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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅰ 花残月編
12/76

Act.10


<Act.10 4/20(火) 20:00>


【扶桑朧】


「ッハハ、くくくくッ」

 帝都新宿、その裏側。光の一切届かない路地裏を歩きながら、俺はこみあげてくる笑いを抑えきれずに吐き出した。彼女に蹴っ飛ばされた右脇腹が、その拍子に未だ冷めやらぬ闘志と共にずきりと痛む。

 そう、仄宮秋流、仄宮秋流だ。約一週間前の話、街中で声をかけてきたと思えば突然襲い掛かってきた魔術師殺しの少女。扇子を媒介にして日本刀を呼び出し扱い、更にそれを通じて紫色の狂暴な炎を飼い慣らす明石(うち)の二年。しかし一方、俺がアチラの素性を知っているのに対し、当の本人は俺が明石高校の職員も職員、白衣の天使ならぬ黒衣の天使・養護教諭であることには全く気付いてないようだ。まあ教員に比べて「保健室の先生」というのは人によって全く接点もないことも珍しくないからそれも仕方ないのだが、本音としては見覚えくらいはあってほしかったところである。その一瞬の戸惑いの隙さえあれば、初撃で殺すこともできたものを。

 まあそれでも、あの性格では仮に見覚えがあったとしても躊躇いなく刀を振り抜いていたであろうことは想像に難くない。彼女とは何度か会っていて、その覚えがあったからこそ俺も彼女に殺されるなどという不覚を取ってしまったわけで(なんとも情けないのは言いっこナシだ)、それなのに彼女が俺のことを『完全に初対面だと思い』攻撃してきたのは、まあ、彼女の性格が垣間見えるといったところだろう。

「なかなかイイ趣味してやがるよなァアイツ……」

「そうだな。そんなお前も負けず劣らずイイ趣味だと俺は思うぞ」

「ヒッ」

 嫌というほど聞き覚えのある声に反射的に跳びあがってしまった。おそるおそる振り返れば、物陰からでてきたのは飛龍伊織に鈴谷抹巴――――公私共に腐るほど縁のあるセンパイ二人だった。今一番会いたくないランキングトップスリーを見事に占める人選に冷や汗が伝い落ちる。

 俺よりも少しばかり高い背がつかつかと距離を詰め、後退りかけた俺を逃がしはしないというように肩を掴みやる。これはヤバイ。実にヤバイ。

「なにテメェ保健室と仕事バックレてうちの生徒とイチャコラしてんですかァ? そんなにうちの艦攻の魚雷喰らいたいのか? なあ扶桑?」

「アレがイチャコラこいてるとかアンタ目腐ってんじゃないスか!? っていうかシャレになりませんしソレ……一体いつから」

「……お前と仄宮が戦い始めた時くらいだ……おい、こいつ元気じゃないか、飛龍。俺まで引っ張り出す必要はなかっただろう……全く、静桐と久々に二人になれたのに……」

「アンタら四六時中イチャついてるんだから別にい……ぎっ、ギブギブギブッ」

 ギリギリギリと飛龍センパイに三角締めをキメられ思わず大声をあげれば、二人に揃って「しーっ」と諫められてしまった。なんだこの俺が悪いみたいな扱い。それならセンパイは本気で落とそうとしないでほしい。

「鈴谷と熊野はいつものことだとして、おい扶桑本当に何のつもりだ」

 何のつもり。この場合、問われることは当然仄宮のことでしかない。改まって険しい顔を作る飛龍センパイや鈴谷センパイ、二人からすれば彼女は教え子の一人であり、特に前者にとっては自分が受け持つクラスの大事な生徒だ。それと自分の後輩が生死の瀬戸際で斬った張ったを演じているとするならば、確かに素知らぬフリはしていられまい。それに、明石機関の一人としても。

 一般人に手を出すとはどんな了見だ、と如実に問い質してくる瞳にさてどこから答えたものかと頭を乱暴に掻く。

「……別に、俺がつっかかったワケじゃないッスよ。一応言っときますけどね。最初に手を出してきたのはアイツ、仄宮ッス」

「はあ? 仄宮が? ……いやいや確かに素行はあんま良くない奴だが、そんな」

 全く考えもしなかったという風に飛龍センパイが露骨に狼狽える。反面、鈴谷センパイはどこかでそれを知っていたのか、それとも確証こそなくともなんとなくわかっていたのか、あまり驚いた様子はない。こういうところがこの二人は正反対なのだが、まあだからこその縁というか仲の良さなんだろうとは思う。閑話休題。

「アレが一般人なら俺らだって十分一般人にカテゴライズされますって。むしろ逆、超どっぷり。人を斬るってことへの抵抗なんざゼロだったし、多分アレは一線吹っ飛ばしちまってる類ッスね」

 先ほどと何日か前の戦闘を思い返しながらそう私見を述べれば、鈴谷センパイが静かにその黒瞳の視線を俺によこした。明りの届かない路地裏で、壁にもたれてこちらを窺うその黒衣の面立ちは、光一つないというのに白く映えて端正に浮かび上がる。

 無言の催促。そう断ずる基準はといえば、

「いや、なんとなく。勘で」

 ぴし、と二人のセンパイに亀裂が走った気がした。とりわけご担任様の方に。

「テメェ……特に根拠もなくうちの生徒をぶっ飛びイカレポンチ扱いするたァ新宿湾の漁礁になる覚悟はキマってんだろーなァ扶桑君よォオオ」

「飛龍センパイちょっやめっなんでそんなヤクザみたいな言い草なんスかちょっとッ!?」

「……飛龍、落ち着け」

 鈴谷センパイの制止により乱心の飛龍センパイがようやく停止する。容赦なく掴まれゆさぶられた襟元を乱雑に直しつつ、言葉を継ぐ。

「確かに勘ッスけど! 一応ちゃんと裏付けはありますってもちろん。それが、アイツの『異常なほどの魔術師への執着』ッス」

 彼女と初めて戦ったあの夜も。

 そして先ほどの戦いでも。

 彼女は、俺のことを『魔術師であるから殺す』と宣言した。そして先ほどは『俺が彼女をそう呼ばわったからなお殺す』とも。両に共通するのは、考えるまでもなく“魔術師”というその存在、その概念に対する徹底的なまでの嫌悪だった。

 俺という個人への殺意は即ち魔術師そのものへの殺意へと変換され、そしてそのプロセスに疑問を抱く素振りも見せない。そこに一個人の人格が考慮に値する素材としては一片たりとも存在していないのは明瞭で、『鬼殺しの紫炎』、その名の通り彼女は魔術師のことをただの『鬼』としか見てないのだろう。即刻切り伏せ切り捨てるべき異端の徒、それは確かにその通りかもしれない。魔術師なんていうものは、人類社会から考えれば圧倒的少数弱者だ。例えどれだけ凄まじい能力を持っていようと、それが人殺しの権能である限り俺たちはその定めからは逃れられない。

 だが真に異常と称すべきはその事実ではない。それだけの殺意(ねつじょう)を抱いていながら、彼女自身は抱えるその“矛盾”を正しく認識していない、その事実が『異常』に過ぎる。

 そこまで話し終えた頃には既に二人とも冗談交じりの表情はなりをひそめていた。そのうち口を開いたのは、鈴谷センパイの方だった。

「……今までに新宿で殺されてきた魔術師たちは、全員仄宮の……いや、それは早計だろうな……」

「ッス。今思えば明らかにアイツの仕業とわかるのもいくつか……でも以外は違う、それは確実ッス」

 仄宮の仕業ならば――――あの紫炎と太刀の仕業ならば、必ずその遺体のどこかに火傷と刀傷があるはずだった。それも、一切躊躇いのない、いっそ清々しく綺麗とさえ思えるほどの真っ直ぐで深い傷跡が。

 工作員として長年様々な死体を見続けてきて、センパイたちには叶わないが一応何度も犯人と斬った張ったをしてきたから、わかる。そこまで鮮やかに人を斬れるのは、強固で揺らがぬ信念、もしくは命に代えても倫理を犯しても守りたいものがある人間か――――いっそ人を人とも思っていない人間だけである、と。人を斬ることを良しとする、それを自分に納得させることの難しさを、俺たちはよく知っていた。

「傷は斬ったヤツの人間性を表すものッス。どっちにせよあんたたちの可愛い生徒がこっち側だってことには変わりがないんだ。――――手は、出さないでもらいますよ」

 俺と仄宮の闘争は、どちらかが死ぬまで終わらない。それは最早誰の目にも明らかであり、そして帝都裏側で行われる殺し合いである以上明石機関ですらも介入は許されない。機関が制裁を行うのは、その争いが第三者を巻き込んで肥大化し、表の世界にまで被害が及んだ時のみだ。

 ゆえに。明石機関の執行者である二人に、俺たちの争いを阻む権利はない。――――不文律に則り、それが扶桑朧と仄宮秋流の闘争である限りは。

 告げれば、少し沈黙したあと二人揃って「はあ」と嘆息した。呆れたというよりは諦めたという感じ。

「そういうことと妹のことに関しちゃほんとに強情だよなお前……分かってるよ、仕事さえしてくれりゃあ文句はねーって」

「……扶桑、ここのところ休んでいたのは……?」

 あー、と唸って頭をがしがし掻く。痛いところを突かれた。

「……すぐ生き返りはしたんスけどね。ちょっとばかし仄宮の情報集めの方を」

「あァン? 仕事ほったらかして? 学校もほったらかして?」

「ヒッホントそれについては申し訳なく思ってますってばッ」

 飛龍センパイの鋭き眼差しが不穏に光り、俺はただただ平謝りするしかない。この人青春時代はさぞかしぶいぶい言わせていたんだろうなあと思うばかりである。

「ホントあの酒奢るんで平にご容赦を」

「……お前下戸だろ」

「……ノンアルで」

「んなもんただの炭酸飲料じゃねーか!! いいよ俺コーラな!!」

「結局飲むんスね……鈴谷センパイは」

「……俺は静桐と「今呼んだ。来るってよ」……オレンジジュース」

「下戸ッスね~。ハイハイ買ってくりゃいいんでしょっと」

 裏側に生きる――――とはいえ、俺たちの関わりは、表と大して変わらないものだった。馬鹿をやって酒を呑み、笑い合って朝日を拝む。そんな相手がいるという点において、同じイカレ者でも俺の方がまだ幸せ(まとも)なのだろう。仄宮よりも。

 路地裏から歩き出し、鮮やかに目を灼くネオンの下を歩む俺たちの足元には、それぞれの影が色濃く影に融けていた。


 *


<4/20(火) 20:00>


【仄宮秋流】


「い゛っ……づッ! おいてめやるならもっと丁寧に゛ッ」

「いいからおとなしくしてろ」

「テメェが傷ンとこ触るからだろうが……」

 自宅、リビングにて。奴の背中で不覚にも寝落ちてしまった後、服を脱がされ――――とはいっても卑猥な意味ではなく、手当のためという至極真っ当なものだった。

 特に重傷だった左脇腹の傷がベルンハルトの手によって見る間に包帯に覆われていく。その所作は驚くほど淀みのないもので、私が呻き声をあげているうちにいつの間にやら終わってしまっていた。

「それで? さっきの男とはどういう関係なんだ、秋流」

「なんで浮気を問い質すみたいになってんだよ……」

 手渡された部屋着を着つつ嘆息すれば、奴は無言で席を立ち台所へと向かった。無反応。それは、わざわざ言い返すべくもなく私が説明するのは当然だという彼の考えの現れであり。

 再度嘆息し、仕方ないと私は渋々口を開いた。

「……扶桑朧。私がお前に“聖杯”なんて胸糞悪ィモン移されなきゃいけなくなった、その元凶だよ」

「というと、殺されたのか。あの男に」

「……結果的にはな。だが、本当なら私が先にあの男を殺していたはずだ」

 苦渋が滲む。私が奴を殺し、奴が私を殺したあの夜のこと、忘れもしない。もう一人の――と出会う前、奴の息の根を止めたあの時のこと。

 瞬間走ったノイズに顔を顰めつつ、

「アイツの脳味噌かち割って確実に殺したってのに、その傷すらなく平気な面して襲いかかってきた。なんで生きていたのかは知らないが、それでも確実なことが一つだけある。私はもう一度アイツを殺さなきゃいけないってこと、そしてアイツも、また私を殺しに来るってことだけだ」

「来たらどうするんだ。という問いは、愚かなんだろうな。その様子だと」

 言いつつ、ベルンハルトは私の前にコトリとホットコーヒーを置いた。立ち昇る湯気に「猫舌なんだよ」というと、「次からは覚えておこう」と言葉が返る。

「来たら殺し合うにきまってンだろ。どこだっていつだって同じだ。……次は手出しするンじゃねェぞ」

「説得力がないな。息巻くのは勝手だが、勝ち目のない勝負に挑むのは馬鹿だけだぞ」

「うるせェクソッタレ、絶対殺したはずの人間がいきなり襲い掛かってきてそうすぐ冷静になれるかよ」

「ふむ。まあそれはそうか」

 両手でカップを掬い取り、小さくコーヒーを啜る。冷める気配のないそれに僅かに顔を顰めると、脇に腰を下ろした奴にカップを奪い取られる。無言の視線で抗議すれば「猫舌なんだろう?」と言い置きつつコイツ人のを飲みやがった。

「気に食わんな。何故そこまであの男に拘る」

「白黒はっきりしねェのは気に食わねェんだよ。売られた喧嘩をそのままにすンのもな。それにだ、なァベルンハルト」

 碧眼が沈黙と共に視線を寄越す。

「私は初め、こう名乗ったよな。『仄宮秋流、魔術師殺しだ』と。アイツは魔術師だ。だから殺す。死ぬまで殺す。人を殺すことに『気に食わない』以上の理由なんざ要るか?」

 口元を笑みの形に歪めれば、彼はやがて諦めたという風に首をすくめた。これ以上は望めないということをようやく悟ったのだろう。

「わかったわかった、勝手にしろ。ただあまり派手にやらかすなよ、隠蔽と手当が面倒だ」

「別に放っときゃいいじゃねェか。わざわざこんなご大層にしなくても」

 傷に一瞬視線をやり憮然として返せば、奴は半目でこちらを睨み「痕が残ったら困るだろう」と答えた。斜め上の答えに思わず「は?」と間抜けな声が漏れる。

「ンなモン……別にいいだろうが。なんでお前が気にする」

「別に別にとわからずやだなお前は。あのな、抱く時に他のどこの馬の骨とも知れん男につけられた傷なんぞ目に入ってみろ、せっかくの気分も興醒めするだろうが」

「ちょっともう一回扶桑に仕掛けてくる」

「まあそれでも最終的には抱くがな。それはもうきっちり丹念に体の隅々まで教え込んでやる」

「チッ」

「ともかく。……デカイ傷は命に関わる。無茶するなよ、いいな」

 冗談と本気を両方混ぜ合わせたようなセリフを吐き、奴は空になった自分のカップを台所へと片付けに行った。私はと言えばようやく口を付けられるほどに冷めたコーヒーを一口飲む。

 ふと、当たり前のように他人を傍に置いている自分に気付いた。当たり前のように人の淹れたコーヒーを飲み、当然のように他人の匂いを許している。戸棚の中に自分のものではないカップがあるのにも最早慣れた。

 ずっと――――去年のあの夏から他人を排してきて、そしてこれからもそのつもりでいた私には本来あり得ないことのはずで、だからこそ違和感の一つでもなくば辻褄が合わないだろうに、全くもってその片鱗すら現れないことの方にむしろおかしさを覚えた。

 そこまであの吸血鬼に毒されたか――――そうも思ったが、正確に否と返す前に、奴の言葉が思考を遮った。

「秋流、夕飯は」

 それはまるで、答えてしまっては何かがいけないという私の予感を汲み取ったかのようで。嘆息し、私はぬるくなりかけのコーヒーを飲み干す。

「……食う」

「そうか」

 そうして彼は、小さく笑った。

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