NEXUS
頑固なあなたへ。
口下手なあなたへ。
子供っぽいあなたへ。
それでも、義理堅いあなたへ。
強く優しい、最高のあなたへ。
終の言葉が――願わくは、あなたへ届くように。
灼けるように、心が痛む。
身の周りの“誰か”を失った時の感覚である。
本当は筆舌に尽くしがたいほどに辛く、苦しいのだが。こうして文に起こす以上は、それらしい手近な表現でも甘えねばならない。
尤も、相手が“誰か”にもよるのだろうが、心身共に平気でいられるのはごく少数なのではなかろうか。
私の場合は、父を失った。
この世で最も尊び、敬い、愛する相手を亡くした。
殉職だった。
父の上司よりその事実を聞かされた当初は、あまりにも信じられずに内心で疑ってしまったのを覚えている。
いつものように、「踏みすぎて踵の部分がぺしゃんこになった、みすぼらしい靴を履いて帰ってくるんじゃないか」って――そう思っていた。
けれども、そのまま数日が経って迎えた通夜と葬儀。ついぞ父が「ただいま」と帰ってくることは、なかった。
そこで、やっと彼が戻らないことを実感した。
それから初めて「寂しい」なんて言い回しじゃ足りないほどの喪失感に見舞われた。
嫌と言うほどに、悲しんだ。
それでも、泣くような事はしなかった。
事実、私は今も涙を一滴も流していない。
大の男がめそめそするのもどうかとは思うが、弟から「兄貴は泣きたくならないのか」と、涙ながらに問われた。
その時は皆が号泣する雰囲気を察してはぐらかしたが、しっかり答えを述べるならば、泣きたくはならない。
かといって私はとりわけ強いわけでも、冷たいわけでもない。
まして子が泣けぬまでに酷い父だったわけでも、当然ない。
ただ「泣くな」と。父が一言、そう言ったような気がした。
死人は誰でもそうだろうが、きっと彼は、大切な人間が泣くことを望まないから。
家族の笑顔が大好きだったから。
苦しい時こそ笑うような、そんな人だったから。
敬愛するあの人に倣い、私も笑っていようと思う。
――遺された者は前を向き、先の事を考えていかねばならない。
泣いても笑っても、私達は腹が減って、眠くもなる。
生きているんだ。生きなければならない。
死者を思い、ひたすらに泣いてやるのもいい。
だが、死者が生きたかった「未来」を、歯を食いしばって精一杯生きてやるのも、また私達が彼らに出来る手向けなのではないだろうか。
“生きること”を“受け継ぐ”――――もし、大切な人を失った時。奮い立てとは言わない。前を向けとも言わない。
それでも、生者の役割として、そっとこれを思い出してみてほしい。
仕事ばかりで、あなたとはあまり思い出を作れませんでしたね。
が――母が大怪我で入院した際、弟も入れた三人で、共に不慣れな家事をこなしていた姿を真っ先に思い出しました。
遠くへ旅行してその先でトラブったり、夢をめぐって衝突したりと色々ありましたが、あなたと過ごした時間はとても楽しかったです。最高の遺産として私が受け取ります。
お疲れ様でした。
「共に酒を酌み交わそう」と約束しましたが、よくも息子が成人する前に逝ってくれましたね(笑)
そちらへは来るべき時に、土産話を持って参ります。
それまでは、どうかお暇を。
本当にありがとうございました、お父さん。
あちらでも、どうかお元気で。