榊、冒険者デビューする
「神様と信徒ってことは、あんたたち冒険者か?」
門番の男に招かれるまま門をくぐった二人は、簡単な身体検査の後に街に送り出された。
街だ。
柵で囲われた中には、赤茶色も鮮やかな街並みが広がっている。
赤茶色は板張りの壁に土と石灰を混ぜた漆喰を保護剤として塗布したものだ。道は土を踏み固めただけの簡易な舗装で、粘土質の路面が街並みに独特な一体感を与えていた。一つ一つの建物は高く長く、奥行きの深い構造になっている。限られた土地に人口が密集している証左だ。
物珍しい建物に気を取られつつ、環は案内を買って出てくれた男に尋ねる。
「冒険者ってなんじゃ?」
「そりゃ市壁の外で働く人たちののこと……あんたらは違うのか? なら、なおさら危ない。今ここいらの山は危険なんだ」
その脅威はドラゴンという。
聞けば、そうしょっちゅう現れる災害ではないらしい。百年に一度の大禍だという。
竜の特徴は榊の知るものと一致した。つまり、巨大で、鱗と四肢を持ち、トカゲに似ている。空を飛ぶものや火を吐くものなどがいる。ドラゴンだ。
「こんにちは、おじさん! そして旅人さん! おや? この漂う神気、さてはあなた、神様ですね?」
広場の一角に差し掛かり、大きな平屋の前で環は声をかけられた。
黄色い着物に袴を穿き、足元に編上げブーツまで履いた、まさに大正ロマンといった服装の少女が竹箒を片手に愛想よく笑っている。環は面食らいつつもうなずいた。
「おお、よくわかるの。その通り、わらわは神じゃ」
「やたっ! 冒険者はこちらへどうぞ! ちょうど急ぎの依頼が入ったところなんですよ!」
飛び跳ねんばかりの勢いで手招きして建物を示す。
扉のない開放的な間口には暖簾が垂れていて、壁には張り紙が並べて掲示されていた。何らかの施設、集会所のようだ。
おじさんが苦笑して彼女を制止する。
「おいおい、待て待て。確かにお二人は神様と信徒だけど、冒険者ではないらしいんだ。必要なのは斡旋所じゃなくて宿屋だよ」
勢いづいていた少女はそれでピタリと止まる。きょとんとして環と榊を見た。
「冒険者じゃないんですか?」
「違うと思うぞ。冒険者が何か知らぬが」
「ッんだよ、紛らわしいな」
少女は豹変した。
「はー愛想笑いして損した。都合よくいかねぇか。クソっ、急ぎのくせにしょっぱい依頼とか面倒くせー……」
凶悪な顔で悪態をつき、忌々しそうに竹箒で地面を掃く。
よく見ると掃除しているのではなく、通りがかる人間に目を光らせているだけだ。新手のキャッチだった。
環がぽかんと口を開けて少女を見上げていると、
「あ? 冒険者じゃねぇなら用はねーよ。信徒は邪魔だから斡旋所の前に来んな。しっし」
歯をむいて威嚇された。
「えぇー……」
環はすごいげんなりした顔で耳をぺたんと垂らす。
しょんぼりして榊の隣に戻る環に、おじさんが苦笑して軽く詫びた。
「このところ冒険者は数が減っていてね。そこにドラゴンの被害が出たものだから、みんな逃げてしまって壊滅的だ。それでも厄介ごとは変わらず町に押し寄せてくる。猫の手でも借りたい状況なんだろう」
「困っておるのか?」
男はあいまいに笑って肩をすくめる。
正しい態度だ、と榊はこの男を少し見直した。相手は神だ。困っていると軽々に打ち明けていいはずもない。"顕現した神"はこの世界にとって身近な存在なのだろう。
「さあ神様、信徒の旅人さん。宿はあっちだよ」
男は通りの先にある建物を示した。
作りはほかの建物とあまり変わらないが、掲げられた看板には宿場を意味する言葉が刻まれている。
「しまった」
突然、榊が声を上げた。その顔は珍しく青い。
振り返る男と環、順に二人と顔を見合わせる。
「私たち無一文です裸一貫でやってきたので何も持っていません」
「あんたたち、どこから来たんだ」
呆れた男に返す言葉も持ち合わせていない。
「しかし、ふぅむ。困ったな。竜の騒動が落ち着くまでならウチに泊めてやってもいいが、それ以上となると……すぐに出発とはいかないだろう?」
先立つものがなきゃあなぁ、と男は頭をばりばりと掻く。その分厚い手は肉体労働特有の鍛えられた無骨さがあった。
男の手を見つめ、榊は口を開く。
「信徒は、冒険者に向いているのですか?」
「……あ、止せ止せ! 心得のないものが気軽にできるような仕事じゃない。街の外で怪物と戦うこともあるんだぞ! 信徒といえば大神殿か冒険者か、ってえのは一般論であって、あんたがそうでなきゃいけないってもんじゃない」
そういう世界なのか、と榊はこっそり得心していた。
わざわざ頑丈な柵で街を囲んでいるのは外敵に対してのことなのだ。
「登録志望者ですか?」
「うわっ! あ、さっきの娘か! どこから湧いた!?」
飛び退る環の背後で、営業モードの少女が明るい笑顔を見せている。
「当斡旋所はいつでもウェルカム。未経験者歓迎、実績重視、笑顔に堪えないアットホームな職場です。年齢経験に関わらず、やる気次第ですぐにでも一流の実績を積むことができます。目指せ依頼料百万!」
にこにこと邪悪な呪文を並べた少女は、次いで環を見る。
「冒険者というのは、街の外に出る必要があるときに、依頼人に代わって作業をするお仕事です。とってもわかりやすく言いますと、『困っている人を助けるお仕事』ですねっ!」
卑劣な態度だと榊は思った。
冒険者という仕事の本質は、誰かの代わりに危険を冒す代行業務だ。
安定した定職ではなく、自分の身を危険にさらすだけで金がつかめる極めて単純な仕事とも換言できる。無頼やゴロツキの親戚でもあることだろう。
「ほう!」
しかし環はあっさりと目を輝かせた。
「素晴らしいな。善い仕事じゃ。わらわたちにピッタリな仕事でもある。素晴らしいな!」
男は困った顔で榊を見た。なんとか説得してほしいという目だ。
環はまだ幼い少女の姿を取った神、甘言に惑わされるのは忍びないのだろう。
榊はおおらかに頷いて環の隣に歩み出る。
「環様がこのように仰せです。仕事を紹介してください」
「ウッソだろお前!」
叫んだのは少女だ。男も唖然として榊を見ている。
うむうむとご満悦な環は知らない。榊は山の神社まで参拝し、帰りのバスがなければ走って二十キロ先の駅まで戻る類の脳筋だということを。
唆しておいてちょっとだけ良心が咎めたらしい少女は「うー、あー……」と三秒だけ悩み、
「おいでまっせー♪ 新米冒険者も安心の簡単なお仕事、ありますよぉっ! 二名様ごあんなぁ~い!」
猫なで声でしなを作って手を掲げた。
張り紙の下に吊るしてある木札をむしって榊に突き出す。
「おらっ! 急ぎの依頼だ。行ってこい! 書類はこっちで準備してやっから。生きて戻ってきたら、晴れてお前らは冒険者だ」
榊は受け取った木札を見下ろした。
単語帳サイズで、なにやら模様が彫り込まれている。依頼と冒険者を照合するための符丁だ。この少女のことだ、失くしたら報酬無しくらいは言いそうだ。
「なにをすればいい?」
「なにって、ゴブリン退治だよ、ゴブリン退治。あのドブさらい、また下水に棲みつきやがったんだ」
まるでネズミ捕りでも依頼するような調子で、ゴブリンなる幻想生物との対峙を要求される。
環は首を傾げて掲示板に目を向けた。壁の中央、一番目立つ場所に大きくドラゴン退治の張り紙が掲げられている。長い針金に括った木札が鈴生りに結わえられていた。
「ドラゴンはよいのか?」
「馬ぁッ鹿、お前らみたいなぴーぴーのヒョットコに本物の化け物を倒せるわけないだろ。本職の冒険者、それも戦闘を主業にする人が来る手はずになってる。余計な気ィ回さなくていいから、自分の仕事をやってきな!」
ゴブリン退治に、ドラゴン。
そんな話題を出すのは大正ロマンもかくやという、編上げブーツに袴の少女だ。
不思議な世界観だなと榊は思った。
「あー……私の方で宿の手配はしておくよ」
男がおもむろに切り出して、環は目を丸くする。
「良いのか? 今、わらわたち金ないぞ」
「気にしないでくれ。後から風呂に入れる宿を探すのは大変だからね。その……ゴブリン退治は……臭いから」
申し訳なさそうに男が言う。
「ものすごく臭いから」
しかも念押しする。よほど臭いらしい。
なるほど、と榊はうなずいた。冒険者の数が減るわけだ。
「では向かおう、榊!」
状況を察しているのかいないのか、環は快活に笑顔を見せて気合十分に腕を突き上げる。
榊は静かに首を垂れた。
「御心のままに」
つまるところ、それが判断基準の全てである。
好きなもの、そのなんばんか!
異世界の街並み。
中世でも近世でも東洋でも西洋でも、別になんだってかまわないと思うのですが。
やはり魔法や魔術というものや魔獣などの敵が、どのように存在し、どのように人々の生活に影響を与えてきたのか……その試行錯誤の歴史を考えるのは楽しいです。世界観の構築が楽しい。
で、その終着、合理性の収束点が「街並み」という工夫に現れるのです。
中世の城塞都市ももちろん、災害に見舞われる日本の村社会、世界史有数の巨大都市だった江戸も大いに参考になって面白いですね。
とくに、人口があまりにも多すぎる江戸の長屋のエピソード好きです。
火事の備えとして周辺の家をぶっ壊して延焼を防ぐ、作りが画一化されているので建て直しも早い。宵越しの金は持たないのは逃げやすくするためなんてお話も。世相が街並みに表れて痛快だと感じます。
いろんな架空の街並み設計を見るのは、すごくワクワクしますね。