第四章:誤解を解くために
あれから、約一ヶ月半。時は、五月の末に、ようやく差し掛かろうとしていた。俺は、あの日、あの、今となっては恥ずかしいラブレターを福原さんに手渡してしまって以来、彼女の目を、まともに見ることができなくなっていた。いや、正確に言うと、福原さんが、俺の目を、露骨に避けるようになったのだ。
彼女は、まるで俺の存在そのものを、見えない、汚れた空気のように避けるように、常に、俺の視界から、巧妙に外れるように動いていた。廊下で、偶然鉢合わせそうになれば、信じられないほど絶妙なタイミングで、まるで忍者のように、別の方向へすっと身を翻す。
フロアで、誰かと楽しそうに立ち話をしていれば、俺が少しでも近づく気配を察知した途端、まるで魔法が解けたかのように会話を切り上げ、自分の席へと足早に戻っていく。まるで、俺が透明人間になったかのような、徹底的な無視だった。
「あの、これ……」
たまに、仕事でどうしても必要な資料の受け渡しがある時だけは、彼女は、必要最低限の、事務的な言葉を、まるで冷たい石を転がすように、低い声で発する。それも、決して俺の顔を見ることはなく、差し出された資料に視線を釘付けにしたまま、まるで一刻も早くこの場から逃げ出したいと言わんばかりの様子で、すぐに立ち去る。
その間、福原さんの表情は、いつも同じだった。眉間に深く刻まれた皺、固く引き結ばれたままの口元、そして、心なしか、いつもより少しだけ吊り上がっているような気がする、冷たい眼差し。
「完全に、『クソ野郎』って、心の底から思われてるやんけ……」
俺は、自分の殺風景なデスクで、深い、深い溜息をつきながら、ぼんやりとスマホの画面を眺めていた。SNSで流れてくる、恋愛指南の記事には、「相手の気持ちを察して、今はそっと距離を置くべき」なんて、もっともらしいことが書かれている。でも、それって、俺が本当にクソ野郎だと、全面的に認めて、このまま、何もしないまま、全てが終わるってことやろ? そんなの、絶対に嫌やった。どうしても、心の底から、嫌だった。
さらに事態をややこしくしているのは、福原さんが全く知らない、俺の同居人の存在だ。
「え、松雪さんって、彼女さんと同棲してるんですか?」
確か、部署の、あの、最悪の歓送迎会だったか、酔った勢いで、誰かがそんなことを、軽い調子で尋ねたのが始まりだった。俺は、特に否定も肯定もせず、ただ曖昧に、作り笑いを浮かべて、その場をごまかした。別に、嘘をついていたわけではない。同居しているのは、紛れもない事実だ。ただ、その相手が、「彼女」ではない、という、ただそれだけの、けれど、決定的な違いがあるだけで。
あいつは、大学の後輩で、もう四年以上も、俺の広いとは言えない部屋に、転がり込んでいる。あいつが、実家で、信じられないほど酷い虐待を受けているのを知った時、俺は、いてもたってもいられず、自分の状況も顧みずに、無理やり、自分の部屋に連れてきた。最初は、ほんの一時的な、緊急避難のつもりだったのが、気がつけば、信じられないことに、四年もの月日が、あっという間に流れてしまっていた。性別? 年齢? そんなもんは、俺にとってはどうでもよかった。ただ、あいつに、安心して、ゆっくりと、心と体を休めることができる、安全な場所を与えてやりたかった。過去の、どうしようもなかった自分を見ているみたいで、どうしても、放っておけなかった。
だから、福原さんが、俺を「結婚秒読みの同居人がいるくせに、よその、しかも自分より年下の女に、軽々しく手を出す、最低最悪のクソ野郎」と、完全に誤解しているのは、今となって思えば、当然の成り行きだったと言えるだろう。その、根深い誤解を、どうしても解きたい。でも、一体、どうやって? あの、一方的で、暑苦しいラブレターで、すでに俺は、彼女の警戒レベルを、マックスまで、いや、もしかしたら、それ以上にまで、引き上げてしまったかもしれない。今、迂闊に話しかければ、さらに嫌われるだけやろ。




