、こういう手短な説明になったのだろう。
詳しいことは、目的地に着いてから説明書とマニュアルに目を通してくれ、と言われ、差し出された冊子を受け取った僕は、整備員にお礼を言うと、それを座席下のスペースに押し込む。
操縦桿の握り心地を確認し、少し動かしてみて、操縦系がきちんと動作していることを確認する。それから、僕は、飛行帽と無線装置の位置を直し、額の位置にあったゴーグルを下ろした。
《全員、準備はいいか? 各員、応答せよ》
《ジャック機、準備完了です》
《アビゲイル、いつでも》
《ライカ機、大丈夫です》
《ミーレス機、準備完了》
無線越しの中尉の確認に、僕らは順に答えていった。
《了解した。なら、出発するぞ。……こんな形になったのは残念だが、お前らにとっての巣立ちの時期だ。誘導してやるから、まずは、しっかりとあたしについて来て見せな! 全機、誘導路へ進入開始! 》
レイチェル中尉は僕らにそう告げると、周囲の整備員たちに合図を出し、整備員たちは機体の輪止めを取り外す。
中尉の乗ったエメロードⅡは徐々に前進を開始し、誘導路へと向かっていった。
ジャック、アビゲイル、ライカと、順々に輪止めを外してもらい、中尉に続いて誘導路へと進入していく。
僕も整備員たちに合図を出し、機体をバンカーから発進させた。
「おーい、若いの! うまくやれよ! 」
輪止めを外してくれたベテランの整備員が、そう言って、帽子を振りながら見送ってくれた。
「はい! 今までお世話になりました! 」
僕は快調に回るエンジンの音に負けない様に声を張り上げて別れの挨拶をし、見送ってくれた整備員たちに敬礼をした。
僕は、彼らの多くとは直接の面識を持たなかったが、僕が日々、飛行機に乗って訓練に励むことができたのは彼ら整備員のおかげだ。名前を知らずとも、彼らと僕は仲間だった。
見送ってくれる仲間たちの姿を目に焼き付けるようにしながら、バンカーを出た僕は、レイチェル中尉の機体に従って進路を誘導路へと向けた。
レイチェル中尉を先頭に、5機のエメロードⅡが縦1列に並ぶ。
《全員、ついて来てるな? 管制塔はやられちまったから、あたしの判断で離陸する。全員、フラップはちゃんと全開にしてあるだろうな? 確認しろ》
言われて、僕は、まだフラップを下ろしていなかったことに気付き、慌ててフラップを下ろす操作をした。
フラップというのは、飛行機の主翼につけられている装置の一つで、翼の形状を変更することでより大きな揚力を得て、離陸や着陸をやり易くするための装置だ。
実は、無くても飛び立てるのだが、あった方が短い滑走距離で済むし、簡単に離陸できる。
《ジャック、確認良し》
《アビゲイル機、同じく》
《ライカ機、大丈夫です》
《ミーレス、問題ありません》
《了解した。では、各機、離陸に移れ。エンジン全力! 各機、あたしについて来い!》
レイチェル中尉はそう言うと、乗機のエンジンスロットルを最大に上げ、滑走を開始する。
僕らも、離陸のために安全な距離を開けながら、順になって中尉についていく。
エメロードⅡは尾輪式で、離陸開始前は尾輪が地面についているので僕は斜め上を向いた状態で操縦席に座っていたが、滑走を開始すると機体が揚力を得て尾輪が浮き上がり、僕の姿勢が水平に変わる。
まず、中尉の機体が空中に飛び上がった。続いて、ジャック機が飛び上がり、順調に高度を取っていく。
アビゲイル機がそれに続く。少しの時間を置いて、ライカ機も飛び上がった。
僕は、速度計を何度も確認し、機体の速度が整備員から教えてもらった速度に到達したのを確認すると、操縦桿を軽く引いた。
僕の乗ったエメロードⅡは、ふわっと空中へ浮かび上がる。
何か、空中に浮かび上がった手ごたえとか、抵抗とか、そういうのは何も無い。すっと機体は浮き上がり、キャノピー越しに見える地面が、どんどん遠ざかっていく。
前方に見える僚機たちを追いかけながら、僕は、後ろを振り返って、住み慣れたフィエリテ第2飛行場を眺めた。
訓練で、僕はこの場所から何度も飛び立ち、春夏秋冬、様々な姿を見て来た。
だが、今は、これまでの面影も無い。
基地では今も火災が収まらず、幾筋もの黒煙が蒼空に立ち上っていた。
施設は残骸と化し、この場所へ帰って来る度、ほっとする様な心地になったかつての姿はどこにも見当たらない。
地上でも同じように感じたが、あまりにも無残な姿だ。
1年と少しの間、その場所は、確かに僕の家だったのに。
これは、不本意な巣立ちだった。
僕は、こんな形で、この場所を離れることなど想像したことも無かったし、望んでもいなかった。
だが、そういう状況になってしまったのだ。
僕は、思い描いたことすらなかった様相を示す現実と、戦わなければならない。
《よォし、全員無事に離陸できたな? 上出来だ。着陸も、進入速度を守っていれば難しくはないさ。あたしがお手本を見せるしな》
中尉はそう言いながら、機体を水平飛行にし、フラップをしまって、機体の車輪も格納した。
僕らも、機体が十分な高度と速度を得たので、中尉にならって機体を水平にし、フラップと車輪を格納する。安定飛行中は、空気抵抗になるものは少しでも減らした方がいい。
《このまま、高度は1000、方位を225に取る。各機、エンジンスロットルを落とし、燃料の供給を巡航に変えろ。飛行予定時間は30分以内だ》
中尉の口ぶりからすると、僕らの目的地は、フィエリテ第2飛行場から200キロ以内にある場所らしかった
僕らの新しい家がどんな場所かは、とにかく、ついてみなければ分からない。
僕は、レイチェル中尉の指示通り、機体の速度を調整して巡航速度に移行しながら、僚機たちと共に進路を225、南西へと取った。