Act.16
<Act.16 4/22(木) 1:28>
【扶桑朧】
路地裏。花街を賑やかせる人込みも遠く、俺は機関への道を歩いていた。
あの二人にやられた傷というのはとっくに癒えている。まあ、仄宮はともかく、あのクソガイジンには「やられた」というよりはそれを防ぐために自分でつけた傷なのだが。どうあがいても即死級、猛烈に運が良くとも瀕死級。そんな傷を自ら負っておいて何故生きているのかと言えば、それは純粋に、俺に回復と蘇生の力があるからだった。
『扶桑の契』。扶桑とはさる戦艦の名前であるのと同時、この国自体の古名でもある。それを冠した俺の出自は、代々国守りの役目を担ってきた出雲大社の神主だった。契とは、先祖が大国主命に仕えることになった際に親神・天照大神に賜った恩恵である。祖の元を糺せば傍系とはいえ天照の子の天穂日命、魔力を相当に使うという条件付きではあるが、人類の持ち得る能力としては最高峰のものだろう。
「(引き継ぎは長子への自動遺伝のみ。だから妹じゃなく俺にそれが回ってきたわけだが……まァ、歴代でこんなバカスカ使う奴なんて、本当俺くらいのもんなんだろうなぁ)」
国守りとかいう大層な名前ではあるものの、神主のやることなどしょせん神社の管理しかない。神サマとかいういるのかいないのかよくわからん奴(血筋としても天穂日命の血などもうあるかないかだろうし)のゴキゲンを窺う神職、真っ当に縛られてさえいれば蘇生の能力など全くもって必要がない。
その必要がかなりある俺は、つまり真っ当な扶桑家後継ではないのだった。扶桑の名字こそ変えていないものの、俺は既に本家から絶縁を言い渡されている。そうでもなくば、由緒正しき(笑)扶桑家直系男子が、こんな有象無象が無際限に集まる新宿で養護教諭と拷問屋をするなどというトンチキな事態にはなり得ない。
「ま、俺が神主なんてガラでもないしな」
試しに狩衣を着て御幣を振っている自分の姿を想像し、その違和感の爆裂ぶりにただただ笑いが込み上げそうになる。深夜人気のない路地でにやにや笑っている黒衣の男など事案まっしぐらだ、無理矢理噛み殺したところで、ちょうど明石高校に辿り着いていた。
深夜も良い時間のそこには既に人気も明かりもなかったが、それは別に構わない。元より用があるのは上の明石高校ではなく下の機関のほう。明石機関本部はその名もずばり明石高校の直下にある。そもそもが機関の隠れ蓑として作られたのが高校であり、ゆえに職員の中に機関員が多いのは校内にいても怪しまれないという単純な理由からだった。
裏門まで行くのが面倒だったので、適当に塀を飛び越え校庭を横切り職員用玄関まで向かう。靴を少々乱暴に下駄箱に突っ込み、室内履きの踵をぺったらぺったらと履き潰しつつも、少々奥まったところにある職員用エレベーターの前に着く。そして上向きのボタンを押せば、空っぽの箱の扉がすぐに開いた。
乗り込み、ボタンを見やる。そこにはどう見ても地下表示はない。だから熊野センパイみたいな普通の教員が機関の存在に気付くことは絶対にないし、誤って入って来る可能性もなかった。おそらく一般職員には管理会社の人間が使うと思われているらしいカードスリットに機関員証を通せば、ぽんと全てのボタンが黄色く光った。暗証番号代わりに、
4。
3。
5。
1。
2。
すると「ガコンッ」という音と共にエレベーターが動き出し、十秒ほどすると静かに停止して扉が開いた。そして目の前に立っていたのは、一度も日の光に晒されたことがないかのように白く輝く白貌の美青年。
「ようヘシオネ、今日もイカしたカオしてんな」
「扶桑さまこそ。お体のほうはいかがでしょうか」
「ンー。まあまあ」
「然様で」
夜の海を融かしこんだような滑らかな藍色の長髪を背の半ばほどで緩く結んだ、淡い空色の瞳をした青年の名を、ヘシオネと言う。それが本名なのかどうか、そもそも日本人であるのかどうかさえ、ヒラの機関員である俺は知らない。わかっているのは彼がこの明石機関本部の警備及び管理補助を一手に担う人間であるということだけ。機関員がここに戻ってきた時には必ず出迎え、このように体まで気遣ってくるデキた奴。ここ明石機関には、組織の体質が体質なだけに来歴も素性もわからない人間が一定数いる。彼もそのうちの一人なのだと思えば、まあ国籍や人種くらい別にさして気にするようなことでもなかった。
彼に先導され、ゆっくりと歩き出す。白く無機質な廊下がただひたすらに真っ直ぐ続く中、彼は静かな声で再び口を開いた。
「扶桑さま、任務のほうはいかがですか」
「そうさなぁ」
痛いところを突かれた。ここ最近、仄宮が絡み始めてきてからというもののうまくいっていないことを見抜かれているようで、だがそれでも微笑みはあくまでも優しい。ばつの悪い表情で頭を掻けば、先を促すように空色が俺の視線を捉える。
「……正直うまくはいってねーな。不確定要素っつーか。いやさ俺が今日来たのはそれもあるんだけど」
「把握しております。仄宮秋流、といいましたか。先日も、そして先ほども介入があったようで」
「……速ぇなァ」
「妻の情報網は宇宙級ですので」
妻。さらりと告げられた言葉は、明石機関員であれば誰しもが一度は彼から聞いた言葉だった。若いナリで妻帯者。しかもその妻というのも、言にあるようにただのご夫人ではなくなかなかヤバめのご夫人だというから謎は深まる一方である。その上、彼の口ぶりからしてご夫人はこの機関の情報どころか宇宙中の機密という機密を知り尽くしている風であるというのに、俺の知る限り機関員は一切誰も見たことがないという。ヒラなどお目通りを願うことも叶わないほど、中枢に食い込む人物なのかもしれない。
「でだ。その仄宮秋流、なんだってアイツがまた現れたのか、だ。一応訊いてはみたが向こうも仕事くさくてな、大したことは聞き出せなかった。分かるか?」
「はい。どうやら彼女たちは、歌舞伎町自警団からの依頼のようで」
「茨衆の? なに、アイツそっちと仲良しだったの? ハァ~ウッソマジないわ……マジモンの天敵じゃねーか」
新宿裏の守護者『明石機関』と歌舞伎町自警団“茨衆”。俺たち機関の本部である明石高校自体が歌舞伎町にあるため、その守備範囲の重なりから度々衝突することの多い組み合わせだった。俺たちとしては新宿裏のゴタゴタはたとえ歌舞伎町であろうとこちらの管轄だと思っているし、あちらはあちらで歌舞伎町の裏表両を統べるのは蘭玉楼の主を筆頭に置いた茨衆だと考えているから、主に下手人捕獲の際に顔を合わせては火花を散らせてきたというわけだ。あと単純に、機関のこの男所帯っぷりを女性上位の茨衆が嫌っているというのもある。
「依頼というのも、未支払いの花代の分を体と有り金で徴収してくるというもののようで。あちらの依頼としては、ごく一般的ですね」
「花代……あー、道理で」
城ケ崎満。そもそも俺があの男の身柄の確保を命じられたのは、あの野郎が傍迷惑な「ウイルス」を遊女伝いに撒き散らし、それの暴発のせいで死んだ一般人が多数でているからだった。ウイルスというのはあくまで比喩であり、実際の病原菌がいるわけでもなく、ゆえに一度広まってしまったからには大本――――つまり城ケ崎本人を絶つしかない。殺すことで絶てるなら良いが、そうでなかった時の場合に備えての「生け捕り」が俺の今回の仕事であり、仄宮が茨衆から受けたという「取立人」の仕事は、城ケ崎が遊女たちにウイルスを撒いた時のことだろうというのは容易に予想がつく。感染力という点において遊女に目を付けたのは利口だが、それが発端で今の状況になっているのだから俺にはアイツを一発ぶん殴る権利が十二分にあると思う。
長い長い廊下を渡り終え、ようやく一つの扉が俺たちの目の前に現れる。まるで無菌室のような真っ白い廊下の終点にひっそりと佇む闇色の扉。ヘシオネがそれを開き、俺が続いて入れば、ロビーには幾人かの機関員が思い思いのように過ごしていた。窓こそないものの、今までの無菌室から一転どこぞのホテルとも見紛うかのような巨大な部屋の奥、受付兼ヘシオネの常駐場所となっているカウンターまで同僚と挨拶を適当に交わしつつそのまま続く。
「扶桑さま。不確定要素のほうがご心配でしたら、もう一人お好きな方を連れて行ってくださって構いませんよ。非番の方のリストをあげますので」
「ンー……そうさなァ」
カウンターに肘をつき、その上に頭を乗っけて考え込む。桃太郎よろしくお供を連れていくとなると、それはそれでまた詳しいことを共有するのも面倒くさいし、かといって理解の早い飛龍センパイや鈴谷センパイは非番であっても正直あまり連れていきたくない。特に前者は。可愛がっている教え子と土壇場で遭遇するリスクが少なからず――――いや、結構な率である以上、あの人を連れていくのはどう考えても下策。そして加え、最近は諸々あったとはいえ数字だけ見ればあまり真面目に仕事をこなせているとは言い難い状況だ。そろそろ一人で挽回しないとやばいというのもあるし――――単純に、俺と仄宮の喧嘩を邪魔されたくないというのもあった。妨害野郎はあのガイジンだけで足りている。
「……いや、やっぱいいや。せっかく非番なのに引っ張り出すのは気ィ引けるし、新学期で先生たちまだ大変な時期だろ。俺ァ養護教諭だから比較的ラクな位置なわけで、その分仕事しねーと」
「おや、いつもと違って真面目ですね」
「俺ァいつも真面目だよ。真面目に遊んでンのさ」
時刻も丑三つ時、流石に眠気が回ってくる頃だった。おかげで返答が徐々に適当なものになってきた。それを察したか、ヘシオネが「仮眠室は空いていますよ」と呟く。
「おー、じゃあひと眠りするかなあ……ふあぁ」
欠伸混じりに立ち上がり、仮眠室へ通じる扉に手をかけてふと思う。そういえばこいつは、一体いつ寝ているんだろうか。
俺の視線に気づいたか、ヘシオネが下げかけた頭を再び上げて「どうしましたか」と首を傾げる。うんにゃと手をひらひらと振りつつ、
「オマエもこんな時間までご苦労だが、ちゃんと寝ろよ。保健室のセンセイの言うことは聞くもんだ」
既に背を向けていた俺には、彼がどんな表情をしていたかはわからなかった。だがそれでも、働き者のあいつが今日ばかりは早く寝てくれるといいなと思いつつ、彼の「おやすみなさいませ」という声を背にとっとと仮眠室まで向かうのだった。
夜明けはまだ遠く。藍に染まる夜闇の中、決着の訪れはまだまだ先のことだった。