Act.13
<Act.13 4/22(木) 0:01>
【仄宮秋流】
今回の獲物、城ケ崎満を追いかけ始めて十分。早くも飽きがきていた。
正直言って奴の後ろ姿は本当に魔術師なのかと疑いたくなるほど無様かつ隙だらけで、致命打を与えようと思えばいつだっていくらだって可能だった。それをしない理由は一つ、私の使う術の出力が単純に大きすぎて、普通に打っただけでも軽く焼死体にしかねないからだった。つまり札は燃えるし銭の方も融けて使い物にならなくなる確率が非常に高い。金を目的としているのだから、それでは本末転倒も良いところだった。
だがまあ、今回は便利な道具がいる。奴の闇渡りはこの時間の町中なら非常に役立つスキルのはずだ、奴自身の戦闘力を目で見て知っているわけではないが「何でもできる」と豪語するほどである。大言に見合わぬ実力でも、パニクってる野郎一人を出会い頭に捕まえるくらいはできるだろう。
それにしても、そこそこ速い。成人男性と女子高生、ここはリーチの差だろうか。適当に紫炎の塊をぶっ放して変な路地に逸れないよう誘導してきたが、そろそろベルンハルトの待ち構える路地にさしかかる頃だ。
とっとと追い込んで帰ろうと思い太刀を振りかぶった瞬間、
――――ぞわり、と本能が嘶いた。
急制動をかけて全力でその場から跳び退く。すると直後、鼻先を掠めて落下していったのはギロチンの抜身の刃。
「ッ――――このギロチンは……ッ!!」
「お、マジ? 避けた? 惜ッしい~ッ! もう少しでオマエの脳味噌拝めたんだけどなァ」
形こそ違えど、その刃の禍々しさと銀色に染み付いた血臭は本質的に同じ。その上この人を食ったような態度と言えば、アイツしかいない。
城ケ崎を挟んで私の反対側に降り立った男、その狂暴に過ぎる顔を見て、吠える。
「――――扶桑朧ッ、なんでテメェがいやがるッ!!」
「おォ怖い怖い、怖ェからあんまキャンキャン吠えんなよ仄宮秋流ッ!!」
ケタケタと哂う扶桑と、敵意を剥き出しにする私。そして、その間に挟まれいよいよ退路を失った城ケ崎。
悪役の真似はやめだ。この男が出てきたからには、本気で相手をせねば仕事どころかこちらの身も危うい。そして何より、この男相手に殺さない気で戦うなという方がどだい無理な話だ。
生温く燻っていた戦意がたちまち灼熱する一方で、まだ残る理性が思わぬ闖入者に舌打ちをする。とっととあの野郎をとっ捕まえて仕事を終わらせたかったのだが、この分だとぎりぎりできるかどうか。期限は言い渡されていないとはいえ、できる限り仕事はさっさと済ませてしまいたい私にとって、予定通りとは言い難いこの状況は少なからず腹立たしいものがあった。
「まあとはいえ? 今日の俺の目的はオマエじゃなくオマエだからバトるつもりはねェし、泣いて乞うなら見逃してやってもいいんだぜ? ……なァアアアんて空寒い嘘は時間の無駄だよなわァかってるわァかってるって!」
剣幕を見るまでもなく哂い混じりに撤回する扶桑に、私は吐き捨てる。
「ふざけたことを抜かしてンじゃねェ気色悪ィ。そいつの身柄は渡さねェし、お前も私がぶっ殺す」
「テメーもムシのいいこと抜かしてんじゃねーよクソガキが。この俺の! 総取りにッ! 決まってんだろーが――――“バートリの鋼鉄処女”ッ!!」
頭上に影が差す。謂れのある――――ありすぎる怨念と血臭の塊が、威圧と質量を以て私を押し潰さんと迫る。
それに怯んで動けなくなるほどの小物は、この場では目の前で硬直しているオッサンくらいなものだろう。刃を滑らせつつ、コンクリートを踏み砕かんばかりに走り出す。
「ひ――――ィイッ!?」
ひゅん、という刀の風切り音と対照的に破壊的な重音に我に返ったのか、城ケ崎が顔を引きつらせて再び逃亡を開始した。こけつまろびつ、無様ながら確かに遠ざかるそれは、ベルンハルトが待ち構えているはずの道ではなくその反対側の大通りへと駆けだしていく。内心舌打ちしつつ、私は扶桑に飛びかかる。
「ッらぁッ!!」
キィン、と鋼同士のぶつかりあう音がビル街に響き渡る。いつの間にか取り出していたのか、奴の黒塗りの処刑剣と私の飛燕が擦れあって耳障りな音を立てるのと同時、剣から香った血臭が妙に鼻についた。
「ッ、拷問屋とかいったか? 趣味の悪い得物持ってんだなお前……刃を合わせただけでニオイが分かるたァよほど危篤な商売してると見えるが」
「いやなにオマエの商売ほどじゃねーよ仄宮。荒事専門の請負人、新宿裏側帝都の野良犬。貰うものさえ貰ったあとは例え元依頼人であろうと躊躇なく殺す魔術師殺し! 全く、調べるにも苦労したぜ。どいつもこいつも口を割りゃァしない」
ま、最終的には洗いざらい綺麗さっぱりゲロってもらったけどな。付け足されたその言葉の実情は、奴の生業と照らし合わせてみれば容易に理解できる。顔を歪めれば、扶桑は口元で弧を描き、
「オマエの拷問は仕事じゃねーけど――――趣味っつーことで付き合ってもらうぜ、“カタリナの車輪”ッ!!」
悍ましい気配が背後に出現する。前回喰らいかけた針車、
「誰がテメェのふざけた遊びに付き合うかッ!!」
ぎゅるん、と車輪が血を求めて唸る。私の背中へと真っ直ぐに迫るそれを、耳障りな音を立てつつ刃同士を合わせたまま、流すように滑らせながら奴の右側へと踏み込むことで回避する。刃を振り払い、そのままの勢いを殺し切らずに反転、狙うは奴の首。カッ飛ばしてやろうと振り切ったその時には――――同様のことを考えていたらしき奴の刃は、とっくのとうに振り抜かれていた。
鈍色が迫る。さながら死神が刈り取るが如く、凄絶な笑みを浮かべた口元が何よりも声高に奴の勝利を物語っていた。
それが確定せんとした瞬間、
ずぶッ
「ッ!?」
私の足元がほぼ頭一つ分だけ沈む。生暖かい沼の中に足を突っ込んでいるような、さながら粘ついた羊水に包まれているかのような感覚に思わず産毛が総毛立ったものの――――奴の黒刃は私の脳天を掠めて髪を数本切り裂くだけに留まった。
「な、んだその影ッ」
扶桑が声をあげる。同時、沼が――――影が『跳べ』と囁いた気がした。
奴が驚愕とクールタイムから立ち直るまでの一瞬に、身をたわめ、底から突き上げんとしてくる力と共に高く高く跳びあがる。
ひゅう、と風が制服の裾を大きく煽る。上空で一回転しつつその高度を確かめようとした瞬間、下方で闇が爆発した。
「チッ、いンじゃねーかよ“もう一人”ッ!!」
扶桑の忌々しげな声が呑まれる。跳躍した影は、私の足が抜けたと同時に巨大化し物質化し立体化して、獣の咢と化して奴を喰らったのだ。
「……意外とチートだな、アレ」
さあてどうやって降りよう。先ほどはやむを得ず跳躍をカマしたものの、現時点で可能な着地方法というのがとんと思いつかなかった。もう一度我龍走破を地面に叩きつけて相殺すればいいかとも思ったが、そもそも直下は扶桑を飲み込み蠢く影が占領している。重力加速度は断ち切れたとしても、アレにぶつかるのは流石に御免願いたい。
引力が私の身体を絡め縛り、疾く疾くと引き寄せる。ほぼ真下で行われている捕食に向けていよいよ本格的に落下を始めようかという時に、
「これくらいできねば“聖杯”など守れまいよ。チートであるくらいが、ちょうどいいのさ」
私の身体を抱きとめたのは、いつの間にやら現れたベルンハルトだった。
ふわりと舞った彼は、私を抱きながらもビルの影を器用に階段状に織り上げ静かに地面へと降り立った。彼が足を付けた途端、階段はずるんと元の影へと形を戻す。
「……っていうかテメェ城ケ崎はどうした」
「ちゃんと発信機代わりの“影”を付けているよ。デキる相棒を持って幸せだろう?」
「単にすっぽかしたとかじゃなくてよかったよ、テメェのドタマを代わりに水蓮に差し出すところだった。私はいいからとっとと奴を捕まえて仕事を終わらせろ、アイツは私が抑える。あと早く降ろせ」
「ついさっき負けかけてくせに何を言う。しかも首だぞ首、腕なら足ならまだいいものを、首を斬られれば一巻の終わりだとお前はきちんと理解しているのか?」
間近に迫る碧眼――――否、真紅のそれが私をじっと見る。数泊沈黙したのち、
「お前の目の色は結局どっちぃだッ」
「はぐらかすんじゃない」
降ろされた瞬間、びしっと強烈なデコピンをかまされた。地味に痛くて殴りたい。
「全く、それならさっさと殺してしまえ。あの影獣(Tier)はせいぜい足止め程度にしかならん」
「喰ったんじゃないのかよ」
「普通の人間なら軽くオーバーキルだ。だが奴は中で何か展開していて噛み千切れん」
何か。おそらく――――おそらく、例の鋼鉄処女だろう。奴のアレの使い方は主に盾だった。その見るからに圧倒的な硬度とサイズを見れば頷ける話ではある。
「俺はこの町に不慣れだから――――と思ったが、まあ、この時間かつ月齢もそこそこ。これなら影伝いで何とか追えるだろう。捕まえるまで抑えろ」
「言われなくてもそのつもりだよこのクソ吸血鬼。捕まえたらどうするつもりだ、わざわざ私とあの野郎がバトってるところにまでノコノコ連れてくるつもりか?」
というと奴は少し考え、やがてぱちんと一つ指を鳴らす。すると彼と私の間に横たわっていた影がにわかにざわめき、一つの丸い球を空中に吐き出した。それは地面に落下する前に一対の羽を自力で生やし、ぱたぱたと羽ばたいて私の肩に止まる。よくよく見ると丸っこい目も開いていた。
「……コウモリ」
「影蝙蝠さ。そいつに話しかければ俺に届く。ただし、言うまでもないだろうが元は影だ。光に当てるなよ」
「わぁったよ……っておい、どこ入ってんだコイツッ」
肩についたと思えば私の襟元にもぞもぞと忍び込んだコウモリを見、ベルンハルトが「羨ましい限りだ」とごちる。
「飼い主そっくりだな?」
「言うな」
「……馬鹿なこといってねェでとっとと行くぞ」
「仰せのままに、我が 姫」
ずるり、と吸血鬼の姿が足元の影に沈む。と同時、振り返った先で扶桑を飲み込んでいた影が急激に膨張し、
――――弾けた。
「あ゛ーッ面倒くせェ面倒くせェ……ッ。おい仄宮ッ、なんで俺とテメェの喧嘩にあんな無粋なヤローが割り込んでくるッ!」
見れば、彼は己が呼び出した鋼鉄処女の中から“出てくる”ところだった。開いたその拷問道具の中から夥しい量の血がぼたぼたと流れ落ち、道に血の川を作っている。奴のその黒づくめの衣服も穴だらけで血まみれのくせに、その言い草とふるまいからは一切損傷を受けている気配がなかった。ここにくるまでにベルンハルトが影で暴食をしたのでない限り、血の主としては奴以外にはあるまい。
化物か、アイツは?
「……いや、テメェに趣云々は言われたかねェよ。悪趣味にもほどがあるっつーか、正直ドン引き」
損傷ことを回避するために損傷ことを厭わないというのは、何というかとんだ本末転倒だ。他者の傷で死ぬくらいなら自分の傷で死んでやるという心づもりなのかもしれないが、どちらにせよその後の復活を前提としている時点でキリストもびっくりの倒錯には変わりない。
「ようやく消えたなァあのクソ外人……なんならそうだ、第二ラウンドと行こうじゃねえかッ!!」
奇しくも敵意とにやつきは真逆の構図。私と扶桑。私が飛燕の切っ先を定めれば、奴も処刑剣のぎらつきを月下に晒す。
静、と静寂が満ち。
間をおかず同時に足下のコンクリートを踏み砕き、――――深夜の激突が再び始まる。