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十三話 紅蓮の剣・黒き百合・惨殺者  



 ――夜の空気が、澱んでいた。


 まるで陽炎のように周りの景色が揺らめく錯覚。そう、錯覚だ。瞳に映る景色は何一つ変わる事無く、変わっているとしたら――


「雰囲気、か」

「宗司も気づいたんだ。――今、この状態が異常だって事が」


 ああ、と頷く。

 例えるならクモの巣だらけの道を歩くような感じ。手で払えばどうって事の無い障害だが、それでも嫌な気分になり、いちいち手を振るうのが億劫になっていく。けれど払わなければ糸が絡まり、別のベクトルで苛立たせる。


「くそっ」


 ――誰だこんな事をしてる奴は。

 ガチン、とスイッチが切り替わる。

 イラつく。こんな異常、誰に断って起こしてやがるんだ。

 人気の無い夜に、一つだけ明確な気配。クモの巣が濃くなっていく方角。ツルギのように鮮烈な、研ぎ澄まされた殺気。

 それは――一体だれのモノか。


「誘ってるわね、これ。ここまで分かりやすい人払いの結界を張るなんて……あれ? で、でも、これって……」


 人払いの結界、か。なるほど、と内心で納得する。

 この微量の嫌な感じは、奥に行くほど強くなる。そして、普通の奴はこう思うだろう。


 ――嫌な予感がする。


 と。

 第六感に働きかけるような、漠然としたイメージの奔流。近づくほどに嫌な気分になってくるコレは、まさしく一般人相手の人払いに打ってつけってワケだ。

 けど、これが異常な何かだと感じる非日常の人間なら――異常を確かめようと考える。

 誘っている、か。なるほど、確かに。


「まっ、どういう心変わりかは知らないが、どうでもいい。さっさと行って、逝かせて、解体バラそうぜ」


 だが、魅霊は答えない。ただ、震えるだけ。

 待て、今、オカシイ部分があった。


 ――魅霊が震える、だと?


 そう、それだ。魅霊、冬樹魅霊だぞ。あの、化物を軽く殺せる悪魔みてぇな女だ。それが、この非日常の世界で、震えるだと?


「……ううん、違うわ。いや、でもだって、焼殺――違う、だって彼は、あ、違う。そう、違う、違う、違う違違違違違違違違ッ!」


 始めは分析するように、それが段々とシフトアップしていき、最後には願いを込めた叫び声と化す。

 血を吐くような絶叫をあげ、凍えた体を温めるように自分の体を抱くその姿――まるで、怯えているようだ。


「み、魅霊?」

「――あ、うん、ああ、大丈、夫。大丈夫だから。たぶん気のせい、きっと気のせい、絶対に気のせいだから」


 なんの事だ、と問いかける事は出来なかった。

 もしそんな事をしようものなら、言葉を受信した耳から砕け散ってしまうような気がしたからだ。――そんな馬鹿げた空想を抱くほどに、今の魅霊は弱々しかった。

 一段と強くなる嫌な気配。刃を生み出し、舌を薄く切る。口内に広がる鉄の味を感じながら、これから殺す相手に思いをはせる。

 ああ、どうやって殺してやろう。首を斬り落とすだけじゃあ芸が無い。

 そうだな、両手両脚を切断してダルマにしてやるかな、それ以後は何をされても逃げる事も出来なくて、ただ泣き叫ぶ以外に道は無い。いいねぇ、ぞくぞくする。

 いやいや、体は縛り付けるだけで、そこから少しずつ解体バラすのもいいかもな。最初は皮。そこから筋肉の繊維を一本一本切り離し、骨を削る。だが、これは色々と問題を孕む。痛みで狂われても厄介だし、何より血だ。失血死なんて無粋な死に方は許さない。


「くっ、は、ははは」


 やべえ、すげえ愉しい。人を殺すという行為を想像するだけでズボンはテントを張りやがる。

 狂ってやがるな、俺は。

 昔、狂人は自分が狂っているという自覚がないから狂人なのだ、なんて事を聞いた気がする。狂人にとっては自分が正しく、周りこそが狂っているのだと。

 だが今なら分かる、そんなのは嘘。狂人は、例え自分が狂っていると気付いても止まらない。否――止まれない。だからこそ、狂人なのだ。

 良心がうずく。まだ完全に切り替わる事はできないのか、一般人としての良識が悲鳴をあげる。

 だが、それがどうしたのやら。良心の呵責なんて知ったことか。そんなモノ、数回同じ事を繰り返せば消え去る。

 黙って歩くこと数分。そして、俺たちを誘っている誰かさんの居場所に辿り着いた。

 そこは街外れのムダに広い自然公園。でも、自然公園っていうワリには木とか全部人工的に埋めてるよな気がするなー、などと本気でどうでもいい思考が流れる。


「さぁて、折角のお誘いだ。思う存分愉しもうぜ――っと、いってる間に来たぞ」


 柵を乗り越えて自然公園内部に侵入すると、目の前の空気に熱がこもり炎と化す。

 一つ一つ、小さな火の粉だったそれらは、磁石で引き寄せられる砂鉄のように一箇所に集中し、巨大な竜に姿を変えた。

 すごいね、どんなに演出凝ってるんだこいつ。映画監督にでもなれ、ホラーとか冒険活劇とかさ。まあ、どちらも頭にB級が付くのだろうがね。でも、怪物役に使う費用はオールカットできるし、ワリと引っ張りだこになるかもな。

 そんなふざけた事を考えながら、刃を生成。形は刀。

 ……これは、火。おそらくは犯人のモノか? ま、同じ能力を持った奴が何人もいるという可能性も捨てられんが。むしろ俺はそっちの方がいい。殺せる相手は多いに越した事はないわな。


「さぁ、行くぞみれ――」


 そして、ふと魅霊の姿がない事に気付く。

 どこいったんだ、と瞳を動かすと、俺を残して奥へと駆け出す魅霊の後姿。

 ――おい、コラ。


「てめっ! 置いてくなぁ――ッ!」


 俺の叫びは無常にも夜に溶ける。現実ってキビシイ。

 追いかけようとするが、炎の竜が立ちふさがる。お前をこれ以上進ませる訳にはいかない、とでも言うように。


「――そうかよっ」


 なら、斬って殺す。それだけだ。じっくりと解体バラせない化物、戦うだけ時間のムダだ。一気にケリをつける。 


 ――シン、と音が消失する。否、聞こえるのは俺の心音、呼吸の空気の流れ。僅かに響くのは空に浮かぶ竜の周りで燃える、大気の音。

 それ以外の全てが掻き消えた世界、無駄が一切無いその空間において、世界は俺とあの竜という存在に凝縮される。

 

 極限にまで研ぎ澄まされた意識において、相手以外の全ては無粋な障害物に成り下がる。

 敏感になった肌が口元が緩むのを教える。

 さあ、殺り合おう――!

 大地を、強く蹴った。


     ◇


 炎の竜の瞳から送られてくる映像を見て、口元が歪むのを感じた。

 それは、易々と獲物が罠にかかった事に対する苦笑か、それとも、この数年憎み続けた相手の姿を視認したが故の怒りか。もっとも、魔女の鍋のようにかき回された頭ではよく分からなかったが。


「遂に、この場に立つことができた――」


 愛剣を抜き放ち、空を睨む。

 相変わらずの星。近くで激しく燃え上がる木々の音を聞いて、ふと八年前の事を思い返す。


 ――今は、どうでもいい事だ。


 感傷などいつでも出来る。

 剣の柄を握る。強く強く、骨が軋むほどに。

 そう、私がしなければならないのは過去の清算。二年前の、あの悪夢の根源を断つ事だ。

 ふと、すでに視界の端に黒い影がこちらへ向かってくる事に気付く。

 ああ、この時を、どんなに待ちわびた事か――――!

 内側から湧き上がる真紅の感情。激しく燃え上がろうとするそれを必死に押さえつける。

 激情に任せてはいけない。戦闘能力、という点では私は彼女よりも劣っているのだ。頭を使え。

 深く、呼吸する。


「来たな――」


 全てを焼き尽くさんとする激情の炎を氷結させる。凍てついた炎。感情的な力と冷静な判断力。それさえあれば、負けるはずはない。


「――久しいな、毒々しい黒き百合の姫君よ」


 さあ、悲劇はここで終らせよう。この女――冬樹魅霊の死を以て。

 

      ◇


「かず、ま――」


 嫌な予感。外れて欲しいと思う事に限って当たるんだな、と冷静な自分が苦笑していた。

 わたしを向かえたのは、紅和馬くれない かずま。いつも肌身離さず持っている写真に写る男だった。

 そう。それは、二年前、共に戦った相棒で――どんな手を使っても自分の物にしたいと、切に願った男。


「ああ、姫君。お前は変わらないな――あんな事をしたというのに」


 冷静を装った声。けれど、その奥底には隠しきれない怒りの炎が見えた。


「ちが、違う、わたしはただ、和馬を――」

「ああ、知っている。そんなくだらない理由で彼女を――リーリエを殺した事もな」


 ――――ああ、分かっていた事。決して赦されないと理解していたはずなのに、心がひび割れた。

 あの時、和馬の隣にいた女が邪魔だった。

 わたしにやさしくしてくれた事もあった。共に笑い合った事もあった。

 けれど、小さな憎しみの炎は知らず知らずの内に燃え上がり、気付いた時には、わたしは――


「口にお前の大剣を突っ込まれ、上顎と下顎から頭を断たれたリーリエ。ああ、覚えてる――忘れられる、ものか……っ!」


 激しい糾弾。歳月は怒りを薄める役割を果たさず、ただ、和馬の怒りを膨張させていったんだ。

 泣いているような、怒っているような、どちらか判断がつかない、ぐちゃぐちゃな顔。それを見ると、体の力が抜けていくのが分かった。

 本当は分かっていた。あんな方法ではなんの解決にはならないって。

 けど、黒い炎はそんな一般的な論理を焼き払い、わたしを凶行へ誘った。

 ははっ、なんて愚かなんだろう。そんな行動をした事が愚かなら、その行為を赦しわたしを抱いてくれるなんて幻想を抱くのも愚かだ。ほんと、救えない。

 和馬が歩む。少しずつ、少しずつ、近づいてくる。

 右手の剣が月光を照り返し、鈍く光っているのを視認する。

 間違いなく、彼はわたしを殺す気だ。当たり前。愛していた人、それも結婚しようと囁き合った人物を殺した人物が、目の前にいるのだから。

 おそらく、真っ向から戦ったらわたしは彼に勝てる。近接戦闘ならわたしは異法協会でトップクラスなんだから。

 でも、体は動かない。いや、動かせない。わたしは、彼を殺すくらいなら、わたしが殺されようと思った。

 そっと、瞳を閉じて思う。


 ああ、わたしは――どこで道を間違えたんだろう。

 

 答えの無い問い。もはや答えが失われた問い。

 そんな無意味な思考の迷路の中を歩む。

 轟という、風を叩き切るような音が頭上から降ってくる。

 ああ、これでわたしは彼の手で死ぬんだ、そう思った――



 がぎん、という鋼と鋼がぶつかり合う、耳障りな音が聞こえた。

 覚悟した斬撃は未だに降らず、そっと瞳を開き――それを見た。

 黒い服にボサボサの頭をした馬鹿な男。けれど、日常という時間の楽しさを与えてくれた、掛け替えのない友の姿だった。


     ◇

 

 炎の化物を切り払って全力疾走。先に犯人殺してたら半殺し通り越して全殺しだ、などと思っていたんだが――魅霊は膝をつき、男が剣を振り下ろすなんていう、どこの少年漫画のシーンだ、と言いたくなる風景を見るとは思わなかった。

 びりびり、と手が震える。当たり前だ、上段から勢いよく振り下ろされた剣の間に割り込んだんだ、そりゃ腕くらい痺れるって。


「――そう、じ……?」

「正解。商品はハワイ一周旅行。ぐるっと外周まわったらすぐに帰国という日帰りプランです」


 呆然、とした顔で俺を見上げる魅霊に軽口をプレゼントしてやる。けど、まだ硬直は解けないようで、じっとその場に座ったままだ。


「おら、さっさと離れろ。ずっと剣を受け止めるのって中々キビシイんだぜ?」

「え――ぁ、うん」


 すっと身を引いた事を確認すると、俺もバックステップで間合いを取る。

 剣を振り下ろした男は、まるで親の仇でも見るような目で睨んでくる。


 ――その時、がくん、と体が震えた。


 赤い、赤い男。前髪だけを染めた奇抜な髪に、真紅のトレンチコート。右手には、炎の波紋にも似た時代錯誤な長剣。

 それの、どこに恐怖を感じるというのだろう。歯の根が合わない。がちがち、と鳴る白いカスタネット。


「やってくれたな、小僧――!」


 激しい怒気。それを受けて、体が萎縮する。

 その時、ふと性格が切り替わる。胸に潜む殺人衝動は奥に隠れ、替わりに恐怖が失せていく。


 ――なんだ、これは。


 目の前にいる男、あの魅霊を屈服させたとなると、この凶暴な性格にとっては極上の獲物のはず。

 男が剣を振るう。怒りに任せた最上段からの斬撃は俺の首を狙う獣のように走る。

 だが、なんの工夫もないそれは、戦闘技術を持たない性格の俺でも軽く避けられる。


 ――こんな相手、恐れる事はないのに。


 剣先が跳ね上がる。掬い上げるようなそれを回避して、地面の上を転がる。

 それを狙い打つように灼熱の炎が放たれる。まずい、今の俺じゃあ――


「wish――Black lily!」


 跳ね回る黒い疾風。踊るような動きで迫り来る火炎を受け止める魅霊の姿が見えた。

 爆炎の隙間から赤い雷光が駆け抜ける。男は長剣を逆胴目掛けて振るう。

 地面と水平に駆け抜ける銀光。それは魅霊なら容易く受け止められるはず。だというのに、魅霊は受け止めようとしない。いや、わざわざ自分から防御を解除した。


「魅霊――!」


 殺される。今度こそ殺されてしまう。

 だというのに、刀我の殺戮性格は表に浮かばず、まるで俺の影に隠れるように心の闇に沈んでいる。


 ――ざけやがって。


 こんな時に奥に隠れてどうする気だてめえ。刀夜の話なら俺は日常に生きる性格なんだろうが、それの後ろでなにやってやがる。

『殺戮者の名を借りた臆病者』が、テメエはもう不要だ。消えろ。テメエの力は、俺が使ってやる――!

 血管の血液が炭酸飲料になったような――吹き出た泡が体を浮遊させるような奇妙な感覚。

 その瞬間、体は羽根のように軽く、殺意は純粋に赤色の男へ向かう――ッ!


「魅霊――――ッ!」


 疾風の如く、地面を駆け抜ける。

 長剣が魅霊を断ち切るまであと数瞬。それまでに二人の間に割ってはいるのは不可能だろう。


 ――馬鹿。俺の力は、異能はなんだ?

 

 サイズ修正。長さは五メートル、いや、八……ええい! とにかく伸びろ!

 割り込む刃が長剣を押さえつける。男の呻き声。理解できない現象に、思わず体の動きを止める。


「――らァあああ!」


 そのタイミング、貰った――ッ!

 サイズ再修正し、いつもの長さに戻す。

 獰猛な獣のように駆ける俺に気づいたのか、男は剣でそれを受け止めようとする。

 俺の攻撃方法が不可視の何かだと気付いたのか、俺が何か武器を持っていた場合受け止める事が可能な場所に剣を置き、防御の構えを取る。

 唇が歪むのを感じながら、俺は『刃を消し』た。防御をすり抜ける。男の驚愕。


「異能だけが俺の能力じゃねえんだよ」


 必勝の間合い。外そうと思っても外せないほど的確な間合い。拳を強く握り締め――一気に振るう。

 ごぎゅ、という骨の硬さと頬の柔らかさが絶妙にミックスされた感触が拳に伝わった。


「か、和馬!」


 ……そこ、なんでそんな声を出すかね。まるで俺が悪役みたいな感じじゃねえか。


「おい、そこの赤いお前。カズマ、って名前のアンタだ」

「……」


 まだパンチの衝撃が抜けてないのか、ゆらゆらと不安定な動きで立ち上がるカズマ。


「火も使ってるし、魅霊をここまで追い詰めたって事は――連続焼殺事件、アンタが犯人って納得していいか?」


 長剣を構えこちらを射殺すような瞳で見てくる、その内に潜む感情――紅色の炎を垣間見る。


「だったとして、だ。アンタはなんでこんな事してるわけだ? 殺し大好きの異常者なら、わざわざ俺たちを誘う道理はねえし」

「……ああ、目的は、ただ一つ。お前の後ろにいる女を、殺すことだ」


 灼熱の炎を鞭のような形に変え、放つ。

 鋭い軌道を描き、俺の横をすり抜け魅霊を喰らおうとするそれを切り落とす。


「知っているかもしれんが、そいつは咎人だ。人の命を奪っておいてのうのうと行き続ける、どうしようもない悪だ」

「――正義の味方気取りか? そのワリには、民間人ずいぶんと巻き込んでたみたいだがな」

「まさか、私は正義など求めてはいない。私はただ、仇を打ちたいだけだ」


 長剣が炎に包まれ炎剣と化す。それを俺に突きつけ、カズマは独白する。


「姫君がこの街に住んでいるところまでは知ることができた。だが、真っ向から挑んでも敵うはずが無い。殺人を犯しても組織の為に無罪とされた実力者に、私が敵う道理はない。例え、どんなに自身を鍛え上げたとしても、だ。そう、私と姫君には、埋める事の出来ない才能の溝があったのだ。故に、私はこの街を怪異に染めた。生半可な怪異ではない、二つ名持ちの姫君に協会から声がかかるほどの大規模なものをだ。夜の見回りを課せられた姫君は、少しずつ疲弊していく。――もっとも、私が前線で暴れまわってはこちらも疲弊してしまい意味は消失する。それ故に、協力者を用いて街を一定のレベルの怪異に染める事にした」


 協力者――あの、白い男か。


「だが、姫君を疲弊させる暇もなく、彼は容易く殺された。最後の望みに、姫君は私――紅和馬という男に惚れている事に注目した。殺人を犯してまで求めたのだ、多少なりとも剣の切れ味は鈍ると踏んでいたが――予想外の効果だ。これならば、初めから真っ向から出会えばよかった」


 冬の大気が熱せられ熱風と化す。カズマから流れるそれを一身に受け、舌打ちを一つ。魅霊なら軽く倒せる。だが――俺の場合は?

 刀我の技術が知識として刻み込まれてはいるが、この体はただの一般的な男子高校生。無茶な動きには耐える事はできない。おそらく、刀我の衝動に身を任せた後の痛みは、無茶な動きに悲鳴を上げる肉体の叫びなんだろう。

 そう、あんな動きを何度も繰り返せば――間違いなく体はイカレる。


「この数年、姫君――冬樹魅霊を殺す事だけ考えていた。殺された彼女の仇を討つ為、復讐を実行する一つの回路となった」


 それは、激しい憎しみ。触れるだけで心が焼け崩れるよう、紅蓮の炎のような感情。

 ……俺には魅霊が殺した彼女という人物が誰だか知らない。だから、この男の慟哭を理解する事はできない。

 理解はできないが、想像する事はできる。――もし、姉貴や刀夜を殺されたら? もし、その二人を殺した奴がいたら――ああ、俺もこの男と同じように――――


「退け、小僧。私の目的は後ろの姫君を殺す事だ。貴様と戦う道理はない」

「いいや――あるね」


 不可視の刃を八本、生み出す。それを指と指の間に挟みこむ。それは、獣の爪の如く。


「俺は自分勝手な人間なんでね。アンタの都合なんてどうでもいいんだ。ただ――俺の知り合いを傷つける事は、絶対に許さねえ」

「――その女が、殺人者だとしてもか? 彼女を――リーリエを笑いながら殺す狂人でもか?」

「当然。ま、リーリエってのが誰だかは知らんけどね。――こいつさ、周りに仲間とかいねえんだよ。クラスでも避けられててさ。だからっつーのかね? 俺くらいは味方になりてえんだよ」


 例え、俺の知り合い全てが死ぬ事で他の人間全てが助かる、なんて状況になったとしても――俺は、仲間を取る。

 顔も知らない誰かが殺された? 知った事か! 俺は、親しい仲間を守れれば、それでいい。


「そうか――なら、貴様を殺した後、姫君を殺す」

「上等。けど、お前に俺を殺せるかね!」


 灼熱を内包した弾丸が駆ける。右手の炎剣は水面の獲物に喰らいつくように跳ねる。

 それを受け止めるが、衝撃でバランスが崩れる。異能と戦闘知識はあるが、筋力差は覆す事はできない――ッ!

 追い打つように刺突が繰り出される。避けようの無いタイミング――だが、それは普通の人間だったらの話!

 掌に刃を水平に多重展開。不可視の盾となったそれは、炎剣の剣先を受け止める。

 防いだ。そう思った瞬間、男は爆炎を放つ。襲い来る、灼熱の劫火。


「ちィ――!」


 足に刃を生み出す。剣先は地面に食い込み、俺を後ろへ押し出す。

 さっき俺が居た場所は小さなクレーターになってるし。どんだけ熱いんですかその火。


「大言のわりに逃げてばかりだな、それでは倒せんぞ」

「チョウのように舞い、ハチのように刺すって言うだろ? 今は舞ってる状態なんだよ、こう、ひらひらってな」


 顔が引きつる。やべえやべえ、まじあの火とかいって直撃したら昇天コース一直線だぞ。

 しかし、生死の狭間にいるというのに、なんだこの緊張感の無さは。

 ……簡単な事。真面目な戦闘なんて、静間宗司(日常性格)には似合わない。俺は、殺人技術を得た道化でしかないんだから。

 俺は地面を這う肉食獣のような体勢で加速した。受けに回ったら勝てない。とにかく攻め立てろ!

 両手の刃を無茶苦茶に振るう。たが、そんな不恰好な攻撃、この男には届かない。

 そう、今のままなら――


「――!?」

「ハッ、ハッ、ハッ、ハアッ――!」


 飢えた肉食獣か、または息を切らした駄犬か。そんなケモノじみた呼吸をしながら刃を振るうスピードを加速させる。

 一回の攻撃で受けられるなら二回。二回の攻撃を阻まれるなら四回。それでも流されるならそれ以上に――!

 カズマは少しずつだが捌けなくなってきている。トレンチコートが薄く裂け、細かな傷が増えていく。

 押せ押せ押せ押せ押せぇ――! 叩き潰せ、蹂躙しろ! 


「ハッ――ッグ、あ、ハッ、ハッ――ゲゥ」


 だが、たかが高校生ていどの体力でこんな無茶な動きに耐えられるはずがない。

 両腕が軋む。喉が張り裂けそうだ。心臓が狂ったように泣き喚く。

 だが、それでも緩める事はできない。更に、加速――させ、


「――喰らえ」


 俺の後方で咆哮する何か。否、おそらくはここに来るまでに出会った炎の竜――!

 だが、振り向く事は適わない。この攻撃の手を緩めればすぐさまカズマの剣が俺を薙ぎ払うだろう。

 避けることは不可能。頭がその現実が不可避だという事実をはじき出した時、炎の竜が吼えた。

 それは、雄々しい威嚇の声ではなく、痛みを訴える無様な悲鳴。


「姫君――!」


 カズマの意識が離れた瞬間、後ろに跳ねて距離を取る。

 立ち上がった俺の隣には魅霊。巨剣を構える美麗な悪魔がそこにいた。


「――和馬。わたしは、あんたに殺されてもいいと思うわ。けど――」


 魅霊は夜よりもなお黒い巨剣を突き出し、宣言する。


「宗司を殺す事は、容認できない」

「くっ――!」


 魅霊が戦闘態勢に移行した事に舌打ちし、炎剣を振るう。

 刺突、袈裟斬り、逆袈裟、爆炎。リズミカルに放たれるそれらを尽く打ち払う魅霊。カズマの技術も凄まじいと思ったが、魅霊の前では児戯に等しい。

 おそらく、魅霊が本気になれば数瞬でカズマは両断されるだろう。だが、魅霊は剣を振るわない。ただ、それを防御に使うのみ。


 ――二人にどんな因縁があるのか、俺は知らない。たった一週間ちょっとの付き合いでしかない俺には、それを知る術はないのだから。


 だが、これだけは分かる。

 今、ここでカズマを殺さなくては、いつかまた魅霊を殺しに来る、と。


「魅霊、どけ」


 刃を上段に構え、神速で駆ける。

 跳んで距離を取る魅霊。さきほどまで剣を振るっていたカズマは勢いを殺せずバランスを崩す。


 ――そう、必勝のタイミング。




「アンタには悪いが、俺も自分の知り合いを殺されたくないんだ、だから――――」

 両手に、一層力を込め――

「――――さっさと、逝け」

 ――振り下ろした。




 骨を断ち、脳漿を潰す、嫌な音が鳴り響いた。



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