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第六章:凛とした先輩の助け ― 誤解の氷解

ここからは完全に妄想なので、現実世界での内容が変われば、物語の内容も変わります。

 六月に入り、部署に、産休・育休に入っていた、直属の先輩ではないものの、私がこの部署に配属されて以来、何かと、さりげなく気にかけてくれる存在だった、寺田さんが、職場に復帰してきた。寺田さんは、いつも背筋がピンと伸びた、凛とした雰囲気を纏っていて、それでいて、誰に対しても分け隔てなく丁寧で、物事の本質をしっかりと見抜く、芯の強い、信頼できる女性だ。

寺田さんは、復帰早々、部署内の、微妙な空気の変化に、誰よりも早く気づいた。

「あれ? 松雪、福原さんと、なんか、前より空気悪ない? 昔は、もうちょっと、普通に話してたやろ?」


 鋭い、しかし、どこか心配そうな視線が、俺と、少し離れた席に座る福原さんを、交互に捉える。俺は、心臓が、まるで冷たい刃物で抉られるように、キリキリと痛むのを感じた。


「いや、その……ちょっと、色々あって……」


 俺が、言葉を濁しながら、視線を泳がせると、寺田さんは、腕組みをして、顎を少し上げ、福原さんのデスクの方を、意味ありげにちらりと見た。


「ふーん。まあ、松雪も、昔から不器用やからな。何か、よからぬことを、やらかしたんやろ?」


 図星だった。彼女の、まるで全てを見透かしているような言葉に、俺は、何も言い返すことができなかった。

 その日の昼休み、俺が一人で弁当を広げていると、寺田さんが、何の躊躇もなく、俺の隣の席に、ずかずかと座ってきた。


「松雪、正直に言ってみ。何か、あったんやろ? 私、一応、あなたの先輩やし。それに、福原さんのことも、いつも一生懸命頑張ってる、ええ子やなって思ってるからさ。二人の間に、何か、私に力になれること、ない?」


 俺は、一瞬、口ごもった。寺田さんに、一体どこまで話すべきか。大塚さんに話したような、自分の病気のことや、複雑な家庭環境、そして、同居人のことまで話すのは、あまりにも重すぎる。しかし、今、福原さんとの、この最悪な誤解を解くためには、誰かの、冷静で客観的な助けが、どうしても必要だった。


「あの、寺田さん。実は……」


 俺は、覚悟を決めて、福原さんに、あの、一方的なラブレターを渡してしまったこと、それ以来、露骨に避けられていること、そして、周りの同僚たちから、自分が、結婚間近の同居人がいる男だと誤解されていることだけを、掻い摘んで話した。同居人がいることは事実だけど、「彼女」ではないこと、そして、その、複雑な事情について、できるだけ簡単に説明した。虐待から逃げてきた、大学の後輩であること、過去の経験から深い心の傷を抱えていることを、遠回しに伝えた。

 寺田さんは、真剣な顔で、俺の、拙い説明を、一言も聞き漏らすまいと、耳を傾けていた。


「なるほどねぇ。そりゃ、福原さんも、誤解するわ。松雪も、もうちょっと、人に誤解を与えない、上手い説明ができればええのに」


 彼女は、呆れたように、しかし、どこか心配そうな眼差しで、小さくため息をついた。


「でも、わかった。私が、ちょっと、福原さんと話してみるわ」

 その日の午後、寺田さんは、タイミングを見計らって、福原さんの席まで歩み寄り、何か、真剣な面持ちで話しかけていた。二人が、一体どんな話をしているのかは、少し離れた俺の席からは、全く聞こえなかったけれど、福原さんの顔色が、話が進むにつれて、少しずつ、しかし、明らかに変化していくのが、嫌でも目に入ってきた。最初は、警戒するように強張っていた表情が、次第に、驚きに変わり、そして、最後には、少しだけ、困惑したような、複雑な表情を浮かべていた。

 そして、その日の、終業間際、福原さんが、書類を持って、俺のデスクの近くを通りかかった時、初めて、ほんの一瞬だけだったけれど、俺の目を見て、ほんの少しだけ、本当に小さく、頭を下げた。


「……先日は、失礼しました」


 その、まるで蚊の鳴くような、小さな声に、俺は、息を飲んだ。声は、まだ、少しだけ硬かったけれど、これまで感じていたような、冷たい拒絶の響きは、確かに、そこにはなかった。


「いや、俺の方こそ……」


 俺が、慌てて何か言い返そうとすると、福原さんは、もう、足早に歩き出していた。

しかし、その翌日。休憩スペースで、一人でサンドイッチを頬張っている福原さんの隣に、意を決して、俺がそっと腰を下ろしても、彼女は、まるで何もなかったかのように、立ち上がって、その場を立ち去ることはなかった。


「福原さん、これ、昨日、コンビニで見つけた、新作のコーヒーなんですけど、もしよかったら、どうぞ」


 俺が、少しだけ勇気を出して、差し出した缶コーヒーを、福原さんは、ほんの少しだけ迷った後、小さな声で、「……ありがとうございます」と言って、受け取ってくれた。その声には、昨日よりも、ほんの少しだけ、柔らかな響きがあったような気がした。


「あの、福原さん。その、同居人の方のことなんですけど……」


 俺は、意を決して、あの時の誤解を解くために、同居人のことを、もう少し詳しく話そうと試みた。福原さんは、受け取った缶コーヒーを、両手で握りしめたまま、俯いて、静かに、俺の言葉に耳を傾けていた。


「……大変なんですね」


 彼女の、小さな唇から、絞り出すようにして出たのは、ただ、その一言だけだった。しかし、その短い言葉の中には、確かに、これまで感じられなかった、「人としての、純粋な興味」のようなものが、微かに含まれているように、俺には感じられた。「クソ野郎」の烙印は、まだ、完全に消えたわけではないだろう。それでも、ほんの、本当にほんの少しだけ、固く閉ざされていた扉が、ようやく、微かに開いたような、そんな気がした。

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