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Act.0

 

 ――――時は西暦2045年、戦後百年。

 彼の第二次世界大戦が、枢軸・連合両陣営の共倒れとして半ば不可抗力的に停戦と相成った年より、ちょうど百年が経った。

 開国時にはついこの間現れた極東の極小国でしかなかった大日本帝国は、瞬く間に“極東の眠れる獅子”シン、大陸北の雄・露西亜ロシアを葬り、列強へと名乗りを上げた。

 そして第一次世界大戦を戦い――――第二次世界大戦。

 相対するは新大陸の大国・亜米利加アメリカ。激烈を極める欧羅巴ヨーロッパ戦線の中、同盟国である独逸ドイツ伊太利亜イタリアの支援など望むべくも無い中――――帝国は、尚も戦い続けた。

 掲げた旭日旗の下、積み上げた屍の山と瓦礫の山を踏み越えて、――――だがそれでも、大国の力は圧倒的だった。

 迫る敗北。軍部の暴走と民主主義の敗退は殊更に其れを早め、資源の枯渇と戦力の減少が加速させこそすれもう止めようなど何処にも無かった。

 轟く爆音。降り落ちた自然科学の究極形は長崎・広島を悉く蹂躙し、朝鮮半島を南下してくる共産主義の吐息は、帝国には宛ら死神の足音のように思えた。

 それでも降伏を渋る帝国に、ついに米帝は帝国中枢の東京を圧倒的な原子力の波で焼き払うことを決定。斯くして、それは実行された。

 結果は上々。注ぎ込んだ数に比例するように陸地が吹き飛んだ。房総半島は僅かに先端のみを残して消え去り、何故か原子力の汚染だけは確認できなかったものの、米帝は帝国が後に“東京湾”を“新宿湾”へと名を改めざるを得ぬほどの打撃を与えることに成功した。

 しかし帝国とて、此処まで自国を蹂躙された上で黙ってポツダム宣言を呑む訳には行かなかった。そして彼らは、まさしく最終兵器、人道にして王道を端から無視し尽くしたような“ある術式”を発動――――亜米利加と露西亜、その二大国の首に深く牙を食い込ませた。

 戦局は此処で膠着を迎える。既に国力的に限界に近い状況だった露西亜は退却を余儀なくされ、亜米利加も如何に大国とはいえ此れ以上は継戦能力の範疇外。

 対して帝国側も度重なる大規模爆撃により指揮機能が大幅に麻痺。両陣営、しかし此れまでの禍根は両成敗で手打ちと行くには余りにも大きすぎたがゆえに、停戦状態へと移行した。


 ――――それから百年。百年の間に帝国はゆっくりと、だが着実に力を蓄えてきた。

 ひたひたと、しかし確かな存在感を持って近づく戦火の音に対し、重鎮が先の爆撃により軒並み亡くなったのを機に帝国は軍事組織・警察組織を一新。

 新に「陸軍」「海軍」「空軍」に加え警察組織「市軍」を創設、乱れに乱れていた帝国中の足並みを総力戦の名の下にまとめあげて新天皇の即位を迎えた。

 臣民の間に広がる反戦感情を無理矢理に抑えつけた百年目、帝国は確かに雌伏を終えて転換の時を迎える。

 そんな時代の狭間に生を受け、各々が各々の歪みを持つに至った人々と人外が、今宵もまた帝都の街を闊歩する――――。



 ――――此れは、歴史と帝國の裏側にて繰り広げられる、闘争と愛憎・人間と人外の物語である。





<Act0. 4/14(水) ??:?? 下弦の月>


【仄宮秋流】


 ――――カチ、と。秒針が動き出す音がした。


「……あぁ?」

 新宿歌舞伎町は大通り。一人でふらふらと歩いていると、脇の路地裏からそんな音が聞こえた気がした。

 時間帯としては学生が一人歩きしているのはあまりよろしくないのだが、歌舞伎町だけは市軍の管轄から外れている特区ゆえに小うるさく注意されることも無かった。

 今日こそ“獲物”と巡り会えるか――――そう期待して歩いていたというのに、全くその兆候もなし。いささか意気消沈しながら歩いていたものだから、いつもなら無視するようなそんな奇妙な音にもつい興味を出してしまった。

 ネオンと雑踏がうるさい通りから逸れ、路地裏に入る。地面に無造作に転がっている生ゴミを避け、薄く漂う腐臭に眉を顰めながらも進むと、街の裏側、帝都の闇とも言うべき暗がりに、私は“それ”を見つけた。

「……何だよ、これは」

 路地の先、突き当りの汚い地面に転がっていたのは、まるで私とそっくりな死体だった。

 地面に黒い影を落とすように広がっているのは私と同じ濡羽色の長髪。脇に転がっているのはレンズが罅割れた赤縁の眼鏡で、よく見ることなどせずともスカートの柄は今身に纏っているものと全く同じ制服だと分かった。微動だにしない。薄暗さとも相俟って肌の色もあまり見えぬ今、果たしてコイツが本当に死んでいるのかすら分からなかった。恐怖というよりはむしろ生理的な嫌悪感の方が強い。

 趣味の悪い人形にしては、妙に精巧だった。正直に言えば、一秒たりとも“これ”を視覚内に収めていたくはなかった。だがそれでも、確かめなければならない気がした。何を? ――――何を、だろうか。

 足で無造作にその体を転がし、うつ伏せだったのを仰向けにする。そうしてようやく見ることの出来た顔は、汚れているということを除けば殺したくなるほどにそっくり――――否、同じだった。

 思わず顔を引き攣らせたその時、その眼が薄く開いた。

 仮にそいつが私と全く同じ存在であれば。それは私と同じ、死に場所を求めるような澱んだ目のはずなのに。その瞳にだけは、私には到底窺い知れぬ得体の知れない光があるように見えた。

 私と同じならば。何故お前は、そんな光を持っている? ――――不快だ。

 右の掌に握り締めていた扇子が、虚空を裂いて質量を変化させた。その形は刀。夜気を孕んだ薄暗い空気を断ち割るようにして、差し込む僅かなネオンに銀煌を返す日本刀を振り上げる。

 この存在をこのまま生かしておいてはならない。途切れつつあるその命脈を今この手で絶たねば最後、既に崩れつつある自己――――“仄宮秋流ほのみや・あきる”という存在が跡形もなく崩壊する。そんな観念に支配され、一刻も早く振り下ろさんと手に力を込めた時。


「いつまで逃げ続けるつもりなんだよ、このクソッタレが」


 私と全く同じ声が、私とは違う意志を込めて言葉を発した。

 びき、と糸に絡め取られたように日本刀・飛燕を掴む腕が止まる。瞳に殺意を浮かべて、私は「何のことだ」と低く返した。

「すっとぼけてんなよ……私だろ、テメェも。死に際にまでこんな下らねェ問答させんなよ、ったく……」

 そうして吐き出される声は何処か億劫なもの。開かれた瞳、瞳孔の大きさも、その色も、全くもって私と同じ視線が、しかし言葉とは裏腹に皮肉げな笑みを象って私を見上げる。

「本当にお前が私なら、分からないのも分かるはずなんだが。それとも私はそこまで愚鈍だったか?」

「おォよ、わかってんじゃねェか。愚鈍も愚鈍、筋金入りの馬鹿だよおまえは……それだけは、保障してやる」

 乾いた笑いを零し、そいつはゆっくりと目を閉じた。それでも耳障りな声は依然続き、遠い喧騒の中に降りる奇妙な沈黙の中に静かに沈殿していく。

 早く早くと刀を握る本能が急かす。疾くその口を暴力ずくでもって封じなければと思う反面、どういうわけか腕は動かすことが出来なかった。

「まあでも、早めに気付くことだな……どうやら“回”によってそのタイミングはまちまちみたいだが、早いに越したことはねェ、しな」

「……お前、何言ってんだ?」

「いずれ分かる。お前が私なら」

 要領を得ない。嘆息すると、今までのささくれだった心も冷め切った平坦な声で、「もういいか」と呟く。

「ああ、いいさ。殺れ。今回のおまえに、幸あらんことを」

 腕は、動く。刃を握り直し、皮肉に満ちた――――もしかしたら本心からかもしれない言葉が終わると同時、私は刀を一閃させた。

 すぱんと呆気ない音が響き、私と同じ顔の生首がごろりと転がった。急速に勢いを失った鮮血が、徐々に色褪せながら地面に赤黒い染みを広げていく。

 最初は愛した両親の首も、今も尚愛している祖父の首も、何よりも唾棄すべき存在と見下している自分の首さえも。こうしていとも簡単に絶たれてしまう命になど、どうして価値を見出せようか。

 『遍く生命の価値は等しく塵芥である』。それが私の考え方である以上、今はもう肉塊と成り果てたこれもそうでなければならないはずなのに――――


 ジジ、とノイズが走る。視界がブレて、脳が勝手に映像を観始める。

 そこは路地裏。あまりに強烈過ぎるデジャヴに眩みそうになる意識の中で、“私”は“私”とそっくりな死体を見つける。

 振り上げられる白銀。数言交わされる会話。最後まで聞かず言わせず、宛らギロチンの如く振り下ろされる日本刀。

 結末だけを違え、先ほど自分が行ったことと同じことが再生され――――


「は、ァッ……!」

 自らの喘鳴で、現実に戻る。

 酩酊感に数歩たたらを踏み、ぐらりと揺れる視界を堪えるように目を閉じて脇の壁に手をつく。左手が汚れてしまったが仕方ない。

「ク、ソ……、何だってんだ、一体……ッ!」

 苛立ち紛れに吐き捨てたのも束の間。数秒の後、奇妙なデジャヴの後遺症から立ち直り、右手に握ったままの飛燕を見やる。見慣れた血潮が刀身から滴り、足元を赤黒く染めていた。

 だというのに、先程まで目の前に転がっていたはずの肉塊は跡形もなく消え、残るのは薄らと大気にこびりつく血煙の匂いと夥しい量の血痕だけだった。

 訳が分からない、と口の中で呟く。反面、口調とは違いさして動揺していない自分がいることにも私は気付いていた。まるで他人の人生ひげきを客席から眺めている感覚。決められた筋書き通りに、順当にあの肉塊と同じ運命を辿りつつあるかのような――――


リン、


 ……ああ、来た、と。曖昧な物思いの中、鈴の音にも似たその予感だけが突如肥大化し明滅する。

 今までの思考など最早彼方。その気配――――“魔術師”の気配を捉えた私の五感は、刀の銀煌と同じく加速度的に鋭利さを帯びていく。先程のことになど一切の頓着もせず、右手の日本刀を扇子へと戻し私はすぐさま踵を返し路地裏から出、雑多な繁華街へと身を躍らせた。気配のする方へ人ごみをすり抜け、目当ての人物へとひたひたと近づく。


「見ィつけ、た」


 訝しげにこちらを振り返る。黒衣の男。見た目は普通の二十代といった風情だが、私の勘は誤魔化せない。コイツは魔術師だ。利己と背徳の上に立つ忌むべきエゴイスト、その一人。ならば尚更、その命に価値などない。

 内に飼う衝動が、早く闘争を寄越せと呻吟する。その催促に従い、目の前の男を瞬きの間に暗がりへと引きずりこんだ。

 ――――益々冷たさを帯びていく夜気に晒された刃が、目を灼く紫に照り返す。華は銀の刃に映り込み、鮮やかな血飛沫が今宵もまた、漆黒の中に咲き乱れる。


 *


「――――はぁっ、……は、ぁ……ッ!」

 喘鳴が帝都の薄汚れた空気に融け、右の脇腹から下腹部にまで走る傷が息を吸い込む度にずきずきと痛む。滴り落ちる血が足元を濡らし、壁伝いでなければ歩くことすらままならなかった。

「っ、クソが……ッ」

 悪態の一つつくのにも迫り上がってくる血の塊を堪えなければ満足に出来ないという体たらく。右手に依然握り締めた日本刀――――否、扇子は既に血塗れで、黒地に咲く菖蒲の花もとっくのとうに台無しになっている。それを手が白くなるまでに握り締めていなければ、今にも途切れそうになる意識を繋ぎとめることはできなかった。

 まさかあの男がここまで強いとは思っていなかった。最近殺しの間隔が長くなり鈍っていたというのもあるだろうが、間違いなくあの男は今まで殺した中で一番の力量を持っていた。

 ……まあ。それでもだから、なんだという話。強かろうが弱かろうが、既に殺してしまったのだからどうでも良かった。

 自分の血と男の返り血で制服は血塗れ。肌に張り付くそれらが気持ち悪いと顔を歪めた瞬間、余計なことに気をとられたせいか血溜まりに足を掬われずるりと倒れこんだ。

 これではまるで、先程殺した、――殺した? うまく思い出せない――のよう、レンズの割れた伊達眼鏡が文字通りの血の池の中に沈む。粘ついたその感触と噎せかえるような血臭に、「ああ、これは死ぬな」と何処か他人事のように確信した。

 四肢の傷は言うほど深くはないが、如何せん腹の傷が深すぎた。内臓が零れてもおかしくないほどの傷は、手で抑えようが止血を試みようが関係なく生血を吐き続けている。意識が遠のき始める。致死量だろう、だが別に、特に何かこれといって感慨が湧くということも無い。他人の命を無価値だと断ずるのと同様に、私は己の命も等しく塵屑だと考えている。ならばそれが喪われようと、そこらの石が蹴飛ばされたくらいの感想も抱かないのは道理だった。

 紅血が髪に絡み付いて気持ち悪い。だがそれもじきになくなると思えばすぐにどうでもよくなった。元々死に場所を求めて殺しをしていたようなものだ、今更畳の上での安らかな死など望むはずもない。

 豪奢な高楼に遮られた夜空に、それでも目を凝らせば僅かにだが星の光が見えた。摩天楼に架かる下弦の月はまるで私を嘲笑う世界の口の端のようで。しかし汚れた空気の中それらもまた明滅し霞み逝く視界にすぐ立ち消え、そして、最期を悟る。

 せいせいした。やっとこのクソッタレな世界から離れられる。そう思い、私はそっと震える瞼を下ろす。


 ――――あばよ。私から全てを奪っていった、心底下らなくて埃に塗れた塵屑だらけの世界。

 吐き気がするほど温くて、迷惑極まりない理不尽は、いっそ堪らなく愛しいくらい大嫌いだった。


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