14-10「少年兵」
14-10「少年兵」
連邦の少年兵は、再び、僕がこれまでに聞いたことも無い、そんな声を人間が出せると想像したことさえない奇声を発しながら、僕へと向かってきた。
僕は咄嗟にナイフを抜いて、刃を少年兵の方へと向ける。
僕はナイフを使った格闘術のやり方など知らなかったし、本音を言えば拳銃を使いたかったのだが、僕が持っている拳銃は初弾を発射できるまでに少し準備が必要なものだった。
今、拳銃を相手に向けても、初弾を発射する前に少年兵の持った枝が僕を痛打するだけだ。
枝、と言っているが、少年兵が持っている枝は数センチの太さがあるものだった。
どの種類の木の枝かは、辺りが月明かりだけなので暗くて見えなかった。だが、勢いよく振り回してもびくともしないことから、それなりの強度と硬さを持つ枝であるのは間違いない。
そんなものを、どうやら本物の剣の扱い方に心得があるらしい少年兵が振り下ろせば、骨くらい簡単に砕かれてしまうはずだった。
僕が少年兵にナイフを向けたのは、それが少しでも彼への威嚇になれば、という考えからだった。
相手が持っているのは木の枝で、僕が持っているのは刃物だから、相手に当たった時の殺傷力という点では僕の方が上回っているはずだ。
だから、これで少しは少年兵の動きが鈍ってくれれば。そう僕は思っていた。
だが、少年兵は、僕が構えて見せたナイフを意にも介さなかった。
彼が持っている枝は長さが1メートル以上もあり、僕のナイフとはリーチが比べ物にならない。
少年は奇声を発しながら、残像が見えるくらいの速度で枝を振り下ろし、ナイフを構えていた僕の手首を打ちつけた。
衝撃と熱い痛みが、僕の神経を駆け巡る。
手首を強打されたことで、僕の手からナイフが叩き落とされてしまった。
そして、僕には、手首の激痛にリアクションを示す余裕すら与えられなかった。
少年兵は僕の手首を打ちつけた枝を素早く振りかぶると、奇声と共に深く踏み込んできて、今度は僕の頭上目がけて叩きつけようとする。
それが、どんな結果になるかは、予想するまでも無かった。
少年兵が振り下ろす枝が僕の頭に命中すれば、頭蓋骨も簡単に砕かれるだろう。例えそうならずとも、僕はもう、立っていることすらできなくなるはずった。
僕は無我夢中で、何でもいいから少年兵が振り下ろす枝を避けようと身体をのけぞらせた。
その瞬間、ぬかるんだ地面に僕の足が取られ、僕はバランスを崩してその場に尻もちをついていた。
それは僕にとって幸いした。
一撃で致命傷になるはずだった少年兵の枝が、空を切ったからだ。
少年兵の踏み込みは深く鋭く、僕が身体をのけぞらせただけではとてもかわしきれなかったはずだ。
だが、それで僕の窮地が少しでも改善されたわけでは無かった。
僕は地面に尻を突いた状態で素早く動くことができなかったし、少年兵はそんな僕へと追撃をしかけるために再び枝を振りかぶっているからだ。
僕にできる避け方は、右か左へ転がるしか無かった。
僕はぬかるんだ土の上を転がり、さらに泥だらけになりながら、どうにか少年兵の攻撃を回避した。
何とかしなければ。
そう思った僕は、転がりながら、沼地の泥を掴み、少年兵への顔面へと向かって投げつけた。
あてずっぽうに投げたから、泥はほとんど命中しなかった。だが、いくらかはちゃんと当たった様で、僕にさらに攻撃をしかけようとしていた少年兵は身体をのけぞらせ、そして、ぬかるんだ足場に足を取られた。
ついさっきの僕と全く同じように、少年兵は倒れこんだ。
僕は、チャンスだと思った。
拳銃を取り出してもすぐに撃てない以上、少年兵を格闘戦で倒すしかないのだが、僕には、剣の心得があるらしい少年兵への勝ち目が無かった。
転んで体勢を崩した今なら、反撃できるかもしれない!
僕は全身の力を使って、倒れこんだ少年兵へと飛びかかった。
武器は無い。だが、僕には拳がある。
僕は少年兵の真上にのしかかると、固く握りしめた拳を、連続で少年兵の顔面目がけて叩きつけた。
先ほど少年に枝で叩かれた方の手は感覚がほとんどなくなっていて鈍い痛みだけが響いて来ていたが、僕はそんなことにはお構いなしに少年兵を殴り続けた。
何度も、何度も。何度でも!
もちろん、少年兵はなされるがままではなかった。
膝を跳ね上げ、僕の背中を何度も蹴り上げる。
さらに、やみくもに振り回したらしい木の枝が僕の側頭部に命中し、僕は、少年兵の上から押しのけられてしまった。
僕が沼地の泥の中で立ち上がるのとほとんど同時に、少年兵も立ち上がっていた。
僕と、彼との間には、50センチも距離が無かった。
少年兵は再び枝を振り上げ、僕に向けて叩きつけようとしたが、それよりも、僕の両手が少年兵の首を掴む方がずっと早かった。
僕と少年兵は、僕が彼の首に手をかけた勢いで再びぬかるみの上に倒れこんだ。
衝撃で跳ね飛ばされた泥が辺りに飛び散り、僕と少年兵はお互いの息が届く様な距離で睨み合った。
僕は、無我夢中で、自分の腕に力を込めた。
片手の感覚がほとんどなくなっている様な状況だったが、僕の手は確実に少年兵の気道と血管とを圧迫した。
少年兵の顔が紅潮し、空気を求めてその口が何度も開閉された。
苦しそうな声が、わずかに漏れ聞こえてくる。
僕は、その瞬間、僕が今、少年兵を殺してしまおうとしていることに気がついた。
目の前で苦しんでいるのは、連邦軍の兵士で間違いなかった。
だが、僕などよりももっと若い、13歳か14歳くらいにしか見えない少年だ。
僕の脳裏に、僕の弟たちの姿が浮かんでくる。
僕の家は大家族で、弟も妹も、何人もいた。
その中には、僕が家を離れた時、まだ10歳くらいで、今ならちょうど、目の前の少年兵と同じくらいの年齢になっている弟もいる。
その弟が、今、どんな姿に成長しているのか、僕は知らない。
だが、その、僕の想像の中にしか存在し無い弟の姿が、少年兵の姿と重なった時、僕は思わず、自分の手に込めていた力を緩めてしまっていた。
そのまま、その少年兵の首を絞め続けることは、僕にはとてもできない。
僕が少年兵から手を放し、その場に立ち上がると、彼はゲホッ、ゲホッ、と苦しそうに咳き込み、空気を貪るように荒い呼吸を繰り返した。
その間に、僕は数歩、後ろに下がって、少年兵から距離を取った。
そんな僕を見上げて、少年兵は、何かを言う。
彼と僕とでは使っている言葉が違ったから、僕は、少年兵が何を言ったのか分からなかった。
どうして殺さないんだ、と言ったのかも知れなかったし、僕との取っ組み合いに負けたことを恥じて自分を殺せ、と言ったのかも知れなかった。
だが、その時の僕はもう、何もかも、知ったことでは無いと思った。
こんなことは、もう、1秒だって、続けたくは無かった。
僕は発射状態に無い拳銃を、片手の感覚が無い中で少し手間取りながら引き抜き、無事な方の手で構えて少年兵へ銃口を突きつけると、叫んだ。
「もう、僕を追って来るな! 」
それから、僕は踵を返し、当初の目的通り、森の南側に抜けるために歩き出す。
少年兵は、そんな僕の行動を見て、どう思うだろうか?
チャンスと見て再び僕に襲いかかって来るだろうか。それとも、そのまま僕のことを見逃してくれるだろうか。
僕にとっては、もう、どちらでも、どうでもいいことだ。
とにかく、少しでも早く、少しでも遠くに逃げたかった。
僕は、僕自身のことが、たまらなく恐ろしかったのだ。
次回、主人公はちょっと青くなります