6 アリエスの過去3
天使のようなユージンの笑みを間近で見たアリエスは、その可愛さから顔を強張らせた。
ドキドキと胸が異常なほどに激しく脈打ち、このままだと顔面だけではなく心臓も爆発して死ぬのではないかと思ったアリエスは、咄嗟に笑顔というユージンの破壊兵器から顔を背ける。
それでもドキドキは収まらない。
大きく息を吸い込んで息を止めてみてもドキドキと高鳴る心臓は落ち着きを取り戻さなかった。
ユージンは陽が傾き始めたことに気付くとアリエスの手を取る。
「もう帰ろう。暗くなると心配かけてしまう」
そうして林道から抜けたアリエスとユージンは、まっすぐウォータ伯爵邸へと向かった。
サラサラと指通り良さそうな柔らかい銀色の髪が揺れ動く様子を、アリエスはユージンに手を引かれながらずっと眺める。
心ここにあらずといった様子のアリエスには、ユージンも家に帰らないとという言葉も浮かばない程にユージンから目を逸らせなくなっていた。
一方のユージンはアリエスの手を繋ぎながら熱くなった顔とだらしなく機能しない表情筋を、懸命に隠そうと前ばかり向いていた。
唯一だらしなくによによしてしまう表情を隠してくれる帽子はアリエスの手にある。
帽子を返してもらう為にはまずアリエスに振り向かなければならないが、引き締まらない表情を見せるわけにはいかなかった。
子供とはいえユージンは男で、好意を抱いた女性にはいいところを見せたいという気持ちをきちんと持っている。
だからこそユージンはアリエスを置いていかないように、アリエスが無理しないように歩くペースも気を付け、だけどアリエスにだらしない表情を見せないように前を歩くことに集中していた。
手を繋ぎながら帰宅したアリエスとユージンを出迎えたメイド達は雇い主であるアリエスの母親とその親友であるデクロン夫人に伝えた。
赤く染まった娘の表情を確認したアリエスの母親はニヤリと嬉しそうに笑う。
「…ユージン君と遊ぶのは楽しかった?」
ニタニタとなにやら含み笑いを浮かべる母親にアリエスは首を傾げながらも尋ねた。
「どうしてお母様ユンのこと知ってるの?」
「だってユージン君があなたの婚約者として会わせたかった子なんですもの」
「え!?」
アリエスは隣に立つユージンを見る。
ユージンは何故か顔を赤く染めて頷いた。
「ユンも知ってたの?!私が婚約者だって!」
「知っていたというより、アリスの名前を聞いて気付いたというべきかな」
「気付いたときに教えてよ!」
アリエスは憤慨したが、いまだに繋がられた手はそのままだ。
つまりこれはアリエスの照れ隠しなのかもしれないと、短い時間でアリエスを知ったユージンは思った。
そして“アリス”“ユン”と互いの愛称をためらうことなく口にする二人の子供の姿に、見ている大人たちは微笑ましく見つめていた。
「でもそのお陰でアリスのことをよく知れたし、気兼ねなく接することができたと思うんだ。婚約者だと伝えたら、きっと気にして言いたいことも言えないでしょ?」
アリエスはユージンの言葉に口を閉ざした。
ユージンの言葉はもっともだからだ。
アリエスが逃げたのはもっと遊びたいと思ったから。
子供のうちにたくさん遊んでおきたいと、子供らしく生きたいと思ったからだ。
婚約者が出来ればきっと子供らしく泥にまみれて遊ぶことも出来ないとアリエスは考えていた。
だから気兼ねなく接することが出来たユージンが本当は婚約者だったことは嬉しい誤算だ。
しかも可愛いし綺麗だし優しいし、なにより可愛い。
めちゃくちゃ素晴らしい好物件だ。
アリエスはそう思っていた。
「…それで、アリスは僕との婚約は嫌かな?」
「嫌じゃない」
「本当に?」
「本当!」
アリエスの言葉を聞いて嬉しそうにほほ笑んだユージンは「僕もアリスが婚約の相手で嬉しいよ」と答える。
まるで天使のような笑みを見せるユージンに、アリエスだけではなく周りの大人たちも胸を押さえて膝をついた。
そして耐性のある唯一の大人はこういった。
「どう?私の息子は」
「素晴らしいわ……今すぐにでも息子になってうちに来て欲しいくらいに」
アリエスの母親はそういったが、実際に入るのは嫁入りするアリエスの方だ。
息子になる、という言葉自体は間違っていないがアリエスとユージンと一緒に暮らすのは、アリエスを嫁として貰うデクロン家の方である。
そんな親友にデクロン夫人はくすりと笑った。
「子供たちも問題ないようだし、公爵家に帰ったら正式な婚約申し込みをさせていただくわね」
「ええ、届いたら私もすぐ対応させていただくわ」
立ち上がったアリエスの母親は手を二度ほど叩いて、夕食の為に子供たちの支度を整えるように指示を出す。
メイド達は少しだけ汚れた服や靴を身に着けたアリエスとユージンを身綺麗にするために、それぞれをお風呂場へと連れて行った。