72限目「真なる悪夢」
以前エンプーサという悪魔にかけられた呪法《悪夢》。対象を強制昏睡させ、その隙に悪夢を植え付け行動不能にする呪法である。
カーラ達は無事にあの魔の手から脱することができたが、俺が思うにエンプーサは、この呪法本来の用途で行使できていなかったような気がする。俺の介入でその機会を奪われたのか、元々知らなかったのかは不明だが。
エンプーサは対象を❝行動不能❞にすることに主眼を置いていた。勿論それも効果的ではある。
しかし本来の使い方は、悪夢を見せ精神を疲弊させることで精神を支配することに一番の恐ろしさがあると俺は思う。
極限の不安・恐怖の中では正常な思考・行動ができない。その中で甘言を弄し、ささやかな希望という偽りの光明を見せることで己の操り人形を生み出す。実に狡猾で悪辣な呪法である。
この呪法は他人の精神に寄生して行使するという❝精神干渉系❞魔法なので、効果範囲は❝宿主❞の精神世界である。
だが、《真なる悪夢》は真逆と言ってもいいかもしれない。そう、この呪法の効果範囲は❝魔法行使者❞の精神世界なのだ。
「俺の推測ではあるが、自分の意識を拡張し対象を取り込むいわば❝魂の牢獄❞。つまり❝宿主❞はお前だ。それが《真なる悪夢》という呪法の正体。
おそらく対象者に対して精神力低下のデバフを与える固有結界であり、この箱庭を❝外❞からいじって楽しんでいるのだろう?
道理で魔法の効きも落ちてるし、魔法球が攻撃を受けずに消失するわけだ。それはそうだ、お前の精神世界なんだからな」
《悪夢》が精神干渉系ならば、《真なる悪夢》は時空干渉系だったということだ。それに、より攻撃に特化した呪法だ。操る云々というよりも、まるで相手に散々恐怖を植え付け発狂させるのを楽しむことが目的のようなものだ。
しかもこれは夢ではない。対象は眠らされてはいないからだ。だからこそ、せめて悪夢であってくれと懇願することになるだろう。
❝覚めない悪夢❞ほど恐ろしいものはない。《真なる悪夢》とはよく言ったものである。
「フッフッ……、ハッハッハッ!!全く、素晴らしい!いやいや慧眼にもほどがある。
だが、それが分かったとてグレン君、君にはどうすることもできぬだろう?主導権は、いや全権限を私が握っているのだ。このまま確実な死を受け入れてもらうよ?」絶対の自信だな。そう思っても仕方ないことではある。
術師としても格が高い者の精神世界、この優位性はなかなか覆すのは難しい。ある意味何でもありの世界だからな。
あー困ったなー、これだとどーしよーもないなー。なんつって。
「《真なる悪夢》か。いかにも悪魔が使いそうな、お似合いとも言える呪法だ。《天秤》としては、面白いものを見せてもらったと言っておこう。記念にコレクションの一つに加えておいてやる」
「天秤?コレクション?貴様何を言っている!」
「ひとつ良い勉強になったって感謝の言葉を言ったんだよ!お礼に面白いものを見せてやろう。
確かこうだったな。『誘われし者に馨しき上質の悪夢を』」先程レプトが詠唱した文章を俺が復唱する。
「馬鹿な!そのようなことあるわけがない!!」
「《真なる悪夢》」
俺が詠唱を終えると、周囲の全てが輝く白に塗り替えられていく。小さな影すらない真の光明。その中で俺とレプトは対峙していた。
「貴様、僕の秘呪文を!」
「あぁ、上書きさせてもらった。悪魔にとってこの光景は耐え難い地獄だろう。しかし、それももう少しで終わる。安心しろ」俺の右手がレプトへ向けられる。
「やめろ!」レプトは恐怖の表情で、右手からメラメラと揺らぐ❝炎❞が、左手からパキパキと音を立て成長する❝氷❞が現れる。両手から放たれたそれは❝炎の龍❞と❝氷の獅子❞となって俺へと向かってくる。しかし、俺の支配する空間の中では形を維持できず崩壊していく。
「やめるわけにはいかない。俺も早く元の世界へ戻りたいんでね。
《聖域》!」レプトを中心に一際神々しく輝く魔法陣が現れる。
「ぐはっ!」究極退魔結界のダメージに、堪らず吐き出した血液も浄化され空に霧消していく。さすが最上位の悪魔である。一瞬で身体が消し飛ぶことはなかった。
「《惰天四公》たるこの僕が……。何たるザマだ……」レプトの身体に大小無数の穴が広がっていく。
「『元の世界』と言ったね?そうか……予言の❝異邦者❞とは君のことか。
ならば、勝負出来た事を光栄に思わねばならぬ……。魔王様の復活は……近い。精々束の間の勝利を味わうといい……」
惰天四公《惰眠》のレプトはそう言葉を言い残すと完全に消滅した。
「良かったじゃないか。これでお前も《惰眠》を貪れる。良い夢を、とか言ったら怒られるかな?」魔法を解除すると、俺は元の玉座の間に戻ってきた。
ゴゴゴゴゴ……と幻影城が崩壊の音を立て、柱や床、壁に至るまでビシッ、ビシッと物凄い速度でいくつもの亀裂が走る。レプトの魔力で構築されていたであろうこの城は、主なき今、城への魔力供給が断たれ、砂で作った城のごとく崩壊の一途をたどる。
レプトが先程まで座っていた玉座が、割れた床に飲み込まれるのを見届けると、《飛行》で城の外へと抜け出す。
幻影城はすでに7割ほど消失していた。消滅も時間の問題である。
「お前達はこんなことを繰り返して……。何がお前達悪魔をそんなに駆り立てるんだ?まぁ、今更そんなこと言ってもって話なんだが」消失していく城を見ながら思わず呟いてしまった。
さて、これで全てが片付いたはずだ。公王の目覚めを確認しなければ。
俺はサフィールへの帰還を急ぐことにした。




