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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅰ 花残月編
14/76

Act.12


<Act.12 4/21(水) 12:30>


【仄宮秋流】


 キーンコーンカーンコーン、と何も考えていなさそうなチャイムが鳴り、教師が教室から出ていく。生徒たちは皆、先ほどまで舟を漕いでいたとは思えぬほど清々しい顔で各々昼休みを過ごそうとしていた。

 私もその例に漏れず購買に行こうと席を立とうとした時、中途半端なところでそういえば今日は弁当があったのだと思い出した。まあ、見かけと性格はともかく料理上手な点だけは確かなアイツのことだから、これに限って劇物が入っているということもなかろう。改めて席に腰を下ろし、これも山の中から発掘してきたのだろう、薄紫の包み布を剥がす。

「ほ、仄宮さんっ」

「……?」

 かけられた声にふと顔をあげると、そこには思い切って声をかけたといった風の茅野がいた。その手には可愛らしい弁当の包み。言わんとしていることは、まあなんとなくわかる。

「一緒にご飯、……食べてもいいかな」

 普段嫌厭されている私にわざわざ誘いを持ちかける人間なぞあまりにも珍しい。クラス中の、遠慮がちでありながらありったけの好奇心のこめられた視線が集中するのを感じたものの、まあいいかと内心呟く。どうせ今日だけだ。向こうから嫌になって、明日からはまたいつも通りになるに決まっている。

「構わねェが、他の連中はいいのかよ」

「いいの。ありがとう」

 少し嬉しそうに笑み、彼女は私の前の空席に横向きに腰かけた。机の中心に開けていた弁当を少し自分側に寄せ、彼女が自身のそれを広げるスペースを作ってやり、私も自分の弁当箱を開く。

 紫色の弁当箱は色とりどりの食材で埋め尽くされていた。食べる者の食欲をそそるようにとおそらくは配色まで考えられて詰められたそれらは、まあなんというか、私が普段食べている購買のパンなんぞには及ばないほど美味しそうではあった。

「わぁ……そのお弁当、仄宮さんが作ったの?」

「……いや。私じゃねェよ。同居人が作ったんだ」

「そうなんだ。美味しそうだね」

 そういう彼女の弁当も、私のものより小さいながらバランスの良い組み合わせだった。なんとなしに言葉が零れる。

「それ、……自分で作ったのか」

「! うん、私、お母さんいないから……お父さんの分と合わせて、自分でいつも作ってるの」

 どこか気恥ずかしげに、しかしその中に僅かな誇らしさみたいなものを感じ取った私は、「そうか」と相槌を打って目をそらした。

 その感覚は、私にはよくわからない。別に前向きな目標があるわけでもないし、学校生活というものに楽しみを見出しているわけでもない。“聖杯”という異質なものが介入し生き返ったからといって、今までの、そして今のそんな世界が激変するわけもない。両親の不在なんてとっくの昔からだし、高校を卒業してのち真っ当に生きていくつもりもない。だから別に自炊もしないし、料理が上手くて羨ましいと思うこともなかった。

 否定だらけ。感慨もなく考えていると、彼女が思い切ったように口を開いた。

「その、仄宮さん……あの、よかったらでいいんだけど、おかず、一つ交換しない?」

 こちらを窺うように呟かれた言葉。私が嫌な顔をするのを厭うているのだろうが、そこまで他人の機嫌など気にしなくとも良いだろうに。相手は私のような人間だ、懇意になったところで大した得があるわけではない。とは思ったものの、そういう性格なのだろう。見た目からして押しの強いタイプには到底見えなかった。

 ただまあ、ここで無碍にしてバイトで波風立たれても面倒この上ない。遥にも釘を刺されていることだし。

「……どれがいい。好きなのとれよ」

 無表情のままそう告げれば、彼女の顔が途端ぱあっと華やいだ。何が嬉しいのかよくわからないが、まあ、満更でもなかった。気が向いたらベルンハルトに伝えてやろうと思わなくもない。

「仄宮さんは何がいい? なんでもいいよ」

 にこにこ笑顔が眩しい。沈黙しつつも彼女の弁当を眺め、少しして「そのハンバーグ」と小さく答えると、茅野はやや嬉しそうな顔でそれを箸で小さく割り摘まんだ。

「えっと、どこに置けば、」

 黙ったまま彼女の手首を軽く掴む。彼女が「え、」と戸惑うのを尻目に、自分の顔を近づけ手首を引き寄せ、箸の先のハンバーグを直接口に含む。ゆっくりと咀嚼すれば、ほどよい柔らかさの肉が口の中で零れて溢れた。嚥下して一つ「美味いな」と呟く。

「……? どうした」

 茅野が僅かに興奮したように慌てている様子が分からず首を傾げて問えば、彼女は「え、あっ」と我に返ったのち、

「ありがとう」

 にっこり笑った。

 ……そのあともとりとめのない会話をし(といっても私はほとんど相槌を打つだけだったが)、空になった弁当を包んだところで予鈴が鳴った。次は数学だったかと思い至ると、数学担当兼うちの担任の飛龍伊織がちょうど教室に入って来、誰かを探すように目線を彷徨わせた。

「あぁ、おい仄宮ー」

 だけでなく声までかけてきた。目が合ってしまってはしらばっくれることもできない。ここ最近奴に呼ばれるような何かをやらかした覚えはないのだが。そう訝しみつつも席を立ち、教壇まで歩み寄る。

「……何すか」

「まぁまぁ、仲良く話してたの邪魔したのは悪かったって」

 長身が苦笑を零し、そのまま手招きしながらくるりと踵を返す。どうやら廊下で、ということらしい。無造作に一つにまとめられた栗色の髪がふらふらと揺れるのを眺めつつ廊下に出る。

 最近は某吸血鬼が転がり込んできてくれたせいで良くも悪くも目立つようなことをする暇はなかったし、ここまでするほどの話となるとますます思い当りがない。……まさかそのベルンハルトの話というわけでもあるまい。この男はあくまで一般人だ、そういった裏の事情を知るはずがなかった。

「んで、話っつーのはだな。最近あった、あー、死体遺棄事件だったか。知ってるか?」

 死体。私が――を殺した時のあれだろうか。なぜこの男がわざわざ私にその話を持ち掛けるのか、知る得るはずがないのに――――知っているのではという疑いが、自然瞳と声音に現れる。

「……知らないす」

「お前朝といい毎回そんな剣呑な顔して睨むなよこえーだろ……まあいいか。知らないのか? ニュースは今それでもちきりだぞ」

「あんま見ないんで」

「そうか。何日か前、路地裏で女の死体が見つかったって話。お前ん家の近くみたいだったから、一応声かけとこうかと思って」

 ただでさえお前は危なっかしいからなあとぼやく姿は、どうやら本気で私を心配しているようだった。高いところにある焦げ茶の瞳は真っ直ぐに私を見つめ、邪気もなく澄んでいる。

 そういえば、そういう奴だった。飛龍伊織、入学当初から厄介事に巻き込まれてきた私を、担任として毎回毎回弁護しては別に頼んでもいないのに無理矢理無罪を勝ち取ってきた奴。何か思惑あっての私の謀やもなどとは露も思わず、彼にとってはいち生徒にすぎない私如きを毎度毎度気にかけ倒すその仕事熱心ぶりは、正直「教師」の領分を超えてさえいるように思える。

 まあ事実、校内で起きるあれやこれやに私の意図があったことは一度もなく、単に絡まれたから倍でやり返したというだけなので正当防衛無実は当然だろうとは思うのだが、暴力沙汰が起きてしまったのではそうもいかない。社会のお偉方にとっては私一人にすべての責任をおっ被せた方が楽なのは明白で、されど飛龍伊織という人物はそういう不実を良しとしない人間だった。わざわざ失職の憂き目に遭ったことも一度や二度ではなかろう。

 私が未だに学生を続けていられるのは、正直言って彼のおかげだ。だがそれだけ。彼にとって私という人間はそこらの頭の悪い生徒よりもよほどタチの悪い誘蛾灯のようなもの。いるだけで面倒を引き寄せる、それをここまでして守ろうとするのは打算故か――――はたまた馬鹿馬鹿しくも彼個人の正義感からか。

 前者のような言葉が全くもって似つかわしくなく、どうあがいても後者だろうとしか考えられない人間は、私の身の周りでは彼くらいだった。

「まあ多分、お前のことだからよっぽどじゃなきゃ逃げるくらいはできそうだが……万が一があると嫌だしな。本当に気をつけろよ」

 万一を“困る”と言わないところがらしい。「うす」と軽く頷くと、彼は一足先に教室へと戻っていった。

 背中を見つめながら、やはり彼は“こちら”ではないのだろう、そう確信する自分を冷やかに見つめる私がいることも、否定することはできなかった。


 *


<4/21(水) 23:49>


「――――遥から情報が入った」

 深夜。帰宅ラッシュも遥か昔に、私たちは名も知らないビルの屋上にいた。何のためかと言えばただ一つ、無論依頼である。上空がために吹き荒ぶ春の潮風が、桜の残滓と共に私の髪と隣の白いコートを跳ね上げて弄ぶ。

「この年中景気悪そうなシケたツラしてる野郎が城ケ崎満。遥曰く」ペラリと水蓮にもらった写真をちらつかせ、

 『二十七歳独身、魔術師だぬぇ。表的にはケーサツやってるみたいだけど、それも正義感からっていうよりは警備の裏を掻くのに必要な情報収集目的っぽいし、典型的な魔術師って感じかぬぇ。特に女好きではないみたいだけど』

「そんな奴がなんでわざわざ花街に? あそこは高級遊郭ばかりだろう、よほどの色狂いでもなければ行く意味も甲斐もないぞ」

 あの時遊女に手を出しがてらちゃっかり相場まで押さえていたらしい、さらっと返ってきた発言に「さあな」と答える。

「大事なのは依頼、それだけだ。深入りなんざ面倒くさい、詳しい事情は水蓮のヤツに任しときゃいいンだよ」

「それもそうだ。しかしこのロケーションは何故?」

「遥曰く、毎日この時間はあの通りを通るんだと。それを待ち伏せて、そこの路地に追い込む」

 爪先でコンクリートを軽く叩く。下方には町の暗がりに沈む路地が見えた。新宿の暗部、人目につかない裏側は公権力の外側となり得る。かなりの確率で血腥くなる私の仕事は、専らこういうところで済ませるのがセオリーだった。

「そして待ち伏せていた方が捕獲、か。どちらが追い込む?」

「適材適所だろ。私の方がこの町には詳しい、テメェが待ち伏せろ。追い込み漁はシメが肝心だ、トチんじゃねェぞ」

「姫の仰せのままに。しっかり捕らえて献上しよう」

 奴の慇懃で大仰な礼を背後に、不意に件の表通りがしんと静まる。この時間ともなれば度々現れる人波の間隙。逃す選択はない。コンクリートを蹴り、東側へと駆け出す。手すりを踏み台にしつつ次々とビルの屋上を渡り抜ければ、浮いた視界には真っ黒に塗りつぶされた夜の新宿湾が僅かに見えた。

 下方にターゲットを目視する。その背後に回り込む形で急制動、一切の躊躇いもなくビルを飛び降りた。

 夜気を孕んだ空気を切り裂きつつ、右手の扇子に左手を重ね合わせる。制服の裾が風に煽られてはためき、耳元で騒ぐ風鳴りを掻き消すように――――声を上げた。

「――――<飛燕招来>ッ!!」

 指が扇子を撫で、刃を撫でた。振り抜かれたそれは月光の下に煌き、刃紋を陽炎の如く揺らめかせて顕現する。

 着地まであと僅か。少しでもタイミングを誤れば肉塊ルートまっしぐら。されど恐れなど微塵もなく、飛燕を大上段に振りかぶり――――


「爆ぜろッ!! <蘭帝・我龍走破>ッ!!」


 轟ッ!!

 打ち下ろした軌跡より、裂帛を受けて紫龍が迸る。闇に沈みかけているビル街に現れたそれは、目を灼くほどの炎をガラスに映して地面に突き立った。爆音が巻き起こり、ガラスがびりびりと震える。

「ひ、ヒィッ!?」

 前方を歩いていた獲物ターゲットの上ずった声が煙の向こうから聞こえた。それもそうだろう。いきなり背後で爆音と閃光が炸裂した挙句、その黒煙の中から刀を持った女子高生が何ごともなかったかのように悠々と出てくれば。どんな人間であろうと驚き、場合によっては慄くであろうことは請け合いだった。そして、これが私の狙いでもある。

「よォ、城ケ崎とか言ったか? なァオッサン、社交辞令的に言っとくがここで降参する気はねェか。今なら有り金全部と口座番号と下にぶらさがってるソレ二つで手を打ってやるぜ。なるべく痛くないように努力はしてやる。どォよ」

「なッ……なんだお前はッ!? ふざけるな、誰の回し者だッ」

「オイオイ……自分がやったことすら覚えてねェのかよ、ポリ公してる割に残念なオツムだな。クライアントをそうホイホイバラすほど適当な商売してるつもりはないんだが」

 呆れつつ空いた左手で頭を乱雑に掻けば、腰を抜かしたままで半ば恐慌状態に陥っているらしい城ケ崎は、私のその仕草を勘違いしたらしく絞り出すように微かな悲鳴を上げた。

 一つ嘆息し、「で、どうするよ」と歩を進める。刀をふらふら、切っ先を揺らめかせながら、さながら死神の如くゆっくりと。

「この切れ味だ、タマ二つ失ったくらいじゃ死にゃァしねェよ、多分。遺伝子残す必要も予定もねェだろ? だがまあ、私としてはここでテメェの首落として仕舞いにしてもいいんだが。そっちの方が手間としては楽だしな」


 カツ、カツ、カツ。

 ローファーの音が一つ一つと響くごとに、奴の顔面がより濃厚な恐怖で覆われていく。


「あァそうだ、戯れだ。今の私は機嫌がいい、」


 カツ、カツ、カツ。

 口の端をニヤリと歪めて、


「逃げてもイイぜ? 追うけどよ」


 残り三歩。きっかり計算したところで、城ケ崎は尻に火が付いたかのように跳びあがり全力で逃げ出した。それを見、口元に張り付けた笑みを引き剥がす。

「……、ま、狙い通りか」

 ベルンハルトと二人がかりで捕らえてもよかった。一般人が相手ならばそうしていたことだろう。だが奴は魔術師だ、その手札が分からないうちに手を出せば手酷い反撃を受けかねない。ゆえにあえて恐慌状態で逃亡させ行き止まりまで追い詰め捕獲しようという話だった。忌々しく面倒くさいことこの上ない。……悪役ヒールも悪かないかもしれないと思ったことは完全なる蛇足である。

 ――――レースはまだ、始まったばかりだった。

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