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プロローグ

 夢の中の君に


 生まれてこい


 どんな状態でも


 お前は、俺の息子


 父として


 夫として


 俺は、全てを背負う


 お前は、俺の息子


 母と共に


 人生を歩いて行こう


 そこに、どんな困難があろとも

 運命がその残酷なときを刻み始めたのは、吐く息さえも凍りつくのではと思うほど寒い夜だった。一人の中年の男性が暗い廊下のソファーに座り、一点を見詰めて何かを呟いている。


「頑張れ……頑張ってくれ……」


 待つことしか出来ない歯痒さ、託すことしか出来ない情けなさ。その両方が、男性に襲い掛かっていた。速見勝則(はやみかつのり)、三十五歳、本当なら嬉しさで満ち溢れている筈である。


 確かに、此処に来た当初はそうだった。だが、時間が経つにつれて、不安が増大してしまう。しかし、勝則は思う。自分よりも、妻の早苗(さなえ)の方が何倍も、辛く苦しかっただろうと。


 結婚したのが勝則二十七歳、早苗二十五歳のときだった。三十を過ぎても、子供が出来なかった。そこで不妊治療に踏み切ったのである。


 四年と半年、苦しく辛い不妊治療の最中に、妊娠を医師から告げられる。その嬉しさは、言葉では言い表せないものだった。


 仕事中に、出産準備に入ると連絡があり、喜び一杯で飛んできたのに。今は、地獄の底に居る気分である。


 分娩室に入って、五時間が経過していた。慌ただしく、分娩室を出入りする看護婦と医師が勝則の不安を一層煽っている。


「神様でも何でも良い。守ってくれ、頼む……」


 祈ることしか出来ない。勝則の想いは、何処かに届くのだろうか。


 それから、どの位の時間が経過しただろう。分娩室のドアが開くと、赤ちゃんを抱いた看護婦が出てきた。


「男の子です」


 その言葉に、勝則の表情が緩む。待ち焦がれた我が子、早苗との愛の結晶。無論、両手を広げて、我が子をその腕に抱こうとする。だが


「今はダメです。これから、集中治療室行きます。そこで、担当の医師から説明がありますので、一緒に来て下さい」


と、言われてしまう。


「妻は、早苗は大丈夫何でもですか?」


「奥様は、疲れているだけで心配いりません」


 早苗のことを心配しつつ、勝則は集中治療室に向かった。看護婦は、そのまま中に入ってしまう。勝則は、廊下で待つように言われた。


 医師が一人カルテを手に、集中治療室から出てくる。


「私は、小児科医の細田(ほそだ)といいます。御子息の病状について説明しますので、こちらにどうぞ」


 細田医師と診察室に入った。何を聞かされるのかと、勝則の心中は穏やかではない。ただ救いなのは、細田医師の表情がさほど険しくないことだろう。


「先生、息子は、早苗は、大丈夫なんでしょうか?」


 食い付くように、細田医師に問い掛ける。


「落ち着いて下さい。奥様は、病室で休んでいます。疲れているだけで、何の心配も要りません。ただ……」


「ただ、何でしょう?」


「御子息に、少し問題があります。難産だった為に、無酸素症を起こして、脳性麻痺を併発しました。幸い症状は軽く、命に別状はありません。ですが……」


 イヤな言葉の切り方が続く。勝則は、苛立ちを抑え込もうとしたが、限界を迎えた。


「先生、ハッキリ教えて下さい!」


 叫び声が、廊下に響き渡った。深夜なので、誰も居ない。


「分かりました。あなたは父親になったのです。その覚悟は、よろしいですか?」


 息を呑んで、ゆっくりと頷いた。そして、父親の責任を重く受け止める覚悟を決める。


「脳性麻痺により、右半身に麻痺が残ると思われます。長いリハビリと治療が必要不可欠です」


 その言葉に、勝則は下を向いてしまう。やっと授かった息子が、脳性麻痺で右半身に麻痺を抱えて生きていかなければならない。その現実を、どう受け止めていいのか分からない。


 細田医師には、そういう風に見えた。励ますことは簡単である。だが、下手な励ましは、かえって勝則を苦しめてしまう。そう考えて、細田医師は話を進めることにした。


「では、リハビリの説明を簡単にしておきます」


「待って下さい。訊きたいことがあります」


「な、何でしょう?」


「そのリハビリを行えば、息子の麻痺は治るのですか?」


 そう訊きながら、勝則が細田医師を見た。その表情は真剣で、細田医師が驚異を感じるほどである。アリのままを話そう。細田医師は、そう決意する。


「残念ながら、今の段階では百パーセント治るとは言えません。ですが、普通に生活するのに困らない程度には回復すると断言できます。しばらくは、車椅子と松葉杖の生活になるでしょうが、リハビリを続けることで外見からは分からないほど回復するでしょう」


「本当ですか?」


「絶対に、大丈夫です!」


 沈黙が、重く診察室にのしかかる。それは、息が苦しくなるほどに、時間にしたらほんの数秒だった。だが、何時間にも感じられる。


「良かった……本当に、良かった」


 そう言って、笑顔を見せる勝則に、細田医師の驚きは隠せない。


「良かったのですか?」


「私は父親です。息子より早くこの世を去ります。そのときに、普通に生活出来ない息子を置いていくなんて出来ません。ですが、普通に生活出来るようになるなら、私と早苗とで息子を治してみせます」


 父親としての責任、それを受け止めた。細田医師にはそう見える。


「その通りです。私も、出来る限り協力します。頑張って、治してあげましょう!」


「よろしくお願いします」


 そう言って、深々と頭を下げる。細田医師も、それに答えるかのように肩を叩いた。リハビリの説明を再開して、簡易的な説明が終わると


「奥様には、私から説明しますか?」


と、訊かれる。


「私には、夫としての責任もあります。早苗には、私から説明します」


「分かりました」


 診察室を出る勝則、自分で説明すると言ったものの、どう説明していいのか分からない。廊下を歩いていると、集中治療室の前を考え無しに通りかかる。


 廊下の窓際に、速見の文字が見えた。その後ろに、何本もの管に繋がれた我が子の姿を見る。窓に両手をついて、聞こえる筈がないのに語りかける。


「頑張ろうな……絶対に治してやるから……」


 我が子への想いが、勝則の両目から溢れだした。そして、悲しくて、切なくて、苦しいけれども心が暖かくなる。そんな物語が、その幕を上げたのだった。


 誕生より十五年


 月日の流れは


 想像出来ない困難を背負わせた


 それは、母親を直撃する


 次回「消えた息子、母親の叫び」で会いましょう


 注)ハンカチとテッシュのご用意を!

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