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第2話「古竜と面接、そして“残業禁止”」

 面接会場は王都中央広場、敷石の上。机はない。代わりに、地面がある。

 湯気が立ちのぼるたび、地図が曇り、線が生き物みたいに呼吸する。僕は膝をつき、指で砂を払った。竜の影が、柔らかくかかる。


「管理人・募集要項を読み上げる」

 グラナイトは咳払いを一つ。咳は地震の一歩手前みたいに低いが、優しい。

「第一に、残業はしない。第二に、休湯時間は必ず設ける。第三に、人命は利益より上。第四に――看板はでかく」


「看板?」


「でかいほど、人は迷わない。迷わないと、事故が減る。事故が減ると、おれが眠れる」


「最後はあなたの睡眠のためですか」


「当然」


 竜は堂々としていた。労基の求道者みたいだ。

 僕はうなずき、泥の盤に“仮契約”と書いた。指に嵌めた古い銅指輪を外し、印に押し当てる。金属が土に冷たく記憶される。


「給与体系については?」


「湯の三割がお前の取り分。配管延伸の出来高は別枠で支払う。危険手当は崩落係数で算出。あと――心が折れたとき休め。折れた心で伸ばした配管は折れやすい」


「心の折損率で査定する職場、初めて聞きました」


「誇りだ」


 そこまで言ってから、グラナイトは首を傾げた。

「ところで、面接の“逆質問”というやつをしろ」


「逆質問?」


「人間は面接でそれをやる、と地下街の掲示板に書いてあった」


「誰が書いたの」


「昔の管理人。あいつは紙をよく貼った。剥がれて湯に落ちて、紙汁になって怒鳴ってた」


 面接。逆質問。

 王都のど真ん中で竜と就業確認をしている自分を、三時間前の僕は想像できなかったろう。想像しなかったから、たぶん生きている。


「では、質問を二つ。地図にない通路が鳴っています。忘れられた街の再開通は、具体的にどんな脅威をはらむ?」


「古い換気井戸が塞がっている。まずは空気の道を開ける。次に、眠っている鉱菌が起きる。繁殖しすぎると湯が臭う。人が逃げる前に、菌の餌を別に用意する」


「餌?」


「藁、枯れ葉、腐った木。菌にも晩餐を出せば、客を噛まない」


「了解。二つ目――神殿は味方ですか、敵ですか」


「どっちでもない。人の群れが揺れるのに合わせて、彼らも揺れる。協定があれば味方、なければ面倒な親戚」


 その評価は妙に現実的だった。

 僕は土に“協定”と刻み、三本の線――地下街管理本部、王都役所、神殿――を引き、互いに矢印を回した。回る矢印は、止まらなければ詰まらない。


「以上で、面接は終わりだ」

 グラナイトは鼻息で湯を一度だけ揺らし、目を細めた。

「採用」


 拍手。いちばん最初に叩いたのは、屋台のミーナだった。濡れた布巾を肩にかけ、笑い皺で目を細める。


「おめでとう、管理人さん。で、次は何を?」


「看板です」


「やっぱり」


 看板がでかいほど人は迷わない。竜の言葉を実装する。

 僕は広場の端から土盛りを起こし、表面を叩いて硬く締めた。そこへ川石を埋め、滑らかな文字面を作る。

 文字はこうだ。


《臨時温泉都市・本日無料》

《第零条:人は湯より大事》

《第壱条:休ませ、流せ、笑わせろ》

《出口こちら→ 徴収所は遠くで》


 ミーナは頷いて、すぐに風下へ屋台を移した。「湯気の匂いと魚の匂いは喧嘩するからね」

 僕は手洗い場を増設し、塩素桶をもう一つ置く。子供用の浅槽には木の縁を回して、足を滑らせないように段差に凹みをつけた。

 広場は、さっきの混乱が嘘のように静かに賑やかだ。声は高すぎず、笑いは低すぎず、湯気が全部の音を丸くする。


 そこへ、神殿の若い司祭が歩いてきた。金の縁の簡素な聖衣。顔は眠れなかった人の顔だが、目は曇っていない。


「私はルシアン。神殿の連絡役だ」

 彼は僕の看板を見て、口の端をゆるく上げた。

「第零条は美しい。だが、神殿としては“神域の設定”に立ち会いたい。湯を神の御業とするなら、儀礼が必要だ」


「湯を神の御業にしない選択は?」


 問い返すと、ルシアンは少しだけ黙った。「できる。だが、誤解は広がる。ならば、無害な言葉の柵を先に作るのも仕事だ」

 彼は神殿から持参した紙束を見せた。簡易協定案。

 神殿の加護を約束する代わりに、湯の運用と緊急避難所としての使用を認める。ただし収益への関与はしない。祭礼は休湯時間内に限定。

 僕は思わず、グラナイトを見る。竜は短く頷いた。


「休湯時間に祭りをやるなら静かでいい。歌は小さく、靴は滑りにくいやつで」


 竜と司祭と管理人。妙な組み合わせの三者協議は、看板の横で十数分でまとまった。

「書類は写しを三通。土に刻んだものが原本」


「土が原本?」

 ルシアンが目を丸くし、すぐに納得した顔で笑った。「いい。雨でも読める原本は、神殿にもない」


 合意の印として、僕とルシアンは湯に指を浸した。温度は四十三、さっきと同じ。湯は一貫の調子で人をやわらげる。


 そこへ、列の端がざわついた。

 大声が混じる。喧嘩ではない。迷子の泣き声だった。

 白い上着の少年が、濡れた石の上で立ちすくんでいる。誰かの手を探す形に、指が宙を掴む。足元の革靴は、少し大きい。


「危ない」

 僕は声を出すより先に、路面の粒度を変えた。表面を少し粗くし、少年の靴のエッジが引っかかるように。

 と、反対側から勇者が飛び込んだ。彼は剣を持たない。両手で少年の肩を抱え、膝をついて目線を合わせた。

「大丈夫。俺は剣を下ろした。ただの列整理係だ」

 少年は泣き笑いの顔で頷いた。

 周囲の空気が、また一段まろやかになる。事故は起きなかった。起きるはずだった事故が、起きなかった。それだけのことが、湯より温かい。


「休憩」

 グラナイトが区切るように言った。「人も湯も」

 僕は砂時計を逆さにして、十の目盛りを落とす。湯口を少し絞り、温度を保つための休湯に切り替える。行列は自然に短い蛇行に変わり、ミーナが水差しを配って回る。


「休憩命令って新鮮だね」

 ミーナが笑う。

「働きすぎると顔が尖るの。湯の鏡で自分の顔を見るといい。尖ってる日は、料理がしょっぱくなる。そういう日の味は、客の心を傷つける」


「それは困る」

 僕は笑い、隣で砂時計に視線を落とすグラナイトの横顔を見る。竜の輪郭は石みたいに硬いが、目尻だけがやわらかい。


 休憩が明ける。

 そこへ、さっきのヴォルケ男爵が位置を変えて戻ってきた。今度は広場の外れ、曲がり角に小さな台を置き、従者に銅貨皿を持たせている。

 看板を読める程度には学習したらしい。だが、台の角が鋭すぎる。列が触れたら破片が飛ぶ。

 僕は近づき、台の脚の下に小石を三つ滑り込ませた。角度が変わり、列と擦れない位置に微妙に落ち着く。

 男爵は舌打ちした。「邪魔をするな」

「邪魔ではなく保守です。怪我が出れば明日から“徴収”そのものが禁止になる。あなたの稼ぎが減る」


 言葉は刃じゃない。だが、刃より届くときがある。

 男爵は鼻で笑い、従者に視線を流した。従者の少年は、ため息が小さく熱い。

 僕は少年の耳元に、こっそり言う。「ここで働きたい?」


 少年が一瞬だけ、うなずく。

 僕は看板の裏に小さな紙を貼った。《求人:列誘導・手洗い案内・休憩時間厳守。日当銀貨一枚。》

 紙は紙汁にならない位置だ。ミーナがそれを見て、すぐに二人の近所の若者に声をかける。

 人が雇用に吸い寄せられる音は、湯の音に似ている。静かに、しかし確実だ。


 夕暮れ。

 湯は一日目としては完璧に働き、完璧に休み、完璧にまた働いた。事故はゼロ。苦情は二件。

 一件目は「魚の匂いが湯気に乗る」というもの。風向きを少し直して解決。

 二件目は「湯の温度がぬるい」というもの。四十七度が好きな頑固な老人に、足湯の高温槽を提案し、手で温度を一緒に測って納得してもらう。


 砂時計の最後の砂が落ちる頃、ルシアンが戻ってきた。

「協定、神殿が承認した。明日、書記と印璽を連れて来る」


「ありがとう」

「礼は湯に言え。私も一杯、足湯をもらう」


 竜は尾で地面をとん、と小さく叩いた。「明日の**初回“湯守り祭”**は休湯時間にやる。歌は短い、鈴は小さい。転倒ゼロの祈りだけ」


 夜が深まる。

 広場の灯りが減り、湯気が薄い雲になって星を隠す。王都は一日の汗を湯に預け、明日のために骨をやわらげた。

 僕は最後の見回りに出る。配管の結束、石の噛み合わせ、足元の砂の粒度。人が去った後の静けさは、昼のざわめきより多くのことを語る。


「聞こえるか」


 グラナイトが低く言う。

 広場の端、古いマンホールの蓋みたいな岩がある。手を当てると、歌が下から上へ、微かに滲み出す。

「忘れられた街の喉だ」

 竜は目を閉じる。「ここを開ける。だが明日ではない。人も湯も休ませてから」


「了解。配管図を描いておきます」


「紙はやめろ」


「もちろん。地面に」


 僕は敷石の隙間から滑り出る細い砂を集め、地面に新しい線を引いた。現在の湯路、明日の仮想配管、緊急時の逆流弁。

 線は夜気の中でもよく見えた。星が少ないぶん、地面の言葉が濃くなる。


「レント」


「はい」


「お前、よく働いた。休め」


 上司の声は石より重く、湯よりやわらかい。

 僕は初めて、自分のために湯に足を入れた。足首からふくらはぎへ、疲れの影がほどけて浮かび上がる。

 空を見上げると、星は少しだけ滲んでいた。湯気のせいか、目のせいか、どちらでもいい。どちらも生活だ。


 眠りかけの耳に、遠くの石がひそひそと話す声が入る。

 王都の下に眠る街は、たしかに息をしている。扉はまだ閉ざされているが、戸口の土はやわらかい。ほどける準備をしている。

 明日、その一番湯を誰に捧げるか。

 僕は湯の温度を手で確かめ、眠気を名残惜しむみたいに噛みしめた。


 そして、看板の裏にもう一行をそっと刻む。


《第弐条:忘れられたものを先に温めろ。》


 眠る街、働く人、疲れた心。順番を間違えない。

 それが“強い都市”の基礎だ。剣のかわりに、看板と配管と休憩で守る。


 湯は静かに、明日の拍を刻んでいた。


――次回/第3話「一番湯 —衛生ラインと価格戦略」

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