6-1「301A」
6-1「301A」
王国の平穏は、終わった。
今日、この瞬間から、王国は第4次大陸戦争という巨大な惨禍の渦中となった。僕も、僕以外も、皆、等しく、この戦争という、これ以上無く愚かな行為に向き合わなければならない。
未だに燃え盛る炎と、青い空に立ち上る黒煙。死と、破壊と、隣り合わせの日常。
春の転寝のような平穏から、身を切り裂く様な暴風の中へ。
だが、僕は、どうすればいい?
この、僕のちっぽけな存在などまるで意に介さずに驀進する状況の中で、僕は何をするべきなのだろうか?
もし、僕がたった1人だったら、ただ、途方に暮れるだけだっただろう。
だが、僕は、まだ候補生とはいえ、イリス=オリヴィエ連合王国、王立空軍のパイロットだ。
僕は、兵士なのだ。
戦時下において、兵士が何をするべきかは、上官が決める。
この点、軍隊組織というものは、悩まなくて済む。
それがいいか、悪いかは、また別の話ではあるのだが。
多くの仲間を失い、惨憺たる敗北を受け、不機嫌そうに煙草を吸っていたレイチェル中尉が僕らに集合をかけたのは、ちょうど、開戦したことを告げるラジオ放送が終わる頃だった。
火のついた煙草を咥えたまま、僕らを呼びに来た中尉は、僕らをバンカーの前へと集合させた。
レイチェル中尉がバンカーの側に立ち、中尉に向かい合う形で僕らが一列に並ぶ。右からジャック、アビゲイル、ライカ、僕の順だ。
フィエリテ第2飛行場の諸々の設備の中で、唯一被弾を免れたバンカーの中では、5機のエメロードⅡが発進前の暖機運転を行っていた。
1機は、中尉が搭乗して敵機の迎撃に当たった、エメロードⅡ283号機だ。
残りの4機は、戦闘中はまだ組み立て中で、プロペラがついておらず、バンカーの奥で眠っていた機体だ。
機体番号288番、289番、290番、291番の4機で、あれから整備員たちが突貫で仕上げたのか、プロペラが取り付けられ、今は快調に回転させている。
「よォし、お前ら。よーく、聞け! まずは、悪い知らせと、悪い知らせ、そして、悪い知らせがある! 」
僕らが整列するのを確認すると、レイチェル中尉は、背後の戦闘機があげる爆音に負けないように声を張り上げた。
「1つは、既に知っているだろうが、我が王国が戦時に突入したということだ。それも、連邦、帝国、双方から宣戦布告を受け、現在、西部国境と東部国境で、地上部隊同士の戦闘が発生している。もう1つは、先の攻撃で、フィエリテ近郊に展開していた王立空軍は壊滅的な大打撃を被ったということだ。いいか、もう1度言う。王立空軍は壊滅状態だ。そして、もう1つ。……ここで、さっきの攻撃で無事だったパイロットは、あたしらだけだ」
状況が悪いことはもう周知のことだったから、前2つの悪い知らせを聞いても、僕らは誰も驚かなかった。
既にラジオ放送で聞いていた内容でもあったし、煙草をくゆらせながら仁王立ちしたレイチェル中尉が、あまりにも泰然としていたため、動揺する気も起きなかったのだ。
だが、3つ目の悪い知らせには、僕らは耳を疑う他は無かった。
「あの……、中尉殿? 無事だったパイロットが俺たちだけ、というのは? 」
僕らの疑問を代表するかのように、ジャックが、おずおずと質問する。
「言った通りの意味だ」
中尉はめんどうくさそうに、煙草を上下に揺らしながら答える。
「他は全員、戦死したか、負傷して病院送りになった。飛べるのはあたしら5人だけだ」
まるでどうでもいいことの様な口ぶりだったが、僕には大きなショックだった。
このフィエリテ第2飛行場には、僕らの様な候補生も含めれば、3ケタを優に超える数のパイロットがいたのだ。
それが、僕らだけ。
無事なのは、たった5人だけなのだ!
「こんなことでビビってんじゃねぇぞ!? 」
レイチェル中尉は咥えていた煙草を地面に吐き捨て、ぐしゃっと踏みつぶすと、動揺する僕らを怒鳴りつけた。
「戦争はもう始まっちまってる! 泣こうがわめこうが、あたしらだけで戦うしかないんだ! ビビってる暇があったら、自分が何をするべきかを考えろ! 」
中尉の言う通りだ。
事態は、既に動き始めている。僕らがここで右往左往しても何の解決にもならないばかりか、空虚に時間を浪費し、ただただ状況を悪化させるだけにしかならない。
だが、僕らは、どうすればいいのか?
その点について、幸いにも、中尉は方針を持っていた。
「いいか、よく聞け。あたしらがどうすればいいかは、もう、指示が来ている。というより、お前らを集めたのも、今後の方針が決まったからだ。手短に言うぞ」
中尉の言葉に、僕らは意識を集中し、自然と姿勢を正した。
「まず、第1に、お前ら4人は今日、この時を持って、パイロットコースを終了し、正規のパイロットに格上げになる。これにより、お前らは一等兵の階級が与えられる。本当なら伍長スタートなんだが、臨時の格上げだから少し変則的な扱いになる。ここまではいいか? 」
中尉の問いかけに、僕らは頷いて肯定の意を示した。
「よろしい。それで、我が王立空軍だが、本日ただいまより、残存兵力を整理し、防空体制強化のための再編成を実施することになった。お前ら4人は、あたしの指揮下に入り、壊滅した第1航空師団に編入。同師団隷下の第1戦闘機連隊、その第1大隊所属のA中隊を編成する。略符号は301Aだ。王立空軍における1個飛行中隊の定数は12機だが、現状それだけの数を揃えられないため、当面はこの5人だけで中隊を組織する。使用する機体は、今、あたしの後ろで暖機している5機だ」
301A。飾りっ気も何も無い無機質な符号が、ジャック、アビゲイル、ライカ、そして僕の4人と、それを指揮するレイチェル中尉に与えられた部隊名だ。
これまでの僕らは候補生に過ぎなかったが、301Aに所属することによって、その身分を卒業することになる。
雛鳥に過ぎなかった僕らが、一人前の翼として扱われることになるのだ。
それが、不本意な形であろうとも、僕らはもう、自分自身の力で飛ばなければならない。
中尉は一旦言葉を区切ると、僕らが話の内容を理解するのを待ってから、話を再開する。
「そこで、我々301Aに司令部から下された命令は2つ。1つは活動拠点をフィエリテ第2飛行場から移動すること。これは、こちらの航空戦力の活動を抑制するため、敵が反復攻撃を実施して来ることが予想されるため、ただちに実施する。2つめは、数日間機種転換訓練を実施し、機体を扱えるようにすることだ。本来であれば、機種転換訓練には数カ月を要するが、事態が急を要するため短縮する。幸い、エメロードⅡの操縦席の配置は、お前らが使っていたエメロードとほとんど変わらん。飛行特性は違うが、まぁ、変な癖は無いからすぐに慣れるはずだ。想定される任務のためにとりあえずは要点だけを教えるから、しっかり頭と体に叩きこめ。……では、質問はあるか!? 」
「中尉殿。よろしいでしょうか? 」
僕が挙手をすると、中尉は無言のまま、あごをしゃくって発言を促す。
「活動拠点を移すということですが、僕らはどこへ移動になるのでしょうか? 」
「それは、飛べば分かる。……場所はあたしが誘導するから、お前らは黙ってついてくればいい。教えてやれなくてすまんが、口で説明するのはどうにも難しい場所でな。……他にはあるか? 」
今度は、アビゲイルが挙手をした。中尉は再びあごをしゃくって発言を促す。
「今後、我々が実施することになる任務とはどんなものでしょうか? 」
「戦闘機乗りの本分は空中戦だが、現在の状況を鑑み、臨機応変に対応する。今までみたいに空中戦を想定した訓練はしない、とだけ言っておく。その点だけ覚えておいてくれ。……他は? 」
今度は、誰も挙手をしなかった。
レイチェル中尉は頷くと、声を張り上げ、僕らに行動の開始を命じた。
「よォし、なら、ただちに行動しろ! 各員、最低限の荷物をまとめて、30分後にここに集合だ! 集合し次第、即座に離陸する。ぶっつけ本番なのは気の毒だが、やってもらうしかない! 気合入れろ、お前ら! 」
「「「「はい! 」」」」
僕らは答え、敬礼すると、すぐさま駆け出した。