4-2「所属不明機」
所属不明機のモデルはHe177です
4-2「所属不明機」
演習空域を後にした僕らは、進路を135、南東へと向けた。
エメロードはあまり高くは飛べなかったが、レイチェル中尉の指示で高度は3000から4000へと上げた。マードック曹長とカルロス軍曹の仕事ぶりを少しでも近くで見学させてもらうためだ。
だが、いくらエメロードが高高度の飛行に向かないとは言っても、もう1000は上がることができるはずだ。とても寒いはずだが、そのくらいは耐えて見せる。それに、カタログ上では、上がるだけなら8000までは上昇が可能で、実用に耐えられることになっている。
もっとも、これは戦闘機型の仕様で、練習機型の僕らの機体がそこまで上がれるかどうかは分からない。
この点、僕は不思議でならなかったが、中尉の指示にはちゃんと考えがあった。
《いいか、曹長たちの仕事ぶりを見させてもらうわけだが、こっそりとやるんだ。見られてたら仕事にならないって文句を言われるからな。それに、何かあったらお前らはすぐに逃げられる様にしておけ。相手は恐らく、武装しているんだからな》
要するに、事態が急転した場合に、未熟な僕らを巻き込まないためにという、中尉の配慮だった。
僕らの機体は演習用の状態で、機関銃本体は装備されていたが、実弾も演習弾も装填されてはいない。中尉の機体も同様だ。
実弾を使用する様な事態になれば逃げるしかない。一定以上の距離を取るのは賢明な判断だ。
中尉の機体が僕らがいる4000メートルより、少し高い位置を取っているのは、上から全体を見渡して僕らの状態を把握しやすくするためと、不測の事態には僕らを守るためだろう。
口は悪いが、中尉にはきちんとした考えがある。
念のためとはいえ、ちょっとものものしくも思える。
僕は、楽観的に考えた。
王国の空を領空侵犯した機はこれまでにも何度かあった。緊迫した国際情勢を考慮し、政府はそういった事案を大々的に発表してはいない。だが、まだ訓練中とは言え、事態の当事者である王立空軍に属する身であるからには、そういった話は僕の耳にも届いてくる。
実弾が使用されたこともあるが、実際に戦闘と呼ばれるほどの事態に発展したことは無い。王国へ迷い込んだ機はそのまま追い返されるか、迎撃に当たった機の誘導に従って着陸させられている。着陸させた機体は武装解除の上、乗員は戦時捕虜として扱われている。
心配することなど、何も無いはずだ。
《全機、上空に注意。それと、無線の周波数を国際緊急無線に合わせろ。もちろん、知っているはずだよな? だが、受信するだけだぞ? 発信する時は隊内用の周波数を使え。そうしないと曹長たちに、ここにいるのがバレるからな》
中尉からそう指示されたのは、およそ10分後のことだった。
僕は、無線の受信する周波数を中尉に指示された通り、国際緊急無線のものに合わせると、上空に視線を向け、必死になって曹長たちの機体、ベルランを探しにかかった。恐らくは、近くに所属不明機もいるはずだった。
国際緊急無線というのは、文字通り緊急事態に備えて設定されている無線の周波数で、トラブルなどの異常事態を知らせ、救援を求める際に利用される他、こういった、所属不明機に対する確認についても使用されるものだ。
無線機つきの機体に乗る際に行われたレクチャーでしっかり教えられているので、僕らはその周波数を当たり前の様に知っている。
《あー、あー、聞こえるか? こちらはイリス=オリヴィエ連合王国、王立空軍機だ。貴機は我が国の領空を侵犯している。ただちにその所属と意図を明らかにし、着陸装置を展開の上、こちらの指示に従え。繰り返す……》
聞こえてきたのは、マードック曹長の声だ。既に所属不明機を発見し、マグナテラの諸国家で伝統的に用いられてきた国際共通語で呼びかけを行っているらしい。
国際共通語というのは、マグナテラに栄えた古代文明で用いられていた言葉に祖を持つ言語で、国家の伝統的な上層階級、つまりは貴族や王族の間で、主に外交などの場で用いられてきたものを、近代になって多国籍間の間での意思疎通を円滑化するために改めて整理し直した言語だ。
大陸は広く、多くの民族と言語が乱立しているため、多民族間で円滑に意思疎通を図るための手段として考案されたものだ。
パイロットは皆、この国際共通語を話せるように教育を受けるが、僕は正直言って苦手だ。
僕らの中では、流暢に話せるのは、貴族出身で、幼いころからこの言語の教育を受けて来たライカだけだ。
実を言うと、曹長の話す国際共通語も、少しカタコトだ。僕らの母国語とは発音の仕方が異なるので、相当練習しないと完璧には話せない。
だが、曹長の呼びかけは、十分に伝わっているはずだ。
《右上空に機影。マードック曹長とカルロス軍曹の機と、所属不明機らしき機影。双発に見えるけど、とんでもなく大きい》
いつもの様に、アビゲイルが真っ先に探し物を見つけ出した。
相変わらず、彼女の視力には恐れ入るばかりだ。
僕は左側に向けていた視線を右側に向ける。
アビゲイルの言った通り、そこには3機の機影があった。
2機は、黄色く塗られた試作戦闘機、ベルランだ。2機で編隊を組み、1機の所属不明機の後上方に位置し、いつでも射撃できるような態勢を整えている。
もう1機、双発に見える機体が、問題の所属不明機の様だった。
アビゲイルが言っていた通り、とても大きい。
視界確保のためにほぼ全周ガラス張りになった機首の操縦席の下にゴンドラ状の出っ張りがあり、細長い大きな主翼を持つ。主翼には巨大なエンジンが2つついており、プロペラが豪快に回っている。主翼が大きければ、尾翼も大きく、特に垂直尾翼の大きさが目についた。武装は、見た限りでは機首のゴンドラ部分と、機体の胴体部上面に2つ、銃座を備えている様に見える。
武装をしているからには、民間機ではなく、軍用機で間違いないだろう。
不思議なことに、その機体には塗装が施されていなかった。ジュラルミンの地肌が剥き出しで、銀色の機体は陽光を反射してきらきらと輝いている。
あれでは目立つだろうに、と僕は思ったが、何か理由があるのかもしれない。
大きさだけでも十分異様だったが、その所属不明機には、他にもおかしな点があった。
一般的な軍用機には、その所属を示す国籍章が何らかの形で明示されることが国際条約で決まっているのだが、その機体にはそれが存在しない。おかげで、連邦なのか、帝国なのか、どこの所属機なのか判然としなかった。
《不明機、こちらは王立空軍機だ。貴機は我が国の領空を侵犯している。着陸装置を展開し、その所属と意図を明らかにせよ。応答せよ! こちらは王立空軍機だ! 》
曹長は何度も銀色の所属不明機に呼びかけ続けたが、不明機からは応答が無い。確かに曹長の国際共通語には不明瞭な部分もあるが、十分通じているはずだ。
不明機は、意図的に無視しているのだろうか。それとも、無線機の故障で、応答できないのだろうか。
《何度呼びかけても、応答なし、か。……仕方ない、カルロス軍曹! 威嚇射撃をしろ! 操縦席からよーく見える様にかましてやれ! 分かっているだろうが、当てるなよ? 》
《了解です、曹長。まぁ、見ていてください》
5回以上呼びかけを行った後、効果がないと判断した曹長は、カルロス軍曹に威嚇射撃を命じた。
軍曹の機体は、一度曹長の機体との編隊を崩すと、不明機の左側に進み出て翼を並べ、数発ずつ、3回に分けて威嚇射撃を実施した。
弾道はそのままだと見えにくいものだが、数発毎に混ぜられた曳光弾のおかげでよく見える。不明機のパイロットからも確認できたはずだ。
《よォし、やるな、軍曹! お手本みたいな威嚇射撃だ! 》
《曹長、大げさですよ》
大仰に褒めたたえる曹長に、軍曹は素っ気なく答える。僕はカルロス軍曹とは面識が無かったが、どうやら、ストイックな人の様だ。
《さて、これでこっちが本気だって分かっただろう。……あー、所属不明機に告ぐ! こちらは王立空軍機である! ただちに着陸装置を展開し、こちらの指示に従え! さもなくば、次はエンジンに命中させる! 繰り返す……》
再度の呼びかけに、所属不明機もとうとう観念した様子だった。
不明機は速度を落とすと、エンジンの下に格納されていた大きな車輪を展開し、抵抗する意思が無いことを示してくる。
車輪を格納できるタイプの軍用機にとって、車輪を展開することは、無抵抗、あるいは降伏の意思表明に他ならなかった。車輪を出した状態では全速力は到底出すことができず、逃げたりしないという意思表示になる。
不明機の側からは相変わらず一切の応答が無かったが、無事に片が付きそうだった。
《不明機、進路を180に取り、高度を3000まで落とせ。速度は300を維持せよ》
不明機は、ゆっくりと旋回を始める。どこかもどかしい、緩慢とした動きで、時間稼ぎをしている様にも見える。だが、機体の大きさから言えばあり得ない速度でもなく、こちらの指示に従っていることには違いない。
《よし、進路そのまま。高度を落とせ》
曹長と軍曹のベルランは不明機の後上方を維持したまま、鋭く監視の目を光らせながら不明機を誘導していく。
不明機は、相変わらず緩慢とした動きだったが、徐々に高度を下げ始めた。
曹長と軍曹は、ほっとした様に言葉を交わし始める。
《いいぞ、そのまま、そのまま、いい子だから! ……ふぅ、何とか穏便に済みそうで良かったぜ》
《ええ、全くです。何事も平和が一番》
《ははは、違いない。……ところで、オイ、ミーレス! 》
《ぁ、はいっ!》
不意に呼びかけられて、僕は咄嗟に返事をしてしまった。
しまった!!
《がははは、馬鹿正直な奴だな! ずっと見ていたんだろ? バレバレだったぞ? 》
《す、すみません、曹長殿》
今更しらばっくれても無駄だ。僕は素直に謝罪した。
《いいってことよ! どうせ言い出しっぺはお前らじゃないんだろう? ……おい、中尉、覗き見たぁ趣味が悪いんじゃないかい?》
《これも教育の一環ってもんさ》
曹長の言葉に、中尉は悪びれた風もない。
さすがは中尉だ。肝が据わっているというか、豪胆というか。
《ハハハ、この阿婆擦れめ! 今度1杯奢ってくださいよ、教育料って奴でさぁ》
《何であたしがおごるんだい? 経歴ならそっちのが上だろう? 》
《将校様と給料を比べられちゃあ、たまったもんじゃありませんぜ! なぁ、軍曹? 》
《ええ、もちろんです。我々は薄給ですから》
《……ちっ、仕方ない。分かったよ、曹長! ただし、1杯だけだ! 》
《へへへ、ありがてぇ》
一仕事やり終えた後の様な、そんな雰囲気の会話だ。
無線越しの他愛のない雑談を耳にしながら、僕は、ほっと胸をなでおろしていた。
実際のところ、ずっと、不安と緊張を抱えていたのだ。
王国が実際に戦争に関わったことは無いし、これからもそれは変わらない。
だが、唐突に、それが変わってしまうかもしれない。
そんな漠然とした不安が、かすかにだが、僕の頭をよぎって、離れなかった。
僕は意図して楽観的、前向きであろうとしたのだが、その不安はずっと心のどこかにこびりついていた。
きっと、実際に任務を実施している場面を初めて目にするということで、緊張していたのに違いない。
だが、不明機はこちらの誘導に素直に従っている。
とても、これ以上の問題が起きそうには思えない。
全て、僕の杞憂に過ぎなかった様だ。
不明機が無塗装でジュラルミンの地肌剥き出しなのは、中立国の空域を侵犯する秘密作戦のために国籍を隠すためと、空気抵抗を減らして最大速度を数キロメートルでも増やし、少しでも生還の確率を高めるため、という設定です