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第三章:クソ野郎の過去(前半)

 突然だけど、あなたは、一体何歳頃の記憶から、はっきりと覚えているだろうか?


 いや、今の僕は、もはや昨日の晩御飯の献立すら、怪しい記憶になりつつあるけど……というのは、まあ、冗談として。

 はっきりと、鮮明に残っていると言ったら、それは、中学校に入学して以降の出来事が多い。けれど、断片的な記憶を辿れば、一歳になる前の、まだ言葉も話せなかった頃のことも、ほんの少しだけ覚えている気がする。特に、強い不快感や、強烈な快感と結びついている出来事は、人並み以上に、はっきりと覚えている方だと思う。


 で、あなたの一番古い記憶は、一体何だろうか?


 もし、今、スマホでこの文章を読んでいる方がいるなら、おそらく、深夜だろう。こんな、面白くもない、陰鬱な文章を読むくらいなら、素直に寝てしまった方が、明日への活力になるという点で、間違いなくメリットが大きい。パソコンで読んでいる方は、フリーランスとか、少々生活リズムが乱れても、特に問題のない方が多いのだろうか。もし、明日、早起きする必要がないのなら、ぜひ、自分の、一番古い記憶を、ゆっくりと呼び起こしてみてほしい。

 もし、眠れない夜を過ごしている、心細い誰かさんなら、もっと爽快感があって、明日への希望が湧いてくるような物語に、今すぐ回れ右してくれ。社畜の皆さんは、もう、大人しく寝よう。睡眠こそが、最強の栄養であり、最高のアンチエイジングやからな。


 で、そうそう、一番古い記憶の話やった。


 僕の場合、生まれて初めての、はっきりとした記憶は、口いっぱいに、信じられないほど酸っぱく、異臭を放つ、腐ったご飯を、訳も分からず頬張って、すぐに吐き出した時の、あの強烈な不快感。

 あと、これは、全く覚えていないけれども、後で母から聞いた紛れもない事実として、一歳の時、家に一人で放置されて、何も食べ物も飲み物もない、酷い環境の中で、母が灰皿として使っていた、飲みかけの缶ジュースの缶に溜まっていた、茶色く濁った水と無数の吸い殻を、空腹と喉の渇きに耐えかねて、誤って飲み込んでしまったらしい。幸い、すぐに近所の人が異変に気づいてくれて、病院に運ばれ、胃洗浄をして、九死に一生を得た、と聞いている。


 それから、三歳の頃、まだ母と二人で、薄暗い団地に住んでいた頃のこと。母が、色んな男を連れ込んできては、まるで舞台役者のように、大袈裟な泣き声で、気の毒な身の上話をして、金の無心を繰り返していた。幼い僕は、母のそんな、嘘くさい演技が全く理解できなくて、本気で心配になって、「ママ、僕のお金あげる」って、大切にしていたブタの貯金箱を、母に差し出したこととか。今思い出せば、本当に滑稽で、そして、胸が痛む。


 母が連れ込んだ、柄の悪い男に、「邪魔だから失せろ!」と、理由もわからずボコボコに殴られたり、糞尿まみれで、ガリガリに痩せ細った僕を見て、「気持ち悪いから死んでしまえ!」と、冷たい目で言い放たれた四歳の時。面白半分で、母のやんちゃな遊び仲間の男に、熱く燃えたタバコの火を押し付けられた跡が、今でも、パンツを脱がないと分からないような、人目に触れないところに、奇妙な形の痣として、いくつか薄っすらと残っている。大人になってから、形成外科で火傷痕のレーザー治療を始めたけれど、完全に消えることはなかった。時々、ふとした瞬間に、あの時の、焼け付くような痛みが蘇ってくる。


 褒められた記憶なんて、ほとんどない。「あんたなんか、生まれてこなければ良かった」「いなくなれ」と、毎日のように罵詈雑言を浴びせられながら、水道代が払われていなくて、蛇口を捻っても一滴の水も出ない、冷たい台所の蛇口を、必死で何度も何度も捻って、やっと出てきたわずかな水滴を、乾いた舌で舐めて飢えを凌いだり、近所のおばさんから、申し訳なさそうに分けてもらった、小さな、たべっ子どうぶつを一袋、一日かけて大切に食べたりした、五歳の冬の記憶。あの頃の僕にとって、おばさんの笑顔と、あの小さなビスケットの甘さが、どれほどの救いだったか。


 小学校に入学して、初めて受けたテストで、生まれて初めて、満点の100点を取って、誇らしげに家に持って帰った時のこと。これまで怒られたり、死ねば良いと言われたりしてきたのは、僕が母にとって、「良い子」ではなかったからなのだと、その時の幼い僕は、本当にそう信じていた。テストで良い点を取って帰れば、母がほんの少しだけ機嫌が良くなって、少しだけマシなご飯が食べられるかもしれない、と、幼いながらに学習した、六歳の春。あの時の、母のほんの一瞬の笑顔が、僕にとってどれほど眩しかったか。


 地味に嫌だったのは、殴られる蹴られるよりも、長い髪の毛を掴まれて、まるで雑巾のように引きずり回されることと、母が定期購読していた月刊誌を、的当てのように投げつけられて、それが体に当たるまで何度も何度もやらされることだった。当たるまで投げてくるし、薄ら笑いを浮かべながら、「死んじまえ!」と叫びながら投げてくるから、幼い僕は、本当に、母のために死んだ方が良いのかもしれない、と真剣に考えたのに、どうやって死ねば良いのか、そんなことさえ知らない、ただのガキンチョだった。


 それから、母と、その時一緒に住んでいた男の、生々しい情事を見せつけられて、わけもわからず体が反応してしまった時、「ガキが一丁前に!」と、激昂した男に、大事な部分をハサミで切られたこと。幸いなことに、切れたのは皮膚だけで、割とすぐに血は止まったけれど、あの時の、全身から血の気が引いていくような恐怖と痛みは、今でも鮮明に蘇る。タオルよりも、ティッシュの方が止血には効果があったね、あの時は。本当に、あれが皮一枚で済んだのは、不幸中の幸いだったとしか言いようがない。クリスチャンではないけれど、もし、あれが割礼というものだったのだとしたら、まあ、ありえなくもないか。本当に、これだけは、マジで不幸中の幸い。神に感謝。いや、クリスチャンではないから、仏様に感謝すべきか?


 おかげさまで、物心ついた頃から、“男”という生き物は、暴力的で、理不尽で、どうしようもない生き物だという認識が、僕の心の奥底に深く刻み込まれてしまった。当然、こどもの頃から、成人男性恐怖症を患ってしまった。

 女性も、いまだに、化粧の匂いがキツくて、髪の毛がくりくりパーマみたいな人とか、露骨に男受けを狙っています!みたいなファッションをしている人は、生理的に、かなり怖いと感じてしまう。男と遊びに行くために、派手な化粧をして、けばけばしい服を着る母の、あの戦闘スタイルが、とにかく嫌だった。



 小学校一年生の冬くらいに、母が何度も同じ男を連れ込むようになって、妹が生まれたのは、小学校二年生の、クリスマスの少し前だったかな。

 その男のことは、「新しいお父さん」と言われて、母から紹介されたけれど、新しいも何も、そもそも、本当のお父さんの顔なんて、一度も見たことがないし、と心の声が出そうになったら、その「新しいお父さん」にも、容赦なく殴られた。これはまあ、彼の立場からすれば、怒りを買うのも、全く理解できないわけではないけれど、いきなり手を出すことはなかったんじゃないか?


 その「新しいお父さん」が、僕が一度も頼んだこともないし、欲しがったことも一度もない、実際、全く欲しくもない、謎のキャラクターの、安っぽいおもちゃを、ドヤ顔で買ってきた時、どうリアクションを取って良いのか分からなくて、固まってしまったら、「お前が喜ぶと思って、せっかく買ってきてやったのになんだその態度は!それが、疲れて帰ってきた父親に対する態度か!」と、またもやボッコボコに殴られた。(この時、ちなみに、彼が家に住み始めて、まだ三ヶ月も経っていなかったと思う…)


 それからだと思う。相手が何を求めているのかを瞬時に察知して、オーバーなリアクションと、作り笑顔で相手を喜ばせる、という、歪んだ癖がついてしまったのは。仮面は、もはや顔の一部と化していて、今では、誰にもバレることなく、外では普通の人間を演じているけれど、家に帰れば、まるで感情を持たない、ただのロボットだ。


 新しいお父さんは、初めて一緒に入った風呂で、背中を流した時、そこに真っ赤な般若の、恐ろしい刺青が入っているのを見てしまった。その刺青は、日に日に、細かい柄が増えていった。

 妹が生まれてすぐくらいの頃に、彼は警察にパクられた。覚醒剤中毒者で、現行犯逮捕だったらしい。パクられる前に、母は一応、父の薬物依存に気がついていて、それが新聞に載ったり、僕が学校でいじめられたりしないように、何度もやめるように、必死に頼んでいたらしい。でも、その時、母のお腹の中には妹がいて、もし暴力を振るわれたら、お腹の赤ちゃんが死んでしまうかもしれないと思って、強く主張することができなかったのだと。

 その時、必死こいて守ろうとした命を、今度は簡単に傷つけようとしたくせに、大人になった後の私たち兄妹には、都合の良いことばかり、平気で言わはりますわ、うちの母は。


 当然、すぐに離婚して、妹も生まれたことで、生活は以前よりも、さらに、かなり厳しい状況になったけれど、妹にとって、唯一幸いだったのは、僕がそばにいたことだと思う。まだ、生まれたばかりの小さな妹を、母は気に入らないことがあると、平気で殴ったり蹴ったりした。その度に、僕は必死に妹に覆い被さって、「僕のことなら、いくらでも叩いて良いから、どうか、この小さな赤ちゃんに、そんな酷いことをしないで!」と懇願した。でも、僕がそうすればするほど、母の暴力はエスカレートしたのだから、本当に、手に負えない、救いようのないクソガキだったわ、あの頃の母。(実際、今思えば、まだ二十歳過ぎてすぐくらいの、若くて未熟な、子どもだったのだな、母も、と、今は、少しだけ理解できるけれど。)


 小学校高学年の頃には、僕は、かなり「仕上がって」いて、都合の良いおばさんに媚び諂って、なんとか生き残る術を、本能的に覚えていたかな。いわゆる、今で言う「ママ活」みたいなものだろうか。だから、まともな「恋」なんて、知る由もなかった。


 強いて言うなら、保育園の時、新しく入ってきた、少し背の高い、優しい保育士の女の子が、何かで泣いてしまって、幼いながらに、自分が何か「やっちまった」という罪悪感と、同時に、胸の奥に奇妙な快感があって、その保育士の頭を、戸惑いながら撫でて、「泣かないで」と言ったら、余計に泣かれてしまった時の、あの、胸の奥がチクリと疼くような感覚。かなり歪んではいたけれど、あれが、僕にとっての、初めての「恋」に、一番近かったかもしれない。どうしても、その先生に肩車して欲しくて、何度もお願いしたけれど、結局してくれなくて、幼い僕は、先生を睨みつけた。先生は、困ったような、悲しそうな顔で、「ごめんね。本当はしてあげたいんだけど、一人にしたら、みんなにしないといけなくなっちゃうから。それに、天井にぶつかったら危ないでしょ?怪我して欲しくないの」と、泣きそうな声で、そんなことを言うから、幼いながらに、胸が締め付けられるような、切ない気持ちになったのを覚えている。


 中学校に入るくらいからは、周りの同級生たちが、年相応に恋愛したり、部活動に青春を捧げたり、あるいは、ちょっとやんちゃをしたりしている中で、僕は、表面上は、いじめのターゲットにならないように、普通の人間として振る舞いながら、心の奥底では、彼らのことを、どこか冷めた目で、馬鹿にしていた。


 英語の授業のノートに、タイトルとして「English」と書いたつもりが、スペルを間違えて「Englsh」になっていることに、ノートが返却された時に気がついて。思わず、「iがない」と口に出したら、二十代後半の、可愛らしい女性の英語教師が、「待って、やり直す。はい!」と、にっこにこで、僕のノートを渡してきた時、僕は、何が起こったのか全く理解できなくて、先生と二人で、プチフリーズしてしまった。先生が、僕の言った「iがない」を、「愛がない」と勘違いしたのだと気がつくまでには、五秒はかかった気がする。その後の先生の顔が、どんどん赤くなって、「見ないで」って。


 もともと、英作文の勉強も兼ねて、英語で日記を書いて宿題として提出していて、先生がその返事を英語で書いてくれる、文通みたいなことをしていたのだが、その事件の後、なおさら先生とよく話すようになった。男子生徒にはめちゃくちゃ大人気で、校長先生もメロメロだったな、笑。

 その先生とは、今風に言えば、定期的の「ママ活」だったのかもしれない。教師と生徒という、越えられない壁もあったし、先生が別の男の人と結婚することと、僕の卒業が重なって、その先生との、不思議な関係は、一年も経たないうちに、自然と終わった。


 おかげさまで、英語の成績は抜群に良かったし、英語が圧倒的に得意な分、時間が余って、他の科目もちょこちょこ勉強していたら、中学ん時は、なんやかんやで、常に学年一位だった。母は、それが気に入らないのか何なのか、その成績なのに、まだまだ勉強が足りないと文句は言うし。しかも、そのあげく、中学三年生の時に、母が借金を作りすぎて、いよいよお金がなくなって、公立でさえ、高校に入れるお金がなくなってしまった。進路指導の先生のアドバイスで、全寮制の、学費免除の特待生として高校に入学して、生活費はアルバイトで何とかすることになったが、そこからまた、大きく人生が変わることになるなんて、当時の僕には、想像すらできなかった。

僕は最近、一周回って心が浄化されてきたのか、『美味しいコーヒーの淹れ方』とか、ごく普通の、穏やかな恋愛小説が、妙に心に染みる。

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