16-7「妹」
16-7「妹」
僕らの間にそれ以上の言葉は必要なかった。
ただ、僕らはお互いに駆けより、お互いを抱きしめて、久しぶりの再会と、その無事を喜び合った。
ああ、今日は、何て素晴らしい日なのだろう!
僕は、家族のことがずっと心配だった。
どこで何をしているのか、生きていてくれているのか、不安で仕方がなかった。
だが、少なくとも僕の妹のアリシアはこうやって僕の目の前にいて、しかも、とても元気そうだ!
しばらくの間ハグをした後、僕から身体を少し離したアリシアは、よほど再会できたことが嬉しかったのか涙ぐんでいた。そばかす交じりの頬が少し赤い。
「兄さん、本当に、久しぶりね! 兄さんはパイロットだから、ずっと前線で戦っていたのでしょう? だから、ずっと心配していたの! 」
「僕もだよ、アリシア。故郷は戦場になってしまったし、みんなどうなってしまったのか、ずっと不安だったんだ。母さんや、他の弟や妹たちは無事なのかい? 」
「ええ! みんな無事よ、兄さん」
僕らがそうやってお互いの再会を喜び合っていると、かたわらからコホン、と、ライカが咳払いをするのが聞こえた。
「えっと、2人共? 家族と再会できて嬉しいのは分かるんだけど、話すのは別の場所にした方がいいんじゃない? 」
僕らはライカにそう言われて初めて、周囲にいた人々から奇異の視線で見られていることに気がついた。
僕らは兄妹だったから、こうやってハグをするのは王国でも普通のことだ。だが、2つか3つくらいしか年が離れていなかったし、事情を知らない人から見れば、ちょっと見境の無い男女に見えているかもしれない。
僕らは慌てて離れると、ライカの助言に従って場所を移すことにした。
幸い、手近なところにベンチがあったので、僕らはそれに腰かけることができた。
基地で使われている車両が格納されているガレージの脇にあるベンチで、どうやら作業員たちが休憩などで使うために置いているものの様だ。
僕らは3人でベンチに腰かけ、偶然の出会いを喜び合った。
基地には防犯のために外部との出入りができる門限が定められており、基地の外で暮らしているアリシアはその時刻までにゲートにいなければならなかったから、あまり長い時間おしゃべりをしていることはできなかった。
だが、限られた時間の中で、僕はできる限り、アリシアから家族の近況について教えてもらうことができた。
僕の家は、父さんと母さん、僕とアリシア、それに弟が2人に妹がもう2人の、8人家族だった。
僕はパイロットとして軍に勤務していたし、父さんは他の人々と共に故郷の街を守るために残ったから、アリシアたちは6人で王国の南部へと避難していた。
父さんと分かれ、徒歩と軍が用意した移送用のトラックによる移動などでフォルス市までたどりついたアリシアたちは、最初はそこで過ごすつもりでいたそうだ。
だが、フォルス市に前線が近づくのに連れて、念のためにさらに南へと避難しようということになった。
フォルス市から南へ向かって、王国が避難民向けの列車の運行を続けていたということも、その判断を後押ししたらしい。
アリシアたちは王国の政府が用意した避難用の列車でタシチェルヌ市まで避難してきて、今はそこに留まっているということだ。
タシチェルヌ市には王国の北部から避難してきた人々用の難民キャンプが幾つも設営されており、今はそこが家族の家になっているということだ。
家と言っても、戦争で急に発生したたくさんの難民を受け入れるために作られたものだから、簡単なテントでしかない。しかも、僕の故郷から一緒に避難してきた別の家族と一緒なのだそうだ。
同居しているのは僕らの家のお隣さん(と言っても数キロメートルは離れている)の老夫婦で、父さんと母さんが牧場を始めたころにいろいろとお世話をしてもらった親切な人たちだったから、テントでの生活はうまくやれているということだ。
王国では難民の受け入れ態勢の強化を続けているが、戦災を受けて避難せざるを得なかった人々は多く、とても間に合っていないらしい。
難民キャンプでは食料の配給があり、最低限の衣食住は何とか保証されていたが、とても十分な暮らしができる様な状態では無かった。
そこで僕の家族たちは、あちこちに働きに出かけることにしたのだそうだ。
物は何もかも足りていなかったし、あまり快適ではない難民キャンプでじっとしているよりも、外に出稼ぎに出た方がよほどいいという考えだった。
それは、王国の政府も奨励していることだった。
避難民向けのキャンプが多く作られているタシチェルヌ市の周辺は王国にとっての主要な産業地帯で、戦時となって様々な兵器や弾薬などの物資をできるだけ多く作らなければならない王国では、より多くの労働力を欲していた。
そういう事情で、難民キャンプでは毎日の様に働き手の募集が行われていた。給料も控えめだが妥当と思える額は受け取れる様になっており、僕の家族と同じ様に募集に応じている難民たちは多いということだ。
アリシアが僕のいる基地で働いているのは、ちょうど、このクレール第5飛行場の厨房で料理人として働ける人の採用が行われていたためだった。
これは、僕ら第1航空師団が再編成のために後退してきて基地に駐留する人員が急に増えたため、基地の炊事班が一気に多忙になってしまっていたからだ。
給与は他と比べて良いというわけでは無かったが、アリシアは料理をするのが好きだったし、しかも住み込みで働けるように基地の近くに住居も用意されるという魅力的な条件がついていた。
僕は少しも気がついていなかったのだが、アリシアがこの基地にやって来たのはここ数日のことでは無い様だ。
僕の家族たちは他にもいろいろな場所で働いているということだった。
僕の4つ下の弟は港で荷役の作業を手伝っているし、5つ下の弟は難民キャンプで難民たちの洗濯物を手伝っている。あとの2人の妹は何かの仕事を手伝うには少し幼過ぎるということで、もっと小さな難民たちの子供の面倒を見ながら過ごしているのだそうだ。
母さんとアリシアはキャンプの外に住み込みで働きに出ているということだったから、残った弟や妹たちは、4つ下の弟が責任者となって監督し、同じテントで寝起きしている別の家族と協力しながら暮らしているらしい。
彼らはまだ幼さの残る年齢で、大人と同じ額の稼ぎはとても得られなかったが、それでも不足しがちな食料や衣服などを手に入れる役には立っており、他の難民たちとも協力して、たくましく生き抜いている様だ。
そこまでアリシアの話を聞いた僕は、あれ? と疑問を持った。
「アリシア。母さんはどうしているんだい? 今の話には出てこなかったみたいだけど? 」
すると、アリシアはいたずらっぽく笑った。
「うふふっ。兄さん、聞いて驚かないでね? 母さんはね、今、飛行機を作っているのよ! 」
何だって?
僕の母さんが、飛行機を作っているだって?
僕はアリシアが冗談を言ったのではないかと疑った。
確かに、僕の母さんは手先も器用で、何でもできるのではないかと思えてしまう様な人だった。
毎日の食事の準備や掃除、洗濯など、この時代の婦人がやっている様な仕事は何でもそつなくこなしていたし、しかも、その忙しい合間に、父さんの仕事を手伝ったりしていたほどだ。
特に、羊や牛など、動物の出産に立ち会う時には、むしろ母さんが主役になって僕らを指揮していたほどだ。
そんな風に何でもできる母さんだったが、1つだけ苦手なことがあった。
母さんは、機械が大の苦手なのだ。
母さんは牧場の仕事は何でも上手にできたし興味を持っている様だったが、父さんが新しく買ったトラクターについては少しも触ろうとしなかった。
「あたしにゃちと複雑過ぎるねぇ」というのが、トラクターに対する母さんの印象で、整備のやり方はもちろん、運転のしかたについても「さっぱりだ」と言っていた。
地上を走るトラクターがダメだというのなら、飛行機だって同じはずだ。
飛行機は僕らの社会の中にもう当たり前に存在するようになっていて、珍しい存在ではなくなってきていたが、それでも複雑な機械であることには違いない。
そんな飛行機を、機械が苦手だという母さんが作っているだなんて、とても僕には信じられなかった。
だが、アリシアには僕に嘘をつく理由が無かったし、僕を騙してからかおうとしている風にも見えなかった。
「ねっ、兄さん。驚いたでしょ? 信じられないでしょうけど、これは、本当のことよ。母さんはね、私と一緒にこっちに来て、隣の飛行機の工場で働いているの! 」
アリシアがちょっと自慢気に指さした方向には、少しでも多くの戦闘機を供給するべく今も全力で稼働を続けている「王立クレール市航空工廠」、通称「新工場」の姿があった。
どうやら本当に、あそこで僕の母さんが働いているらしい。
ダメだ。
どんな風に働いているのか、少しも想像することができない。
僕が悩んでいる時、ゲートの方から拡声機で放送が流れて来た。
もうすぐゲートを通過できなくなるという放送だった。
「大変! もう、行かなくちゃ! 」
アリシアは勢いよく立ち上がると、手提げ袋を持って数歩駆け出してから、急に何かを思い出した様に僕の方を振り返った。
「兄さん、どうしても母さんが飛行機を作っているって信じられなかったら、工場の方に行ってみれば? ……警備の都合でね、母さんはこっちには来られないの。兄さんはパイロットだし忙しいだろうけど、きっと、会いに行ってあげれば母さんも喜ぶわ! それと、ライカさん、兄さんのことをよろしくね! 」
アリシアは最後に「それじゃぁ、また明日! 」と元気に言って、ゲートに向かって今度こそ駆け出して行った。
「かわいい妹さんだったわね」
「うん。それに、しっかり者なんだ。……たまにドジをするんだけどね」
ライカの言葉に答えながら、僕は、アリシアが言ったことについて考えていた。
都合のいいことに、僕らは長期休暇中で、明日も休みだった。