1 婚約解消にいたった、私のお話しをしましょう
「カリウス・プロント伯爵令息、私と貴方との婚約は完全に解消されました。もうこれ以上私に関わらないでください」
“学生の割には”筋肉が盛り上がり体格がいいと評判の伯爵令息は、程よく焼けた健康的な肌色をした顔を青く染めた。
頭二つ分低い女性を後ろ手に庇うようにしていたが、カリウス・プロントは唇をわなわなと震えさせ、何故か床を揺れる瞳で見つめている。
カリウス・プロントに婚約状況を告げた女性は、先日まで婚約関係にあったアリエス・ウォータという伯爵令嬢だ。
親しい友人たちと楽しく学生生活を送る中、婚約者に悩んでいる友人たちとの話し合いの結果の行動が、今回の騒動の原因ともいえるが、それも彼女たちを悩ませた男性側に多くの原因があった。
「アリエス!またお前はアリス嬢のことを虐めたそうだな!?」
ドンッと力いっぱいテーブルに拳を叩きつけたカリウスは、普通の女性ならば怯えるほどの剣幕で自身の婚約者であるアリエスを睨みつけた。
名を呼ばれたアリエスは怯えることなく冷静な態度でカリウスを横目で見る。
勿論アリエスと共にいた令嬢たちはガタガタと体を震わせていた為、カリウスの形相が恐ろしいことは明らかだった。
そしてアリエスは普段からこのような対応を婚約者からとられていたわけではない。
アリエスの心構えの問題だ。
絶対に屈しないというアリエスの心が婚約者の迫力に屈することなく、自身を強くさせていた。
そもそも何故将来を誓い合った婚約者たちが、このように嫌悪の眼差しで睨みあっているのかというと、話は半年前に遡る。
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半年前、アリエス・ウォータは貴族の子息令嬢が通うフォーマード学園へと入学した。
淑女教育と人脈作りが主な令嬢たちは、同じ年齢である令息たちよりも一年遅れての入学の為、アリエスは一年前から婚約者との交流は手紙だけの付き合いになっていた。
婚約者であるカリウスは学園での生活のことを主に、アリエスは日々の何気ない日常を手紙に綴る。
騎士を目指しているカリウスは筆不精で、アリエスも毎回同じような内容を手紙として書くのは…という考えが筆の進みを遅くさせたことで文の数は多くなかったが、それでも数か月に一度のやり取りは一年の間続けられていた為、互いの事情はある程度わかっていたつもりだった。
アリエスは白がベースにフォーマード学園の校章であるデイジーが刺繍されている制服に袖を通し、大きく開かれた門を潜っていた。
まるで歓迎しているかのように桜の花びらが降り注ぎ、思わず目を奪われてしまうほどの光景に足を止める。
アリエスは胸元につけられた蘭のバッジに、そっと手を添えた。
(友達、出来るといいなぁ……)
貴族の令嬢は学園に入学するまで基本的に外に出ることがない。
必要なマナーを身に付けるまで外出が許されないという意見が大半だが、娘を大事にしている親は例えマナーを身に付けたとしても可愛い子供を外に出し、危ない事件に巻き込まれることを危惧していた。
その為アリエスは学園入学前に同じ年頃の友人はいなく、これからの学園生活で気が許せる友達が出来るかどうかが不安だった。
入学前、予め伝えられていた教室に辿り着いたアリエスは、令嬢たちが沢山いる光景にごくりと唾を飲み込んだ。
すぅと大きく息を吸い込み、アリエスは気持ちを落ち着かせると口を開く。
「初めまして、私はアリエス・ウォータと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
決して大きな声で告げたわけでもないアリエスの言葉は、静かに座って待っていた令嬢たちによく聞こえた。
浅く頭を下げたアリエスはゆっくりとした仕草で頭を上げて、適当な席へと腰を下ろす。
アリエスと同じようにこれからの学生生活に不安を抱いていた令嬢たちは、教室に足を踏み入れた早々挨拶をしたアリエスに好感を持ち、腰を下ろしたアリエスに一人の令嬢が話しかけた。
「あの……、私はマリア・ヴィノビアンと申します。仲良くしていただけると嬉しいですわ」
話しかけてくれたマリア・ヴィノビアン令嬢にアリエスは破顔し、勢いよく立ち上がるとスカートの裾をわずかに摘み、淑女らしく挨拶をする。
そんなアリエスに静かに見守るだけだった令嬢たちも名を名乗り始めた。
そうしてクラスの令嬢たちと交流を深めたアリエスは幸先の良いスタートをきれた筈だった。