第13話 羨ましいもの
それからの旅路はあっという間で、とても順調だった。
そもそも、本来の旅とはこういうものである。
鼠の幽霊なんて以ての外で、盗賊に襲われる方が珍しい。わざわざこんなガッチガチの馬車を襲う盗賊なんて、どこを探してもいないだろう。
派手に行動を起こせば、商人組合、延いては冒険者組合にまで話が発展し、この世では生きていけなくなるだろう。
文字通り、命を落とすことが確定する。
そもそもこの街道は、武の国、聖魔大戦時代に世界の最前線とも言われていた国、グロウリアの中心地であるエコルと、薬草の産地を繋げるものだ。
何かあれば目を付けられるどころの話ではない。
そもそもの話、この辺りに住んでいる者なら誰もが知っている、オルガのチームに対してケンカを売るのは馬鹿なことだろう。
怪我を負ったベルドは、腕を固定され、馬車の中にいるが決して戦えない訳ではない。
片腕が満足に扱えない状態で、馬の騎乗はやはり難しいという判断だった。
そんなこんなで道中は何も起こることなく、昼に休憩を挟みつつも、緩やかに馬車は進んでいった。
「テナさん!ちょっといいか」
「はーい」
到着にあたっての相談事なのか、オルガがテナを呼び出した。
「そろそろ、エコルの町に着く頃ですけど。ティグさんって旅に出るの初めてなんですよね?」
先ほどまで青に染まっていた空は、少し赤みが差している。
「ああ。そうだけど」
「向こうに着いた時の宿とか、路銀稼ぎとか考えてるんですか?」
「あ」
マタゴに言われて初めて気付く。
恐らく宿ならば問題はないだろう。ものさえ選ばなければ今ある所持金でなんとかなる。
だが、それがずっと続く訳ではない。無限に沸く金なんてものがあれば、この世の金という金は
「良ければ、さっきの魔水晶の取引先を紹介しましょうか?元来、鍛冶屋と魔法屋は頑固者で変わり者が多いっていう話ですが、エコルの魔法屋なら大丈夫でしょう」
「いいんですか?」
「それに、あそこなら魔術の指南をしてくれますし。…まぁ少なくとも、面倒見は良いので、何とかなるかと」
若干怪しい感じはしたものの、折角の働き口を得るチャンスなので、ティグは聞かなかったことにした。
「ありがとうございます」
「いえいえ。オルガさんもあなたのお陰で、魔物に気付けたと言っていたので。やはり、縁というものは侮れないものです」
ビクルーの予定には、ティグとの接点が全くなかった。
もしあそこで、ティグと出会わなければ、旅路を共にすることがなければ、あの魔物の存在には気付けなかっただろう。
とビクルーは考えていた。
もっとも、予定通りに事が進んでいれば、あの森を大分過ぎた先で野営をしたのだが。
その場合、あの存在は誰にも知られることなく、あの森に居座っていただろう。
そうなれば一体どのような、どれ程の被害が出るか、想像もできない。
それ程にあの鼠は異常だった。
あの存在を確認できたこと、あの場で討伐ができたこと。
金に例えることは難しくとも、それはこの国にとって大きな利益と言える。
実際、テナがあれに気付いたのは、彼女がティグの反応を見てからである。
当然ビクルーはそのことに気付いた、と言うよりその顛末を見ていた。
つまりは、ティグのおかげと言っていいのだ。
(まぁ確かに、これなら納得もできる、な)
それはそれで不自然な点がある。
(まるで様子見しているような…。監視役や連絡係というところでしょうか)
チャンスなら幾らでもあっただろう。
(だとすれば、エコルは早々に離れた方が良さそうだ)
何かが起こる気配、何かの見えない意図がある。
しかし、それが商売にならないのなら興味はないし、不利益を被りそうなら尚更のこと、関わるつもりはない。
ビクルーはそう考える。
(3日が限度でしょうか)
◆――――◇
空はすっかり橙色で埋め尽くされ、日は山の向こうへと隠れ始めている。
当初の見通し通り、その頃にはエコルに着いていた。
今は町に入るため、門前での検問を受けるところだ。
この時間でもいくつかの集団はいたが、複数の馬車を何組かの門番で、分割して調べているためスムーズに進むだろう。
と、そこへ別の方角から冒険者らしき一団がやって来た。
日の沈んでいく、山の方角から来たその一団は逆光で影しか見えないが、それでも先頭の図体がでかいのは、見ただけで分かる。
「げっ!大熊が来たぞ!」
怪我で馬車の中にいたベルドが、いの一番にその正体に気付く。
「チッ。こんな時に限って夕帰りか」
そうオルガが愚痴った途端に、大音量の声が飛んできた。
「オォォルゥガァァ!」
思わず耳を塞ぎたくなるような叫び。
実際にその元凶がいる向こう側で、耳を塞いでいる人影が見える。
オルガが、はぁ、と1つため息を吐くと人影の方へと歩き出した。
向こうはそうなることが分かっていたようで、動かずに仁王立ちで待っている。
「ビクルーさん先に行っててくれ。あたしが行かなきゃ、収まらなさそうだ」
「心中お察ししますよ。後払いの報酬の方は、組合を通して払っておきますね」
「あぁ。そうしてくれると助かる」
置いていかれたベルドとルージが、「マジで、あそこに行くの?」と言い合っているかのように、顔を見合わせている。
が、引く様子のないオルガに、渋々と着いて行った。
「なんかあっという間でしたねー」
他人事のように言うテナ。
「そういえばティグさん、宿ってどうするんですか?」
ティグも宿のことはあまり考えていなかった。
働き口を紹介してもらえるということで、すっかり油断していた。
「あー。今のとこ、特に考えてないですね」
「ふっふっふっふ。そんな貴方に、こんな商品が!」
そう言ってテナが取り出したものは紙切れだった。
そこには「『山羊の唄』宿泊権」と書いてある。
「券」ではなく「権」と書いてあった。
「そ、それは!高級宿の『山羊』の宿に1泊無料で宿泊できるものじゃないですか!」
流石、商人の卵と言うべきか、金の関わる話には目敏く、その反応速度とたるや。
僅かだけ『高級宿』という単語を聞き取れたティグは、なんとなく「すごいんだな〜」と思うだけだった。
「ふふふ。以前そこの女将さんととある縁がありましてね。仲良くなったついでに貰っちゃいました!」
そう自慢気に話すテナ。
「でも、そこ高級宿なんでしょ?俺が使う訳には…」
「あ、実は私ここも直ぐに出てしまうんですよ。なのでお気になさらず!女将さんも、知り合いに渡していいと言ってましたし、私の名前を出せば大丈夫かと」
「羨ましいですね」
本当に羨ましいのだろう。
話しながらも、目がその紙から離れていない。
だが、羨ましいと言ったが、ただそこに泊まるだけなら難しいわけでもない。
高級宿と一口に言っても、沢山の宿がある。しかも、エコルは国の中心都市である。
様々な国につながる街道が通り、エコルを経由して他国へ行くものは多い。
人の出入りが激しければ、それだけ宿の需要も増え、自然とその格も上がっていく。
『山羊の唄』は、宿を好きに選べる者に言わせると、ギリギリ高級と言える、上級宿である。
無論、高級と呼ばれる方が格は上だ。
そこに、金を払わず、紙切れ1枚で泊まることができる。
これこそが、1番羨ましがられる要因だ。
「なんか凄そうな物なのに、本当にいいのか?」
価値の分かる人を目の前にして、価値の分からない自分が貰うのは気が引ける。
「あ、僕のことならいいですよ。いつか大きな支店を任せられるようになって、さらにその先に進んで、最高級宿にも気兼ねなく泊まれるくらい稼ぎますから!」
「私も1つの町に長く居ることって少ないんですよ。ですから、私を助けると思って、貰っちゃって下さい」
果たして自分が貰っていいものなのか、という気持ちは残っている。
だが、これだけ価値のあるものなんだから、貰えるうちに貰っとけ、という自分の欲には勝てなかったティグであった。
「あ、ありがとうございます」
そうこうしている内に積み荷の検査は終わり、ティグたちは町の中へと入っていった。
大熊の御登場。
なお、今後の出番は…




