第2話 安堵の夜(在りし日の記憶(2))
ティグがオヤジに色々教わったその日ベッドに入った途端に、どっと疲れが出た。一人で旅に出たのはいいものの、望んで旅だった訳ではないこの旅は本人が想像していた以上に負担になっていたらしい。実際ゴーストタウンからこの町まではそう離れていない。歩きだけでも1日で着いてしまうのだ。ただ、森に囲まれているため、そこに住んでいる者でなければ準備なしに通れる場所ではない。
(今日は疲れた。久々に人と接することができたし。何とか順調に進めそう、かな)
幽霊というものは基本的に霊体と呼ばれる、非実体が基本である。普通の人間は視認することすらままならないし、それだけ存在が薄いと幽霊側からも他人に干渉することができない。逆に人間が視認できる幽霊は常に実体を持っていて、霊体化ができないのが基本である。
しかしティグはどちらもできる。基本は実体だが、霊体にもなれる。これは生まれ持った特性で訓練して手に入れた訳ではない。
「霊体化もできる」これはいいのだができても中途半端で完全な霊体にはなれない。
ただそれだけでも一般常識からは問題になる。
幽霊は人の未練や執着心などから生まれる。そういった魂の残滓が集まって生まれるのか、強い思いから人物そのものが幽霊として生まれるかに分かれる。その際に霊体か、実体かに分かれるのだが、存在の強さは残された思いの強さに依存していてどんな時を過ごしても、どんな訓練をしても、幽霊として生まれた時点で思いの強さは変えることができない。
そんなことがあるため、いくら中途半端な霊体化でもそれは異常個体であり、災害そのものと恐れられてしまう。
いくら世間一般常識に疎くても自分のことは嫌と言うほど教えられていたティグは人と接するのに抵抗を持っていた。
今日の1日で心置きなく人と話せて安心したティグはそのまま眠りに落ちた。
◇――――◆
廃墟群となり人っ子一人居なくなったこの町は周りを深い森に囲まれ、数十年前に栄えていた栄光は見る影も無くなっていた。その数十年をかけて、盗賊や僅かな鉄を求めた廃墟荒らしによって、連なる家々も廃墟然としている。
今ここは幽霊たちの楽園、ゴーストタウンとして栄えている。人間がいない事には変わりないが。
「ティグ!ダ爺がよんでるよー!」
「あぁ。もうそんな時間かー」
このゴーストタウンでは村長のような存在の、老年の幽霊ダジが毎日ティグたちのために勉強会を開いている。
参加者はティグを含めてたったの4人で、塀を飛び越え、昼寝を謳歌しているティグへと駆け寄ってくる白髪の少女、リーナもその1人であった。高身長で凛々しい顔立ちをしている。所謂女子からの人気が高い女性のタイプだった
「先にダ爺のとこに行ってきてよ」
そう言って仰向けの体勢から、うつ伏せの体勢へと寝返りを取るティグ。
「あー。ティグ様ー怠慢は身を滅ぼしますよー?」
「ティグさま怠け者?」
「ティグさまいけない子ー」
ティグの周りにいる何人もの子供たちが、口々に「いけない子ー」と非難の言葉を浴びせる。見るからに歳の離れた彼らの非難を受けるティグは、只でさえ呆けた顔をしているのに、より一層頼りなく見える。
方や世の中では無邪気に遊びまわっている年頃の5、6歳児、方や世の中では立派な成人として認められる15歳。なんとも言い難い。
今では、日課となる程に繰り返しているこのやり取りのおかげか、日に日に子供たちに成長がみえる。
「は〜。年長者がダメ人間だと下の子がどんどん逞しく成長していくね」
「見た目の成長しない私たちを、見た目通りのお子ちゃまだと思われては心外です!」
子供たちの中でまとめ役の女の子が力強く、握りこぶしを作って主張する。ムフーと鼻息が聞こえるのは幻聴かもしれない。
「ダメ人間も何も、そもそも俺は人間じゃないんだけど、何か言うことは」
「そもそもも何も、ティグは幽霊とも人ともとれる異常個体じゃない。屁理屈をこねてないでいくよー」
文句を言い終わる前にその返しをされ、ズルズルとリーナに引きずられていく。
引きずられていくティグは「結局こうなるのかー」と愚痴りながらも楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「ダ爺!怠け者を連れてきたよ!」
リーナは扉がまだ残っている家へ、扉を壊さんばかりの勢いで部屋に入っていく。この家から扉が無くなるのも時間の問題かもしれない。
その後ろからティグが部屋に入り、優しく扉を閉めた。無駄な抵抗は諦めて途中からは普通に歩いて来たのだった。
ティグたちが入ってきた部屋には歴史や、生態学の本などが山積みにされていて、地図をまとめたらしき物も置いてあった。
5人の席も用意されていて、その光景はさながら学校のようだった。
「まったく。ダ爺は俺が幽霊にとって大きな存在になるって口々に言うけどさ。それ只の思い込みでしょ」
そう言いながらもティグは用意されていた席に座り「ダ爺もそろそろ歳なんじゃない?」とからかっていた。ティグに続きリーナもその右隣に座る。
先生役はダジという老年の幽霊だった。
「ワシら幽霊は歳なんぞとらんだろう?」
「でも幽霊を形作っている魂の残滓は、時間とともに薄くなり、幽霊の存在ごと消えてしまう」
ティグの後ろに座っていた少年がダジの言葉に続いて呟く。
その少年も勿論幽霊で、トナイという。茶色の髪に、身長はティグよりも低い。
一見して無表情の顔からは不機嫌さしか出ていないように見えるが、それが素の表情であり誰かが指摘することなどは無い。
ダ爺がトナイの言葉に満足げに頷いて、その日の授業が始まる。
「形あるものいつかは崩れてしまう。それは、存在が曖昧な私達でも関係のないことだ。それでも、沢山の人たちが知識を次の世代に繋げようとした努力の結晶がこの本たちなんだよ」
ダ爺の授業は主にこの世界の一般常識について。
いつかこの町を出て行く時に困らないように、というダ爺の気遣いが切っ掛けで始まった。
「なぁ。ダ爺は何を心配してるかは知らないけどさ。俺はこの町から出て行くつもりは無いよ?」
「いいや。つもりが無くてもそうなるさ。お前は幽霊の中でも特別なんだよ、ティグ。お前は将来、幽霊の代表としてみんなを引っ張る存在になる」
そうなることを信じて疑わないその発言と、年の功が生み出す優しいその表情にティグには言い返すことができなかった。
毎度毎度のことでこのやり取りを繰り返してきたが、今回ばかりは引き下がるまいと疑問をぶつけるティグ。
「確かに俺が幽霊の中で特殊なのはついさっきも自覚したけどさ。それだけが理由じゃないんだろ?なんでそんなに俺に拘るんだよ」
「いいや。理由はそれだけだな」
その発言に、一部を除いて驚きを隠せない様子が顔に出ている。
どうやら誰しもが何か言えない事情でもあるのだろうと考えていた。
長い間をダジと過ごしてきた彼らは、何よりもダジを信頼している。今更それが嘘なんて思わないし、あっさりと言ってのけた様子からは嘘はないと確信していた。
だがそれだけに意外だった。一部を除いては。
「ティグ。お前が他の幽霊たちとは別の存在だというのは分かってるな?」
「確か、生物が死んだ時に残る魂の残滓が、寄り集まって生まれるのが、普通の幽霊。で、俺はその元になる魂が無い。だったっけ?」
幽霊という存在は、その元になる魂によって変わってくる。
多くの場合は幾つかの魂の欠片が集まるような形で幽霊が生まれる。余程思いの強い魂じゃなければ、1つの魂から成る幽霊なんて生まれないし、元の魂の持ち主と幽霊としての自分は別物だと自覚するのが多い。
元の人格のまま、生まれ変わりかのように幽霊に成る事は殆ど無い。
「幽霊という種族として生まれてきたお前は、幽霊の特性を全て扱えてしまう。人間にとってこれほど危険な存在はいないだろう」
「ちょっと待てよ。俺はそんな力持ってないって」
「今は使えないだけで、可能性はある。そして、使えなくともそういった存在なだけで、人はお前を恐れるんだ」
狼は肉食で人が目に入れば食べるために襲ってくる。こんな先入観が狼に対する人の恐怖を煽り、狼は人類の敵だと判断させてしまう。昔も今も、猟のパートナーとして人と寄り添うことが可能な存在だという事を無視して。
慎重が臆病に変わり、その臆病を理由に歩み寄ることを忘れてしまうのだ。
「なんか話逸れてないか?話が逸れるのは老化の証拠だって本に書いてあったぞ。ティグの言う通り本当に歳なんじゃないか?」
「それあんたの好きな小説の話でしょ?空想の物語の中で書かれてることを真に受けてどうすんのよ」
トナイが不機嫌そうな顔でそう言うと、リーナの指摘が入る。
トナイの机の上には参考にしたであろう小説が置いてあった。タイトルには『歴代一目立たない王様の老後』とある。
「まぁまぁ。それよりも話の続きだろう?理由がどうのこうのだったな」
「やっぱり老か」
「老化」と言い終わる前にリーナの投げた本がトナイの頭を襲った。
その切っ掛けとなったダジは気にする様子もなく話を続ける。
「理由ならお前らは気付いてないのか?」
「私たちの方なの?」
「気付いてなかったのか…」
考えもしなかったというリーナたちの様子に「ハァ」とため息を吐き説明を始める。
「そうだなぁ。1番分かりやすいのはエデナか」
ダジはそう言うとリーナの後ろの席に顔を向けた。
そこには紫色の人魂が座って?いた。
「そういやお前さっきから無反応だったな」
「ダ爺の発言にも、然も知ってましたみたいな反応だったぞ」
「みんなが鈍感すぎるだけなんじゃないでしょうか」
一見そこで燃えているだけのように見える人魂だったが意思を持っているらしく、言葉も通じるようであった。そもそも人魂が喋るという時点で異常なのだが。
「さーて、ティグ。人魂はどんな存在だ?」
「えーっと。 なんか、息抜き?みたいなやつ」
「毒抜きだ、鳥頭」
「はぁ⁉物覚えが悪いだけだから!いいのか、そんなこと言って。こっちは持ってるもの持ってんるんだぞ!」
トナイの物言いにカチンときたティグはフフフフと不敵な笑みを浮かべて、「自作小説」と小さな声で呟いた。
途端に驚愕を顔に浮かべたトナイが立ち上がる。何故それを、とでも言いたげである。
どうやら効果てき面だったようで不機嫌そうな顔に戻ると黙って座った。
リーナとエデナの2人には聞こえていなかったようで不思議そうな顔をしていたのだが 、ダジは訳知り顔でニヤニヤ笑っていた。トナイがより一層不機嫌顔になっていく
「くくっ。じゃ、じゃあトナイ、が、答えてみろ。くっ」
「…毒抜きのような存在。例えば戦場で溜まりに溜まった怨念や執念が、爆発する前に幾つもの人魂になってそれを消化する」
「そうだ。人魂は所詮毒抜きだから1年もたたずに消えるんだ。しかし、そこにいる人魂はどうだ?もう何年ともここにいるし、ましてや普通の人魂はこんなに明確な意思疎通はできん」
「へぇー。エデナって特殊な人魂だったのかー」
「他人事ですか!その原因がティグさんだっていう話の流れでしょう」
状況を全く理解できてない様子のティグにエデナが思わず突っ込んでしまう。心なしかいつもより大きく燃えている気がする。
一つの人魂がその存在を維持できる限界は1年。だが『エデナ』という名前が付けられるほどに、彼らと時間を共にしたエデナは5年は軽く超えて存在を保ち、むしろ強くなっている。
「はいはい!」
「なんだ、リーナ」
「話の流れからティグが原因なのは分かったけど、どうしてそんなことになるの?っていうかその影響って私たちも受けてるんだよね?話の流れ的に!」
どうやら「話の流れ」という言葉を使いたかったらしく、リーナがここまでの話の流れから出てきた疑問をぶつける。
「それは分からん」
「は? いやいやいや。今からその説明が始まるんだと覚悟してたんだけど」
「えー。じゃあ今までの話はなんだったのよー」
「理由が分からないからこそ、せめて自分たちが特殊である自覚を持てって話だ。エデナだけじゃなく、お前らも自分たちの体が成長していることに気付いてないだろう?」
ティグは居るだけで周りに影響を及ぼしてしまう。時が経てばそれはより大きく、目に見えてでてくる。そして、それを許さない輩は必ず、優しくない方法で手を出してくるはずだとダジは考えていた
「じゃあ今度はこの世界の勢力図についてだが、そう面倒そうな顔をするな。知っていて必ず役に立つ」
今まで長いこと生きてきたダジにとって、自分の子ども同然な彼らがこの世の理不尽に手も足も出せないまま押し潰される様は見たくなかった。
ダジは、彼らならここを出て人の町で隠れて暮らした方が平穏に暮らせるのではないかと、考えていた。
彼らにはその選択が取れるはずだと。だがそれでも、まだまだ世間知らずなところが目立つ。
完璧とは言えない穴だらけの知識で出来上がったレーナ達と、そもそも一般常識と言われるものすら知らないティグでは、今町に出ても余計に目を付けられるだろう。
だから 今度こそ もう二度と。
道を違えるわけにはいかないと。
自分が正しく導かねば。
そうやってまた今日が過ぎてゆく。
ここで何か書こうと思ったのですが、何を書こうとしたのか綺麗さっぱり忘れました