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一話 日常と非日常  

 ――周囲から聞こえてくる会話に耳を澄ます。


 連続焼殺事件。特殊な刃物と火を放つ何かを使って、夜中に出歩く人を一週間に一回、何人も惨殺する特異な殺人事件だ。

 警察も調べてるみたいだが、まったくと言っていいほどに足取りを掴めていないらしい。

 そんな凶悪な事件だが。人間って生物は自分にさえ火の粉が降りかからなければ、それをスリルとして楽しむ人間が大多数いるわけだ。


「おれが聞いた話だと、黒尽くめの服で、右手に火炎放射器、左手にノコギリ、ってスタイルらしいぜ」「いやいや、俺はヨガの達人って聞いたぞ。ほら、口から火を出すじゃん」「それはゲームだけの話じゃねえか……?」「謝れ! 某格闘ゲームの人に謝れ!」「やっぱそれゲームじゃねえか!」「ヨガふぁいあ! ヨガふぁいあ!」「お前は黙れ!」


 こんな感じで、休み時間はわけわからねえ話で持ちきりなわけだ。今は昼休みだから、他クラスから集まる奴まで出てきて、さらにお喋りはヒートアップしている。

 不謹慎という奴はいるだろうけど、学生には何か日常を崩すスリルが必要不可欠なわけで、そもそも見ず知らずの誰かが殺されたって痛くも痒くもない。テレビでニュースを見れば分かる事だろ? 毎日毎日人は死んでるし、それに対して特殊な感情を覚える奴は稀だと思う。大抵は日常の一ページとして記憶にも残らないはずだ。

 それに、警察とかそういう組織が足取りをつかめない何か。それが、若い俺たちの想像力――もとい妄想力――を掻き立てる。


「でもさ、こういう話で盛り上がってるのは一部の男子だけだよね。ここから結構近いし、たいていの人は恐がってるみたいだよ」


 弁当を食いながら言うのは我が友人こと栗栖刀夜くりすとうやだ。

 百五十五センチという小さな体、大きい瞳に口紅もつけなくても赤い唇、肩まで届く黒髪はよく手入れされている。

 その姿は、パッと見――つーか、よく見ても女の子にしか見えない。

 おまえホントに男子高校生かよと問いかけたくなる。制服を着ていなければ、誰もが間違いなく女と思うだろう。

 ――そういう俺、静間宗司しずまそうじにも、昔こいつを女だと信じていた時期があった。うん、その時に俺、不覚にもちょっとトキメイてしまいました。

 こいつに比べりゃ俺なんか全然普通だよな。背は百七十程度、髪はやや短め……まあ、目付きは悪いって巷で評判だが。

 なんたって、不良グループを少し見ただけで「テメエ何睨んでやがるクラアァ!」とか言われて追いかけ回された経験があるんだぞ?

 まあ、それを含めて普通――じゃないな。自分の『力』を思い出し、自分で導き出した答えを否定する。


「静間、どうしたの?」


 首を傾げて問う刀夜。その仕草が、そこらの女子よりも魅力的で、ああ、こいつとなら禁断の道に走ってもかまわねー! と思うのは俺だけではあるまい。それに、こいつを女だと思って告白したやつは随分いるらしい。


「いや、ちょっと考え事をな」


 まさか考えてた事を包み隠さず喋るわけにもいかず、適当にはぐらかす。


「あの事件?」

「ぁ――ああ」


 よかった、そっちで納得してくれたか。

 力の事は話せないし、それに刀夜の女性的な魅力の話もマズイ。もしそんな事を考えてる事がばれたら――殺される。

 ふざけて姉貴の服をプレゼントして、気がついたら保健室に運び込まれた俺が言うんだ、間違いない。


「ほんと、さっさと捕まえてほしいよな。おちおち散歩もできねえ」

「だから、それ危ないから止めなって」


 心配するような、呆れるような、そんな顔をして溜息をつく刀夜。その仕草から、心配より呆れのほうが勝っているのは誰の目にも明らかだ。

 それもそのはず。このやり取りは既に二桁に達しているんだから。最初の頃は本気で心配してくれてた刀夜も、今は言っても無駄というのが分かったらしい。だが、それでも時々言ってくるところを見ると、一応は心配している部分も残っているらしい。


「ま、危なかったら盛大にシャウトしてみるから、心配するな」

「はぁ、もういいよ。チャイムなる前にご飯食べちゃおう」


          ◇


 昼休みから二時間近い、授業と言う拘束時間は終わる。HRが終了を告げると、刀夜と俺を含む全員が帰宅モードに移行する。

 本来、部活動をやってる奴はこれからその部室などに向かう事になる。けれど、連続殺人が起こっている今は活動を停止されているみたいだ。


「人が死んでるのに、みんなノンキだよね」


 と、刀夜。……まあ、これはノンキ、っつーか不謹慎だな。部活無くなって明らかに喜んでる奴が目立つ。いいねお前ら、正直なのは美徳なのですよ?


「人間ってそんなもんだろ? 自分が関係無けりゃ大抵の事はどうでもいいんだよ」


 遠くの国で戦争して苦しんでいようが、火の粉がこっちに向かなければ関係ない。対岸の火事ってやつだ。俺たちはただ、いつも通り日常を営むだけさ。


「それは、そうかもしれないけどね……」

「ったく、んなへヴィな話は適当に流せよ」


 俺ら学生が考えたってどうにもならない事だろうに。警察が捕まえるのを適当に待てばいいんだ。

 そこまで考えて、溜息を一つ。

 なぜに帰り道にこんな重い話をしてるんだ俺らは。


「もっと、こう……血肉沸き起こる楽しい話題っつーか――なあ、刀夜」

「……訳分からないから、それ」


 こめかみを押さえながら、呆れたように呟く刀夜。


「うるせえ、こんなもんは感覚なんだよ、感覚。言葉で理解を求めるなっ!」


 こんな風に適当に、けれど楽しく喋りながら階段を降りる。

 昇降口に辿り着くと、下駄箱から靴を取り出し外に出る。

 そして校門へ向かう途中、人影が見えた。春には新入生相手にピンク色の衣装を見せびらかす、けれど今は裸身を晒す桜の木。その下に彼女はいた。

 二月の風でなびく黒絹のよう長髪。肌は髪の黒さと反比例するような処女雪の白だ。瞳は大きく、宝石で例えるならブラックオニキスといったところか。そして、口唇はまるで鮮血。


「一年の、冬樹魅霊ふゆきみれいさんだね」

「知ってるのか?」


 その細い体を包むのは学校のブレザーに、紺のオーバーニーソックス。特に化粧をしているようには見えないけれど、そこらのモデルよりも俺の瞳を奪う。

 いや、モデルというよりも人形の方が例えとしては正しいだろう。凹凸の少ない細身の体は、テレビに映る娘たちとは絶望的なスタイル差がある。


「けっこう有名だからね。面接の時、学校の志望動機を聞かれて『近いから』って言って落とされたんだ。でも、そのあとの一般入試で全教科満点で先生達に渋い顔されながら入学したっていう、ある意味生きた伝説だから」


 ――そ、それは。


「なんつーか――すごいな」 


 もちろん、褒め言葉ではない。いや、それよりもだ。一般で満点取れるんなら、もっと上の学校を狙えたはずだろうに。もしかして本気と書いてマジなのか、その時言った志望動機とやらは。


「どうでもいいよ、そんなこと。早く帰ろ」


 急かすように、先を歩く刀夜。気のせいか少し不機嫌そうだ。まさか――


「……妬いてる? くくく、大丈夫だぞ、刀夜。俺はお前一筋だからな」

「冗談でもそういう事言うなー! 僕は妹みたいな小さい女の子がすきなのっ」


 ……それは、声を大にして言っていい事なのか?

 そういや、こいつの趣味は特殊だ。メイド服があればごはんが三杯食べられる、なんてよく言ってるし。

 ……こいつと付き合う事になった女って、大変なんだろうなぁ。色々な意味で。

 もっとも、刀夜をメイド好きに変化させたのは俺なんだが、まあその辺は全力で棚上げしておく。


「それにね、僕はあの子、好きじゃないんだ」


 ――少し、驚いた。

 刀夜は人の悪口というか――そんな「気に入らない」って発言を言うとは思ってもみなかったからだ。


「そんな事より。ほら、馬鹿な事言ってないで、帰ろうよ」


 手を引かれながら校門から出る。

 ……これが女の子なら、かなりおいしいシチュエーションなんだが。

 二度目の溜息を吐きながら、帰り道に足を向けた。


         ◇


 学校が終わり、家に着くと冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。

 食材よりもコーヒーのほうが多いという、特異な冷蔵庫。俺も姉貴もコーヒー好き故に起こる事態である。

 電気ストーブのスイッチをオンにして、噴射口の前に座る。

 寒いのは好きだが、それだけでは人間生きていけない。いくら肉が好きだからといっても水分無しには生きていけないようなものだ。

 缶コーヒーのブルトップを開けて、一気に飲み干す。くー、このために生きてるな俺って!

 暖かいストーブの前でキンキンに冷えたコーヒーを飲むのは格別だ。そんな親父臭い事を考えてると、玄関が開く音が響いた。おそらく、つーか確実に姉貴だ。


「あー、宗司帰ってたんだ」


 そう言って入ってきたのは、今年で二十になる我が姉である。

 やや小柄な背丈に肩の辺りでバッサリと切った艶のある髪。スタイルはいいし美人ではあると思うのだが、俺が知る限り恋人ができたという話は皆無である。

 その静間望しずまのぞみという名を持つ姉貴は、俺を押しのけるようにストーブの前に座る……ってコラ。


「おねーちゃーん。帰ってきていきなりする事が、弟の幸せを奪うことぉ?」

「うっわっ! なにそのキモチ悪い喋り方。即刻ヤメテ、ストーブの前で凍死するっていう珍しい死に方はしたくないし。それにあたしはさっきまで外にいたんだから、譲るのが当然でしょ。ほら、しっし」


 そう言われると返す言葉も無い。素直に譲ると自分の部屋に入る。

 ……暖房器具が無いからけっこう寒い。まあ、我慢できる範囲だからこそ暖房器具が無いわけだが。

 そんな事を考えながら、もしかしたら放熱で暖房器具になるかもしれないパソコンの電源をつける。

 ハードディスクが回転する音をBGMに、帰り道に買った雑誌に手をかける。ちなみに十八歳未満のお子様はみちゃいけません、ってやつだ。けど、俺を含む最近の若者が、そんなルールを守っているとは到底思えないんだが。

 袋とじを開くためにハサミを――ってどこだったけ? まあ、これでいいか。

 その思考と行動はほぼ同時。右手から生み出した『不可視の刃』でそこを切り取っていた。


「って馬鹿」


 慌ててその力を解除。刃を消す。

 使わないように、と思っているけれど、ふと油断した瞬間に使ってしまった。

 おそらく、この力は俺にとって手足を動かすのと同じくらい簡単な動作なんだと思う。例え、どんな異常な力でも。


『不可視の刃を生み出す』それが、俺が持っている異常な力だ。


 原理は分からない。分かっている事と言えば、イメージするだけでその形の刃を目に見えない状態で生み出すことができる、という事くらいだ。


「なんでこんな力があるんだろうな……」


 昔、俺がまだ静間という苗字ではなかった頃、その時に何かあったのかもしれない。


 ――そう、俺はそもそも、この静間の家の子供ではない。


 元は刀我とうがという家にいたらしい。

 らしい、というのは子供だったから良く覚えていない、というわけではない。そこで十年の歳月を過ごしていたはずなのに、住んでいた時期の記憶がぽっかりと空いてしまっているのだ。 

 俺が聞いた話によると、刀我家は町内と関わりを持たず、時々誰かに呼び出されて、その時だけ仕事に出ているという奇妙な家柄だったらしい。それ以外はずっと家に引きこもっていたという。

 古くからある屋敷に住んでいて、由緒ある名家だったらしいが、火災で家は全焼、その時生き残ったのは俺だけだったらしい。

 で、紆余曲折のうちにこの静間家に引き取ってもらったワケだ。

 まあ、引き取ってもらってから親に可愛がってもらった記憶は無いがね。仕事に忙しいらしく、姿を見る方が稀だ。

 それは姉貴も同じで、子供の頃は二人だけでこの家にいた。

 俺が来たばかりの時の姉貴は親に構ってもらえない事が寂しくて、よく泣いていた。

 ああ、その時だったな。俺があの力を見せたのは。

 手品でも見せるように力を使い、外から拾ってきた石を、まるでバターでも切るように簡単に切断して見せた。

 どんな賛美が来るのか楽しみにしてたら、姉貴は真剣な顔でこう言ってくれた。


『人っていうのはね、自分と違う人には厳しいの。それを見せたら、きっと仲間はずれにされちゃう』


 だからそれは使わないで……。幼い年齢ながら、何かを悟ったような言葉だったと思う。あの時はわからなかったけれど、姉貴は家に両親がいない、という理由だけでクラスから孤立したことがあったのだという。

 そしてその時、俺は姉貴が元気になればいいと思って、小さく頷いたんだ。


「……懐かしいな」


 意識を追憶の彼方に飛ばしていると、空はもう暗く、漆黒の海に浮かぶ月が見えた。

 そろそろ、いつもの時間だ。

 俺は立ち上げてから一度も操作しなかったパソコンをシャットダウンして、着替えを始める。

 シャツに黒のジャケット、それと同色のジーンズ。首には剣を模ったシルバーアクセサリーを提げる。


「姉貴、俺、行くから」

「また夜の散歩? ほんと、こんな寒いのに酔狂ねアンタも」


 まあ、確かに。一般的な行動ではないな。

 でも、静寂に包まれた夜の公園。そこから見上げる月が好きで、雲で隠れていないかぎり毎日出歩いている。


「でもさ、ここ何日か控えたら? ほら、この近くにいるんでしょ、殺人鬼」


 ――ああ、連続焼殺事件の事か。


「大丈夫だって、まさか俺が被害者になる分けないだろ」

「被害に遭う人は全員そう言うのよ、それに――」

「んじゃ、行って来ます」


 姉貴が「ちょ、こらー!」などと喚いてるのが後ろから聞こえてきたが、聞こえないフリをして駆け出した。


             ◇


「……ふう」


 あれから数分。途中の自販機で温かい缶コーヒーを買って、いつもの公園に着いた。

 秋には鮮やかな紅葉を見せていた木々も、今では素っ裸でその身を晒している。

 観賞するには寂しすぎる風景。でも――空は、綺麗だ。

 清んだ冬の夜空に浮かぶ星たちは、煌々と輝き世界に幻想的な光を振りまく。

 星座の見方なんてサッパリ分からないが、外で空を見上げると落ち着く。

 まるで、自分が赤子になって母に抱かれているような感覚。夜という時間が、俺を守ってくれているかのようだ。

 だからだろうか、後ろから近づいてくる何かに気がついたのは。

 自身を守る羊水の中に、『異質な何か』が侵入してくる感覚。


 ――馬鹿、異質ってなんだよ。


 ふと頭を過ぎった馬鹿げた思考に思わず苦笑する。たぶん、警察かなんかだろ。夜に出歩いていると時々、職務質問とかされるし、おそらく今回もそんな事だろう。

 面倒だな、そんな事を考えながら振り返る。


 心臓が、跳ねた。

 高速で脈動するそれとは別に、体は細胞の一つ一つが氷結したかのように動きを止める。


 ――――あれは、なんだ?


 俺は目の前にいる『異質な何か』を見た。

 身長はおそらく二メートルよりも大きいだろう。体はまるで西洋のフルプレートメイルのような甲殻で覆われていて、瞳はピンポン球を頭に張り付いただけではないのか、と思いたくなるほど盛り上がっている。そして、両腕の指の一本一本に、まるで刀のように鋭く長い爪が張り付いていた。


 ――なんだよ、こいつ。


 頭の中がパニックになる。けれど、それとは別に冷静な思考が俺に答えを告げる。

 あれは化物だ、と。

 ……なに馬鹿なことを考えてるんだ、と軽口を叩こうとするが、ひゅーひゅー、と口から空気が流れただけで終った。

 化物が右腕を空に向かってかかげる。違う、振り上げたんだ。


 ――何のために?


 その問いを、目の前の化物は腕を高速で振り下ろす事で答えた。

 迫る五本の鋭い爪。

 夜を駆ける爪の速度は速く避ける事なんて不可能、そんな事を考えてる間にもどんどんどんどん――ああマズイ。殺される――

 

 ふと、憎しみにも似た感情が思考を支配した。

 ――殺される、だと。

 まるでスイッチが入ったような感覚が体躯を支配する。

 胸が少し痛い。けれど、それに勝る歓喜が胸の奥底から吼えた。

 

 ダンッ、と地面に足を叩きつけ、その勢いで後方に跳ぶ。シャツが薄く切られるが、それで済んだのなら儲け物。 

 体勢を整え、前方を見据える。目の前には化物。


 ああ、別にあいつなら――殺したって誰も文句は言わねえよな?


 この世の中、ただ殺すだけでも様々な偽装工作をしなければ国に追われてしまう。

 だが、こいつは人ではない。それに醜悪な外見は、酔狂な動物愛護の偽善者どもが守ろうとするカテゴリには含まれないだろう。

 けど、武器がなければ話にならない。俺は人間、あんな鎧みたいなのを殴り殺す事なんてできない。


 ――何を迷う。あいつの爪なんかで、この俺をどうにかできるものか。


 俺には、そんな物よりも鋭い『力』があるじゃないか。

 右手に力を集中。今までのように無意識の内に出してしまうような半端な刃物じゃない。そう、切れ味の鋭い、あの鎧ヤロウを切り殺すほどの鋭さを持つ刃。

 イメージさえすれば、形にするのは簡単だった。手の中に納まる感触を愉しみながら、俺は化物を見据える。


「ああ、悪いなアンタ。食事でもする気だったのかもしれねえが、その希望は却下だ。何故なら――」


 ああ、愉しい。殺せる、殺せる、殺しあう事ができる!

 胸が高鳴る。それは、久しく感じなかった快感。想い人を前にした乙女のような高揚感。


「――お前は俺に殺されるからさ。さぁ化物、冥府に堕ちる準備はできたか?」


 化物は動かない。まあ、仕方の無い事だ。さっきまで無様に怯えてた奴が、お前を殺す宣言だぜ? そりゃ驚くさ。


 ――なら、動く前に一撃を入れるか。


 地面を蹴り、死を運ぶ弾丸と化して一気に間合いを詰める。

 その勢いで、刃を顔面に叩き込もうとする。

 化物は回避行動に移った。だが、避けきれず、右肩を切断される。咲き乱れる紅の花。


「ぎ、ぎぎぎぎぎぎ」


 痛い、とでも言ってるのか? 

 金属を擦り合わせたような奇怪な声を聴きながら、もう一閃。けれど、化物はバックステップで距離を取る。


「甘い」


 地面を蹴り飛ばす。あの程度の間合い、一息で到達できる――ッ!

 刃は烈風と化し、化物の頭を叩き斬るべく疾駆する!

 だが、風を切る音と共に差し出された左の爪が、俺の刃を防ぐ。夜闇の中、鳴り響く鋼と鋼の逢瀬の音色。


「ははっ。そうだ、抵抗しろ。死の間際まで戦って――そして死ね」


 さあ、死ね。死ね死ね死ね死ねぇ――ッ!

 この一瞬は、死と言う華麗な花を咲かせるための過程なのだ。

 長く足掻き、そして脳漿を、血液を、五臓六腑をぶちまけろ!


「ギギギギギギギギ――ッ!」


 黒板を爪で引っかいた音を何倍にもしたかのような化物の声音が、鼓膜を震わせる。


「っはは」


 しかし、それすらも俺には心地よい。ああ――今、俺すげぇ愉しいよ。


「ほら。お前にはまだ左腕もあるじゃないか。もっと足掻け!」


 化物の豪腕が閃く。銀光が夜の闇を切り裂き、弧を描いて俺の首筋へと走る。

 受け止める事は適わない。どんな能力を持っていたとしても、絶対的な筋力差は埋められない。

 ならどうする? 

 なに、簡単な事だ。


「――ッ」


 刃と爪が交わる。ずずっ、と靴が地面を削る。

 先程の想像の通り、このままでは俺はパワーで負けて動きを封じらるだろう。

 だが、相手の攻撃から身を守るのは、なにも回避や防御だけじゃない。


「……ッ!」


 刃が火花を散らし、爪の上を滑る。

 受け止める事ができず、回避もできないのなら流すのみ――!

 勢い余った化物は、バランスを崩す。

 そして、この瞬間。こいつは無防備だ。

 右手を失った化物には、俺の刃から自身の生を守る術は無い。

 不可視の刃が夜の大気を引き裂き、化物の頭蓋に突き刺さる。頭部に刃が食い込む官能的な感触。

 最初の手応えは金属。それを切り裂くと、骨。そして、待ちに待った頭の内部だ。

 肉や骨とは明らかに違う『それ』に刃が食い込むと、射精するほどの快感が駆け巡る。

 勢いよく振り抜くと、飛び散る血肉、散らばる脳漿。それらが夜空に架かる橋のように、弧を描いて夜空を舞う。

 その美しさに見入っていると、何か重いものが倒れる音が響いた。 

 見ると頭を失った化物が、その生命活動を終えていた。

 それを見ると、自然に溜息が出る。


 ……ああ、呆気ない。


 こういう化物は、頭を失っても向かってくるイカレた能力が欲し――


「あ、れ?」


 急速に、心が冷めていく。


「何してんだ……、俺」


 力を使って、あの化物と戦って……殺した。だが、そんな回答を望んでいるんじゃない。

 右手に握られた刃を見る。赤い雫が一定のリズムで地面を叩いている。


「――なんで」 


 俺は、こんな事ができたんだ。

 不可視の刀を使って、それこそ化物みたいな戦いをした。それは、理解できる。

 だが、それは明らかに俺の身体能力を超えた動き。なんで、なんでそんな事が?

 疑問が俺の心を満たす。そして、あの化物は一体――


「――あれ?」


 先程まで化物が倒れていた場所。そこには、何も無い。

 生きていてどこかに逃げたのか、と思ったが、それにしても血が一滴も無いのはおかしい。

 見ると、俺が握っている刀に纏わり付いていた赤色も消え、元の透明に戻っている。


「なんなんだ、一体」


 考えても考えてもわからない。


 ……もしかして、全部夢だったのかもしれない。


 だって、ありえないんだ。

 俺があんな動きができる事も、あんな化物が存在している事も。狐に化かされたような感覚とは、まさに今の事を言うのだろう。


 ――とりあえず眠ろう。今日は疲れた。これが現実にしろ夢にしろ、今は何にも考えたくない。


 家路に着こうとして、ふと、視線を感じた。

 振り向いてみるが、誰もいない。


「ほんと、疲れてるな、俺」


 その些細な違和感を忘却の彼方へと投げ捨て、幽鬼のような不安定な動きで道を歩いていった。


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