【Episode 7: 6日目】
世紀末、世界は「熱」と「愛」に溶かされた。狂気と変異のパンデミック・ホラー。
【1999年8月上旬 - アーカム財団日本支部 第7解析室 Day 6】
【07:00 - 搾乳】
6日目の朝。
「……んぅ……重い……」
田中冴子が、呻き声を上げて目覚めた。
彼女は今朝も、パイプ椅子のベッドから自力で起き上がることができなかった。
理由は明白だ。彼女の胸部にある二つの肉塊が、一晩でさらに巨大化し、物理的な枷となって彼女を寝床に縛り付けているからだ。
「おはよう、ヤマモト君。……手を貸して」
マサルは無言で彼女に近づき、その背中を支えて起こした。
ずしり、と肉の重みが腕にかかる。
巨大な乳房がこぼれ落ち、床にべっとりと広がっていた。
皮膚は限界まで薄くなり、内部の白濁した液体が透けて見える。
そして、肥大化した乳頭からは、絶え間なくミルクが噴き出し、彼女の膝と床を濡らしている。
「……ありがとう。ああ、またこんなに漏れてる」
田中は、自分の体から溢れ出る液体を、まるで雨漏りを気にするように淡々と眺めた。
「あの子の食欲でも追いつかないなんて」
彼女は足元のビーカーを手に取り、慣れた手つきで搾乳を始めた。
ギュッ、という音と共に、白い液体がほとばしる。
【10:00 - 朗報】
午前中。田中が搾乳を終え、ようやく身動きが取れるようになった頃、通信パネルが鳴った。
『第7解析室、応答せよ』
モニターに、あの女性オペレーターが映し出された。
彼女の表情は明るかった。背後の管制室も、殺気立ってはいるが、パニックの様子はない。
「こちら第7解析室、タナカです」
『良い知らせです、博士。生成された「銀色の兵士」……その試作機が、南米戦線へ投入されました』
「ほう? 結果は?」
『戦果は上々です。敵の精神汚染攻撃を無効化し、物理的な再生能力で前線を維持しています。……これで、防衛ラインの崩壊は食い止められました』
オペレーターは誇らしげに言った。
『世界はまだ終わっていません。貴方の研究のおかげで、人類は反撃の狼煙を上げました』
「それは何よりだわ」
田中は満足げに微笑んだ。
マサルは、そのやり取りを聞いて戦慄した。
世界を守るために、あの少女のような犠牲者が、何千、何万と量産され、戦場へ送られている。
『引き続き、実験を継続してください。……財団は期待しています』
通信が切れる。
田中は振り返り、マサルにウィンクしてみせた。
「聞いた? 私たちは救世主よ」
【13:00 - 比較検証】
午後。田中は「二つの成果物」の比較実験を開始した。
部屋の左側、隔離室に立つ少女。
部屋の右奥、プールを泳ぐ肉塊。
「実験開始。……ユニット79、右腕を刃状に変形させろ」
田中のコマンド入力。
少女の右腕が、液状化して鋭利なブレードに変形し、硬化した。
完璧な制御。美しいまでの機能美。
「次。……食事よ」
田中が、生肉の塊をプールに投げ込む。
肉塊が飛びつき、無数の触手で肉を包み込み、溶解液で溶かして吸収する。
野蛮な捕食。圧倒的な生命力。
「興味深いわね……」
田中は、二つの存在を交互に見比べ、ノートにペンを走らせる。
彼女の胸が机に乗っかり、筆記の振動に合わせてプルプルと震える。
「銀色の子は『安定』しているけれど、『成長』がない。与えられた機能しか使えないわ」
「灰色の子は『進化』し続けるけれど、『制御』が効かない。エネルギー効率も悪い」
彼女は眼鏡の位置を直し、独り言のように呟いた。
「停滞。自滅。……生命として完成させるには、この二つをどうにかして『同居』させなければならない」
彼女の視線が、熱っぽく彷徨う。
その目は、新たな実験のアイデアを探して、マサルの方へと向けられた。
【16:00 - 相対】
「ヤマモト君。少し手伝って」
田中は、銀色の少女を隔離室から出し、メインルームへと呼び寄せた。
そして、プールの縁に立たせた。
「接触させてみましょう。……喧嘩はさせないわ。ただの『テスト』よ」
田中は、少女の指先を、プールの水面に触れさせた。
銀色の指先が、白濁した液体に浸る。
ジュワッ……。
微かな音がした。
プールの中の「灰色のアメーバ」が、銀色の指先に群がってきた。
攻撃ではない。
アメーバは、指先にまとわりつき、その表面を舐めるように蠢いている。
「見て……。共鳴しているわ」
田中はうっとりと観察する。
少女の無機質な瞳に、一瞬だけ光が宿ったように見えた。
アメーバの方も、形を整え、人の顔のような形状を模倣し始めた。
「互いに足りないものを補おうとしている。……やっぱり、元は一つなのね」
田中は感動していたが、マサルは違った。
デスクの下の「胎盤」が、異常な反応を示していたのだ。
**ギチチチ……!!**
不快な振動音。
胎盤は、目の前で行われている「接触」に対して、生理的な嫌悪と拒絶を示していた。
田中がこちらを見る。
「どうしたの? ヤマモト君」
「い、いえ。」
「そう。……無理しないでね。君は大切な『記録係』なんだから」
田中は優しく微笑んだが、その目は笑っていなかった。
彼女は、胎盤の反応に気づいている。
そして、それを「面白いデータ」として観察しているのだ。
【20:00 - 晩餐】
夜。
6日目が静かに終わろうとしていた。
配給口から、またも豪華なディナーが届いた。
田中は、少女を椅子の横に侍らせ、プールの肉塊に母乳を与えながら、ワインを楽しんでいた。
「明日は最終日ね」
田中はグラスを揺らしながら言った。
「地上の報告によれば、私の理論は正しいことが証明された。……これで、私の地位は盤石よ」
彼女は、はだけた胸元を隠そうともせず、マサルに語りかける。
「でもね、私は満足していないの。……兵器を作るために研究を始めたわけじゃない」
「じゃあ、何のために……」
「『新しい人間』を作るためよ」
田中は、うっとりとした目で自分の腹部を撫でた。
「銀色の肉体と、灰色の適応力。そして、人間の知性。……この三つが揃えば、私たちは星の寿命さえ超えて生きられる」
彼女は立ち上がり、マサルの席へ歩み寄ってきた。
豊満な肉体が揺れ、甘いミルクの香りが漂う。
「勘違いしないで、ヤマモト君。私は財団の理念には忠実なのよ。」
「太陽系外から飛来した神性。たかが、その程度で崩壊しようとしている人類。」
「かつて釈尊が唱えた四つの苦しみ、生、老、病、死。そのすべての克服」
田中は微笑みながら、マサルの頬を優しく撫でる。
「生身にして宇宙に進出し、人類は新たな種として繁栄する。それが私の望み。」
「ヤマモト君。君の胎盤……。あれは素晴らしい触媒よ」
「……!」
マサルは胎盤を隠そうとしたが、田中は見透かしていた。
「あの子が語っているわ。あの胎盤の正体を。明日、最後の実験をする予定よ。」
「最後の、実験?」
「ええ。君と、胎盤と、そして私の子供たちを使った、融合実験よ」
田中は妖艶に舌なめずりをした。
「怖がらないで……」
「恐怖を知り、恐怖を解剖し、恐怖を飼いならせ。一歩引けば食い荒らされるだけ。怪異が私たちを踏みつぶそうとするなら、その最後の時まで分析するの。それが私たちの道。財団の理念。」
――これは、僕が僕でなくなるまでの、最後の数ヶ月の物語。




