第七話 蟹守さんの職場
「今日、上がっていいよ」
「……いいんですか?」
「お客さん少ないし。一人で平気」
そう言って、相楽さんは仕事場に戻る。
出かける前にシャワーを浴び、お気に入りの服に袖を通す。
不器用だからロクに仕事も覚えられないし相楽さんの負担が大きくなるだけだが、あの時相楽さんは「居るだけで十分」と、普段のぼんやりした表情からは想像もつかないほどの笑みを見せた。
私はその笑顔にクラッときて居候を続行……したわけだが、やれることが少ないし相楽さんの触れちゃいけない趣味……みたいなものも知ってしまったので、ある日突然「部屋こない?」なんて、言われた日には……。
「まあ……、蟹守さんの方がよく知ってそうだから、それとなく訊いてみよう」
歩いて15分ほどのバス停で少し待ち、バスが到着すると、乗車口でパスをかざし、窓際の席に座る。
ここから先は、来たことがない。
トンネルを3回くぐると、私は停車ボタンを押す。
「少し歩くけど、あなたにオススメしたいのよ!」なんて、蟹守さんはらいんで言ってたけど、写真で見ても洒落た店構えなのが分かる。
バスが停車するとパスでお金を払い、蟹守さんの職場に向かった。
*
「いらっしゃい。待ってたわ」
入って出迎えてくれたのは、蟹守さんだった。
スカートタイプの制服を着ていて、内観がシックなので、見た目とマッチしていた。
照明はほんのり暗く、少し歩くと本のスペースがある。
最初漫画かと思ったら、漫画はひとつもなく、活字のみだった。
「貸出もあるよ。何か借りてく?」
マスターは女性。
暗い茶髪を真ん中のところでサイドテールにしていて、眼鏡をかけていた。
「……ここって、活字のみなんですか」
「そうだけど」
「理由は」
「私が好きだから」
マスターは遠い記憶を思い出すかのように、語る。
「初めて活字に逢った時、運命だって思ったの。その前は絵のついた本を読んだり、あなたみたいに漫画なんかを読んだりしてたこともあったけど。活字だったら読みたい時に読めて、人によるかもだけど好みの文体ってあるでしょう? まあ私が好きな文体のみを集めるのもあれだから、お客さんの意見を聞いていくうちに……」
「千冊集まったって、わけ」
蟹守さんは、さぞ自分が集めた風に言う。
「有料だけど、借りれたりもするの。その前に、何か食べてく? すごく美味しいものは、作れないけど……」
「……パンケーキ、お願いできますか?」
テーブルの上に置かれたのは、パンケーキの上に、季節のジャムとアイスの乗ったパンケーキ。
「ほんと、自信ないんだけど……」
「いえ、全然食べれます」
「そう? それなら、よかった……」
このマスターは、何が心配なんだろう。