第1話
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
玄関からキッチンにいるであろう母に声をかける。姿は見えないが返事は返ってきた。
家を出ると門扉の前に人の姿が。今日も今日とて待たせてしまったらしい。
鍵を閉めゆっくりと近づく。
彼女は手鏡を見ながら手ぐしで前髪を整えている。まだこちらには気づいていない。
その渋い顔は前髪が決まらないことへの感情だと願い声をかける。
「おはよう穂波」
「おはよう啓太。今日も遅い」
表情変えずこちらを向く。残念。俺への感情だったらしい。
「ごめんごめん」
門扉を開きながら謝罪のポーズをとる。
「まぁ、いいけど」
今度は胸下まで伸ばした茶髪を毛先に向かって撫でるように触っている。もう前髪の方はいいらしい。
彼女は川嶋穂波。家が近所で小学生の頃から高校生の今に至るまで俺と同じ学校に通っている。いわゆる幼馴染という存在。
身長170近い長身で中学から現在までバレー部に所属している。
出会った頃から一度も穂波の身長を追い抜いたことがない。それだけ昔から彼女は同世代に比べて背が高かった。今も2cmだけ俺より高い。ほんの2cmだけどね。
今日は4月最初の水曜日。うちの高校では始業式が行われる日。進級した俺たちは高校2年生になる。
高校はお互いの家から徒歩で10分ほど。
入学前は電車通学に憧れていたが、朝のんびり起きれる利点に気づくと憧れは消えた。
「あれ、啓太寝癖ついてるよ」
そう言って穂波が後頭部を触ってくる。
「マジか、鏡見なかったからな」
「最近髪セットしてたのに、やめちゃったの?」
「面倒になった」
「せっかく女子にモテそうだったのに」
最後の言葉には適当に反応し話題を変える。
「桜もう散りそうだな」
「早いよね、明日が入学式なのに」
高校近くの桜並木は見上げるより下を見た方が花びらを見ることができる。
思い返すと昨年の入学式も満開を過ぎていたと思う。高校生にもなって穂波と二人で写真を撮ったからよく覚えている。
会話していれば10分はあっという間。高校に到着し校門を抜けていく。
この距離からでも昇降口前の掲示板と人だかりは確認できる。
昇降口前に置かれた大きな掲示板。1年前の入学式と同様にクラス分けが張り出されている。
そこで自分のクラスを確認してから教室に向かうのだが…。少々時間はかかりそうだ。
「じゃあ啓太頑張ってね」
「はいよ」
掲示板の近くまで来て穂波に見送られる。その顔は面白がるのと他人事の半々だろう。
「川嶋」だから掲示板の上の方を見る穂波に対し、俺は「西濱」で下の方。近づかなければ見つからない。
つまり人混みに混ざる必要があるわけで。穂波はそれを面白がっている。
(他人事だからと面白がって)
今はそんな穂波を一旦忘れ目の前の戦いに挑む。
現在地では掲示板の半分より下は生徒たちの後頭部で全く見えない。今なら後頭部の観察がじっくりできるだろう。
あいにくそんな趣味はないので、入れそうな隙間を探し人混みに進入していく。いや、侵入の方かもしれない。
少しずつ掲示板に近づく。しかし、動いても動いても幾多の後頭部が俺の行く手を阻む。
(後頭部よそこをどけ、俺が通る)
元NBAプレイヤーの名言を真似て心の中で叫ぶ。
後頭部というDFの壁をすり抜け掲示板という名のゴールを視界に捉える。
(1組・・・に名前はない)
シュートはリングに嫌われ弾かれる。素早い動きでリバウンドを制しサイドステップで横に移動する。
DFも素早く詰めてきてシュートコースを切られた。
(それなら隣のクラス・・・あった3組か)
フェイダウェイシュートが決まり観客からの大歓声が聞こえる。今の俺はまさに元NBAプレイヤーの彼だ。
(ちなみに他は・・・)
なんて妄想から現実に戻り、前後の名前も数人確認しておく。知り合いの名前を見つけ一瞬固まるが、すぐにその場から離れ穂波の元へ。
人混みから抜け穂波を見つけると、彼女は嬉しそうに握った手を二度三度振っていた。
きっと友人と一緒のクラスになったのが嬉しいのだろう。知らんけど。
「啓太何組だった?」
「3組」
「一緒だ」
高校に入り初めての同じクラス。同じになるのは中1の時以来なはず。別に新鮮さはないが、お互いによろしくと声をかけ靴箱へ向かう。
靴を脱ぎ春休み中に洗っておいた内履きを取り出す。
履き心地は変わらないが新鮮な気持ちで2年生をスタートできる。
教室は昨年から1フロア下がり3階。合計20強の階段を上がらずに済むのは大きい。
3組の教室に入ると黒板の前に人が集まっている。今度は座席表が目当てらしい。
確認後も留まる生徒がいて混み合っているよう。今回も遠目では見えないが急ぎの用ではないため気にしない。
そんな人混みの中に見覚えのある横顔を見つけ声をかける。
「健」
こちらが名前を呼ぶと爽やかな笑顔を向けてきた。
「お、啓太おはよう」
「おはよう」
「今年は一緒のクラスかよろしくな」
「よろしく」
健からの挨拶に軽く手を上げる。
大島健。サッカー部に所属しており、昨年共通の知り合いを通して仲良くなった男。クラスは違ったが昼休み一緒に過ごすなど交流があった。
「川嶋さんは今年もよろしく」
「うん、よろしく」
少し表情の硬い穂波。昨年同じクラスだったはずだが、久しぶりの会話で人見知りが発動したようだ。
「お、大島また同じクラスか」
「そうだな」
教室の入口から男子二人が健に声をかける。知り合いらしく健も二人に近づいていく。
邪魔するのも悪いので後は追わず教卓へ向かう。
本日二度目の後頭部集団との対面。ただ今回は背伸びすれば確認できる。
「うわっ、マジか」
座席表に書かれた名前の位置を見て思わず声を漏らす。席は前から2番目と教卓に非常に近い。
中途半端な位置だなと内心少しガッカリする。
一方の穂波は後方の席だったらしく嬉しそうに移動していった。
一人取り残された俺も席へと向かう。といっても目と鼻の先。数歩で着く。
隣はまだ来ていないのか荷物が置かれていない。
まずは隣人への挨拶からと思ったが、前に座る知人に声をかける。
「おはよう長峰さん、久しぶり」
カバンを置きながら前の女子に話しかける。
「おはよう西濱くん。また同じクラスだね」
「だな、しかもまた前後だし」
彼女は長峰栞。昨年俺と同じクラスで話す機会が多かった女子。とにかく真面目な子でクラス委員長も務めていた。
胸下まで伸ばした黒髪も、彼女の真面目な雰囲気に拍車をかけている。
「一番前だよ席」
「ドンマイ」
「代わってよ」
「嫌です」
お互い本心でないやり取りをしていると担任がやってくる。見慣れた顔と動き。今年も担任は同じらしい。
「ほら早く席に移動しろ」
黒板前で固まっている生徒たちに移動を促し、教卓の前に立つ。
言葉遣いはともかく口調は優しい森先生。今日は珍しくスーツを着ていて年相応の男性に見える。
実年齢は俺たちの倍近く。それでも私服姿だと20代に見えたりする。
「2年3組担任の森です。1年間よろしく。この後すぐに始業式だから体育館に移動してください」
先生からの短めの挨拶と説明を受け体育館へと動き出す。