Act.6
<Act.6 4/19(月) 16:47>
【仄宮秋流】
「チッ、っとに鋭いなあの人……」
「……そうは見えなかったような」
「“聖杯”やら何やら込み入った事情は分からねェにしろ、少なくとも私とお前が恋仲とかいう空寒い嘘はしっかり見抜いたろうさ。もっとややこしくて、危なっかしくて、それでもって最高に頭のおかしい事情があるってことにも、きっと気付いてる」
あの人は、そういう女だと。呟きながらも蘭玉楼を出ると、ちょうど水蓮と再びかち合った。向こうもこちらにすぐ気付き、足取りも軽く近づいてくる。
「もうお話はおわったんですかぁ? 存外お早いものでぇ」
「元々大した話じゃなかったからな。お前仕事は」
「皆に任せちゃいましたぁ。貴女にちょっとお話もありましたのでぇ」
水蓮の“お話”。ふよふよした口調の割に無駄話をしないコイツがその言葉を使う時というのは限られている。目を細め「仕事か」と確認するように訊ねれば、彼女は相変わらずの笑顔で答えた。
「ですぅ。なので部外者の方には席を外して頂きたいのですけどぉ」
ちらりと視線が傍らに向く。それを受けたベルンハルトはふふんと余裕の笑みを浮かべ、
「部外者じゃないさ。当人から許可も貰ったしな」
「ドヤ顔超ウゼェ……ってオイ、お前も何でそんなガン見してンだよ水蓮」
「貴女協調性なんて持ってたんですねって思ってぇ」
「しばくぞテメェ。……で、今度は誰だよ水蓮。仕事の話だ」
「あぁはい、仕事の話ですねぇ。城ケ崎満という男なんですけどぉ」
彼女が懐から取り出したのは、一枚の写真だった。防犯カメラの一枚らしい、あまり画質が良いわけではないがようは顔が分かれば良いだけなので私も水蓮もそこまで頓着しない。頭一つ分デカいベルンハルトが私達の上から覗き込む。映るのは、野暮ったい眼鏡をかけた三十代ほどの男だった。頬はこけ、どこか神経質さを窺わせる顔立ちをしている。
「いつものコースでお願いしますねぇ。無論謝礼もきちんと用意してありますのでぇ」
「例の『金・タマ・命総取り』ってヤツか? 秋流」
「まァな。金も満足に払えないのに女ばっか欲張る自己満野郎にはお似合いの末路だ」
「正確には『有り金全部とタマさえもいでくれれば生死は問わない』なんですけどねぇ。秋流は面倒くさがりですからぁ」
「よく知っているさ。命ごと奪った方が手っ取り早いのは同感だしな」
ふと、水蓮とベルンハルトが和気藹々と交わしている会話に思う。水蓮の方はまあ、いつもの通りだ。彼女は茨衆、しかもその頭目である。ゆえに、華に対する正統な代価を払わぬ不埒者や、器に見合わぬ度を越えた要求をしてくる馬鹿を『生きる価値なし』と扱うほどに冷徹なのは道理というものだ。
しかしそれに反してベルンハルト、あまりに「いつも通り」という風に語っているから今までさした違和感も抱いてこなかったが、実際一般論に照らし合わせて考えてみるとこの「殺人慣れ」の度合いは異常としか言いようが無い。“聖杯”の守護者として、どんな状況下であろうとも生き残るために仕方なく――――そういう風情ではない。
コイツもやはり、私と同じなのだろう。新宿の裏側に潜むろくでなし共と同じなのだろう。速やかなる目的の達成のためならば、彼は殺人も当然のように選択肢として考慮する。自分にとってどうでもいい人間が生きようが死のうが関係が無いし、ゆえに死んで事が済むのならそれで良い、それが良いと即決できる、そういう人種だ。まともなように見えて、その本性はもうどうしようもない程度にはイカレている、そんなところか。
「……そんな感じでぇ。ああそういえば、お兄さんへの自己紹介がまだでしたっけぇ?」
水蓮の声にふっと意識を引き戻す。彼女はきゃは、とわざとらしくしなを作って狐目で弧を描き、
「改めて、ぼくは水蓮。この町の裏側に身を窶した時より姓などという高級なものは捨てた身……どうぞそのまま水蓮とお呼びくださいませぇ。まだまだ若輩者ではありますけどぉ、一応これでも帝都・新宿は歌舞伎町の治安部隊“茨衆”の頭目を務めさせて頂いておりますぅ。よろしくどうぞぉ」
対し、ベルンハルトは仰々しく腰を折る。それは軽くではあるが流れるように優雅なもので、生粋の貴族育ちが容易に窺えた。この時代のドイツにどうしてそのような教養者がいるのかと、見る者が見ればおそらく目を瞠っただろう。
「俺はベルンハルト、訳あって秋流以外には姓は明かせん。仕事の上でも、出来ればプライベートでも仲良くしてほしいところだな。何ならこれからベッドにでもゴフッ」
「そういうことはせめて自分のベッドを持ってからほざこうな。この下半身野郎が」
「男なんてそんなもんですしぃ、毎回毎回いきりたってたってキリありませんよぅ秋流ぅ」
「俺は知っているぞ秋流、それはお前なりの愛情表現なんだよな。その程度で嫌いになるような狭量ではないから安心してくれたまえ」
馬鹿をほざく奴の足の甲に踵を落としつつ、そういえばと水蓮の方を振り向く。一応駄目でもともとだ、不発になったからといって不利益が生じるわけでもない。
「報酬の件だが。割り増しにできねェか? 三割、いや一割でもいい」
「それを決定するのは我らが姫なのでぼくは何ともぉ……なんです、お金が欲しいんですぅ?」
語尾を疑問の形に上げながらも視線はベルンハルトのほうを向いているあたり、唐突な値段交渉の内情は既に察しているようだった。その通りだと頷きを返せば、彼女は「面倒くさがりの秋流が進んで労働だなんてぇ……」と呟きを漏らす。失礼な。
「それならもう少し真っ当にバイトを探したらどうですぅ? まぁ貴女、接客業だけはできそうにありませんけどぉ~」
「余計な世話だ。……まァ、アテならあるしな。せいぜい裏方にでも回してもらうか」
「なんならそこの遊郭でイッパツ」
「阿呆抜かせ。ツラがいいだけで務まるような安い遊女なんざお呼びじゃねェだろ、お前らは」
「それもそうでしたぁ」と悪戯っぽく笑う水蓮。帝国の高級官僚すらのめりこむほどの器量と美貌があってようやく一人前とされるこの町の遊女だ、バイト感覚で客を取ることなどできるはずもない。当然彼女もそれを分かっての発言だ、端から本気にはしていない。
そしてふと時計を見やる。さして長話をするつもりではなかったのだが、思ったより話し込んでいたらしい、既に五時を過ぎていた。そろそろ例の買い物とやらに向かわなくてはなるまい。水蓮はそれを察したのか、
「長々と立ち話しちゃいましたねぇ。バイト、長続きすることを祈ってますよぉ」
「勝手に祈ってろ。じゃあな、水蓮」
「ええ、依頼のほうはいつでもいいのでぇ。それではぁ、ベルンハルトさんもぉ」
「ああ」
扇子をひらりと振り、彼女がにこやかにこちらを見送るのを背後に反対の方へと歩き始める。私たちのあまりにもあっさりで自然でされども唐突な別れ方に、ベルンハルトは半歩遅れて付いてきた。
「……依頼のほうはどうするんだ?」
「遥に情報をもらってからだ。アイツとは元々そういう縁での知り合いだったからな、それもいつものことだ」
「ふむ。お前たちはいつもあんなものなのか」
「あァ、アイツも私も、ほいほい油売ってられるほどお高い身分じゃねェからな。特にアイツは」
「なるほど。まさかお前に友人らしい友人がいるとは思ってなかったぞ」
「その言葉そっくりそのまま返してやるよ。私と水蓮の関係なんざより、お前と遥の関係の方がよっぽど不思議だ。お前も大概友達いねェだろ」
「……遥とは別に、友達というわけではない」
遥はああ見えて、やはり取るべきところは取る人物だと私は考えている。金銭が最も分かりやすかろう。それが無一文らしいベルンハルトを泊めているところからして友人やらあるいは恋人やら、何にせよ代価を挟む必要が無い間柄だと判断したのだが、その見立てはどうやら間違いだったようだ。決まり悪そうに答えたのが面白くて「ククッ」と思わず喉奥で笑いを零せば、彼は少し拗ねたように言葉を紡ぐ。
「一ヶ月前に来日して、そこからの縁だ。大して長くもない。遥は一度、ドイツに来た時ウチに世話になったらしくてな。それをダシにしてここでの便宜を図ってもらっていただけさ」
花街ばかりの一画から徐々に普通の商店や飲み屋の多い一角へと歩いていく。その足取りは私もコイツも大役を終えのんびりとしたもので、だからかベルンハルトも少し肩の力を抜いているようだった。何となく、声音に険が無い。そんな気がした。
「で、その間ずっとあそこにいたってわけか。よく今まで追い出されなかったな」
「毎日毎日とっとと出て行けとせっつかれてはいたがね。その間の飯も全て遥に金を出してもらっていたし、その分はお前がバイトで返しておいてくれ」
「ッとに迷惑だなお前……その間にアイツと何も無かったのかよ」
遥はあの家を『隠れ家の一つ』と言っていた。借りを返すためとはいえ突然家に転がり込んできた他人に家をまるまま一つ明け渡して住まわせるというのも考えにくい。ということは一つ屋根の下、どちらも人外とはいうものの男女の仲と考えただけで、別に下卑た魂胆があったわけではないのだが、予想を裏切り彼の返答は、
「はあ? あるわけがないだろうあんな奴と。勘違いしてもらっては困る。男も女も色々と抱いてきたが、流石に千も二千も上の人外の相手はしたくない。あと性格合わないし好みでもないし」
「お前やっぱバイかよ……」
正直あまり知りたくない情報だった。誰だって同居人のディープな床事情なぞ知りたいとは思うまい。
嘆息したと同時、ふと不思議な気分に襲われた。四日前に死にかけたところを頼んでもないのに助け、つい昨日には互いに挑発しあった男を、既になんら違和感もなく「同居人」と認識するまでになっている。たった一夜同じ家で寝ただけであるというのに、だ。それは私の順応が早いというのもあるかもしれないが、何というか。それだけで片付けられることではない気がした。
『ベルンハルトという男が私の隣にいるのがまるで当然であるかのような錯覚』。さながら予定調和、まるで何遍も繰り返し繰り返しこの吸血鬼と出会ってきたかのように、この男はあまりにも自然に私に馴染んでいた。憎たらしいまでに整った面の男、彼との出会いは、少女漫画で言うところの”運命”なのかもしれない――――。
そう考えたところで、馬鹿馬鹿しさに失笑が零れた。過ぎるくらいに荒唐無稽で、夢見がちにもほどがある妄想だった。
「どうした、急に変な笑いなんか。気持ち悪いぞ」
「お前ほどのキモさじゃねェよ。何でもねェ、単に自分の股の緩さにうんざりしてただけだ」
「お前もしかしてビッ」
チ、と言いかけたド阿呆の爪先を力一杯踏み躙り、悶絶しているのを冷ややかに一瞥した後いつの間にか到着していたスーパーへと入る。流石にもう夕方も遅い時間帯だ、食料品はあまり残っていないようだった。
「おい、で何買うんだよ。お前のことだからもう見たんだろうが、うちの冷蔵庫にまともな食品なんて水くらいしか入ってねェぞ」
「イタタ……今日のところはまあ、売れ残っているもので何とかするさ。あとは洗剤と掃除用具諸々と」
「その金は?」
「よろしくお願いします」
「……、」
ワンパンで許した。