榊、祝福弓士に出会う
「今日はゴブリン退治の依頼がないみたいだの」
斡旋所の屋内掲示板を見上げ、ホッとしたように環がつぶやく。
彼女は菖蒲色の着物に小豆色の袴を穿いていた。矢羽を組み合わせたような模様のリボンで結い上げたポニーテールが、もう一本の尻尾のように揺れる。
榊も似たような袴姿だ。藍染の上衣を着流した書生ふうの格好に布靴を履いている。
斡旋所は木造の情緒にあふれ、梁がむき出しになった広い造りが柱に吊るされたランタンの柔らかい灯りに照らされる。壁三面に張り出された依頼のほとんどは遠方への配達だ。
それらを横目に眺めつつ、榊は環に尋ねる。
「ゴブリン退治はお嫌ですか」
「嫌ではないが……いや、正直、嫌じゃな。だからこそ、誰もやりたがらないことをやるのが、わらわたち信仰あるものの姿じゃろう。積極的に請けて信仰ぽいんとを稼ぐのじゃ」
「お言葉ですが」
榊は難しい顔で環を振り返った。
「それでポイントを稼ぐのは難しいように、私は思います」
「む、なぜじゃ? 人のやりたがらないことをやる徳の高さこそ誉れであろう」
「思うに、なぜ、その仕事を人がやりたがらないかといえば」
榊は指を立てた。
「その労務や社会的意義に対して、正当な報酬や社会的評価が得られないからです。そのような仕事をいくら行っても、評価されることはありません。『不当に評価されない仕事』なのですから」
目を丸くした環は、むむっと蕾のような唇を曲げて考え込む。
そんな環に榊は言葉を続けた。
「無論、自己を高める意味での徳を積むことには繋がりましょう。社会的意義のあることを担う充足感もあるはずです。しかし、それで他者から信頼や信仰を得られるかというと」
「そんなことはないと、思うがのぅ……」
「よっすー。なに、オシャレしちゃって。朝っぱらから神学談義?」
やけに明るく声をかけてきたのは受付嬢だ。相変わらず大正ロマンな袴で、竹箒を肩に担いでいる。
うむ、と環は着物を誇るように両手を広げる。ふるりと尻尾とポニーテールが揺れた。
「昨日のゴブリン退治で服が駄目になったから、融通してもらったのじゃ」
「あっ、ふーん。じゃあお仕事探してるのね。コレなんかどう? 報酬高いよ!」
「配達依頼って、行き先はどこじゃ? イワモリ?」
「ここから北の果てまで行ったところ! 島嶼を越えて馬車乗り継いで、まぁ半年くらいかナ??」
「捌けない依頼を押し付けるな」
渋面の榊に笑顔を返している受付嬢に、環は口を尖らせる。
「それもこれも、ドラゴン退治の報酬を出してくれれば困ることはなかったのにのう」
「あっはは。まだその設定生きてるの? 証を立てたいなら逆鱗でも剥がしてきなさいってーの。バカ言ってないで仕事選びなさい」
自己申告を一笑に付して、受付嬢は依頼表の下に吊るされる木札を揺らした。
板には松の小枝が描かれている。
「私たちの下調べを目安にするなら、あんたたちは木札に模様が彫られてない依頼を選びなさい。"模様付き"はそれなりに準備が必要だから」
見ればその依頼は狸の捕獲だ。
野生動物の捕獲となると罠の知識もない素人には難しい。なるほど、と榊はうなずいた。
「ところで榊よ」
ふと思い出したように環が目を瞬かせた。
「ふつう、ドラゴン退治となると街に襲撃してきてやむなく――という感じじゃないのか? なんでわざわざ山に分け入ってドラゴンを見つけ出して張っ倒さにゃならんじゃ?」
「はて。そのような約束事を聞いた覚えはありません」
榊はシレッと空とぼける。環は稲荷神のところでよからぬ知識を仕入れていたようだ。
ふいに暖簾が動き、結ばれた鈴が来店者を報せた。
「いらっしゃ……あっ! セナさん、いらっしゃい!」
受付嬢が元気よく声をかける。目を向けた榊は驚いた。
年若い少女だ。
ミディアムボブに切り揃えた髪が薄く桃色に色づく。瞳は空色、くっきりした目鼻立ちが年不相応な落ち着きを見せていた。
白いロングコートを羽織り、胸当てとガントレットは白銀もまばゆい。複合木製ボウをタスキがけに掛けている。弦を肩紐のように通しているのだ。
その少女弓士は結んでいた口を開いた。
「聞こえちゃったんだけど、ドラゴンを倒したって本当?」
「それは――」と言いかけた受付嬢を、彼女は手のひらで制す。
少女弓士は射るような視線を環と榊に向けていた。
環は胸を張って大きくうなずく。
「わらわは神じゃぞ。嘘はつかぬ。やっつけたというより追っ払ったのじゃ」
堂々と成果のグレードを落とした。
「もー、バカ! 張本人に向かって何言ってんの!」
受付嬢が環の口をふさいでむぐらせる。
「セナさん、すみません! こいつら冒険者成り立てで名誉欲に駆られていまして!」
「むぶぁ! 誰が名誉欲で嘘なんぞつくかぁ!」
クールに受け流すセナは、掲示板に目を走らせるとおもむろに近づいて木札を取った。
受付嬢に投げ渡す。
「その連中と一緒に行くわ。手続きお願い」
慌てる受付嬢を尻目に、榊は険しい顔でセナに立ち塞がる。
明らかに年下と思しき少女を見下ろし、口を開く。
「勝手に話を進めるな」
「あら。嫌なの? 神様、どう?」
「びっくりしたが、構わぬぞ。兎狩りか」
「では行きましょう」
「神様はそう言っ、……早いわね掌返しがあんた」
少女弓士は倒置法で驚いた、榊に返事を追い越されて。
環はご満悦にうなずいて、
「うむうむ。榊はこんな成りじゃが冒険者の経験は浅い。新米同士よろしくしようぞ」
「あたし新米じゃないわよ」
セナの返事に目を丸くした。
少女弓士を頭のてっぺんからつま先までまじまじと見る。
シミ一つないピッカピカの新品コートに、一点の曇りもないガントレット。弓を握る左手だけ長いガントレットは肘当てが花びらのように丸く、可愛らしいデザインになっている。
「えっ、違うのか? 新米同士で組んで、ってやつじゃないのか?」
「違うわよ」
「違うのか……」
そうかあ、となにかに期待していた環はションボリと肩を落とした。
「えっと……なんかごめんね? とりあえず依頼頑張りましょ?」
榊の冷たい視線が浴びせられる。こほんこほんと咳払いしてセナは榊に握手を求めた。
「瀬名よ。短い間だけどよろしく」
「榊だ。次にまた環様を泣かせたら許さない」
「そ、そう……気を付けるわ……」
予想外に険悪な握手に、思わずセナの顔も強張ってしまう。
「もーさっきからアンタたち失礼! セナさんを誰だと思ってるの?」
「誰なんじゃ?」
「知らないの? 矢絣の髪飾りしてるからてっきりファンなのかと」
髪飾り? と頭を触った環の髪をポニーテールに縛っているのは、矢羽を並べたような模様のリボンだ。宿屋の女将が渡してくれたもの。
受付嬢が興奮気味に拳を握る。
「新進気鋭の凄腕美少女冒険者として都会で大注目のセナさんだよ!? 弓の名手のセナさんにちなんで、矢絣模様が流行になったの! サインしていってください!」
「いやー持ち上げすぎよー照れちゃうわね。どこにサインする?」
「そこの壁にぜひ! セナさん御用達って看板に書き足していいですか!?」
「それはダメ。広告塔じゃないわよ」
「チッ」
露骨な受付嬢に唆されて壁にサインを残すセナの背中を見て、環はポツリとつぶやいた。
「ということは、すごい冒険者なのじゃな?」
「ドラゴンを討ち取りに来たのですから、並み以上かと」
榊の推論に納得して環は急ににんまり笑う。
「一級の冒険者に一目置かれる……ふふ、良いのう。それも良いのう」
よからぬ知識に毒されていた。
「榊、しっかりな!」
「御心のままに」
好きなもの
ポニテ。
もはや言葉を重ねる必要もありません。愛でましょう。