62限目「豹変」
「私は!私は何のために!今まで!」突然エルダンが床を激しく叩きつける。その度に大理石の床が軋み、ひびが入っていく。すると、エルダンの身体から黒い靄が漏れ出てくる。
「いけない、皆様下がって!」俺がそう進言すると周囲の者が異常に気付き方々へと逃げていくが、そばを離れない者が一人。ウルベスであった。
「なぜです!ロベルト様、申し上げますがアルバート様には公王たる資格はありません!あなたこそ、次期公王となるべき方なのです!」ウルベスも第2王子派だったか。
「お前達が私を慕ってくれるのは嬉しい。だが民を犠牲にするような悪辣な企みが露見した今、仮にその気持ちがあったとて、喜んで次期公王の座に就く私と思うのか!
それにな。今皆の目に映る兄上は本当の兄上ではない。本当の兄上は実に聡明で国想いの、私も尊敬する次期後継者なのだ。人を見かけで判断してはならぬ」
「ぐっ……。馬鹿な!それでは最初から間違っていたとでもいうのか!認めぬ!認められぬ!
エルダン!ロベルト様の真意を直接伺った今、我々はそれに従おう。ロベルト様を、この国をこの一命をもって支えるのだ。お前と共に助けようではないか。
そのためには、アルバート様あなたには消えてもらう。エルダン❝力❞を解き放つのだ!」ロベルトへの忠義は真実に違いなかったはず。
だがやり方を間違えてしまっていたことに気が付けぬのだ。いや、認めることができないだけかもしれない。
「私は……。私は、公王となられたロベルト様の政によって豊かになった公国の未来を夢見ておりました……。私にとってそれが全てでした……。それが叶わぬ今、全てが虚しい夢となり果ててしまった……」エルダンは失意の底にいた。
「何を言う、エルダン!まだだ、アルバートがいなくなれば!」ウルベスを突き放したエルダンはよろめきながら、苦しみながら部屋の隅へと下がっていく。
エルダンから滲み出る黒い靄はより濃くなっていき、事態の悪化は避けられそうもなかった。
「エルダンは……?」ロベルトが微かな希望をもって俺に問うが、決意をもって頭を横に振る。
「皆さん下がってください。直に悪魔に変じます。殿下方は公王の寝室の結界の中にてお待ちを」パトリックがウルベスを部屋の外へ連れ出そうとするが、拒否される。
「グレン、王子達は僕が守るよ!行ってくる」おう!頼もしいことを言ってくれるじゃないか。
「分かった!お前がベストを尽くせば大丈夫だ。気張ってこい!」サムアップして送り出す。
パトリックが戻る頃には、謁見の間にいるのは俺とカーラ、そして魔に変じようとしているエルダンとそれを近くで見上げるウルベスのみとなった。
「あやつはどうなるのだ?」当然の質問だ。靄に包まれたエルダンはその姿を完全に消し、黒い塊となった。
「❝野心・失意・絶望❞いずれも悪魔の餌になるものばかり。負に反転した人間の精神をを喰らってこの世界に異形の姿で実体化するんですよ。我々はそれを《魔人化》と呼んでいます」
「グロロロロ……」
黒い塊は爆発的に膨張し、次第に人ではない何モノかに形を変えていく。その圧にパトリックとカーラは静かに剣を構えるのであった。
「ブハハハハ!久しぶりの現世だ。腹が減って叶わぬ!この場にいる者は全部喰ろうてやるぞ!」現れたのは3つの赤眼、両手に巨大な斧を持った半牛半人の姿をした悪魔、いや魔人エルダンであった。
「そうだエルダン!殺せ、皆処断してしま」唐突に切れた言葉。ウルベスは魔人エルダンに上半身を切り飛ばされ絶命していた。そして、そのまま魔人エルダンは受肉後初めての食事を始めるのだった。
――同時刻。都内某所にて。
「グァア~!!」一人の男が通りで突然大きな唸り声を上げる。
真っ赤に目を血走らせ涎をダラダラと流し、まるで餌を探す猛獣のように周囲を見渡しながら。
尋常ではないその様子に民衆はパニックになり散り散りになって逃げ惑う。しかし、その頃他の場所でも同様の異変が次々と発生していた。
――王城、謁見の間。
「伝令!な!これは!」謁見の間で化け物を目にしてしまい、一瞬たじろぐ兵士。
「構わん、続けよ!」
「はっ!現在都内各所にて暴徒が発生。警備隊で鎮圧を図っておりますが、対象が尋常じゃない様子でして」俺とパトリックは顔を見合わせる。
「ギルドと連携して第5部隊に加勢するように伝えよ!可能な限り聖武器を装備するように!」
「はっ!」
「伝令!主都西部の平原にて突如として巨大な城が出現、合わせて城より大量の悪魔と思しき大部隊が進軍中です!」
「「「!!」」」
***********
――幻影城・玉座の間。
玉座にはいつもの寝間着姿ではなく、城主として相応しい煌びやかな衣装に身を包む《惰眠》のレプトが鎮座し、傍らには普段通りの《辺境伯》エルガデルが控えていた。
「とうとう始まったねぇ~。楽しい❝お祭り❞になりそうだよね」
「この規模となりますと、かなり楽しめるかと」口に手を当て笑うエルガデル。
「いやほんと準備に時間かかっちゃったし。まぁ《怠惰》の系譜としては仕方ないけどさ。ほんと真面目だよねぇ~僕ったら」
人間を重大な罪へと導く七つの欲望、俗にいう《七大罪》。
《傲慢》《強欲》《嫉妬》《憤怒》《色欲》《暴食》《怠惰》の七つのことだが、その内の一つ《怠惰》のイメージと言えば、❝仕事をせず怠けている状態❞を指すのが共通認識だろう。しかし本来は❝休むべき時に休まず働き続けること❞を指す。
《怠惰》という甘い言葉に囚われた者が、何の心配もなく怠惰に過ごすためには、自分に与えられたどのような途方もない仕事も嬉々としてすべて終わらせる。常軌を逸した勤労者、それが《怠惰》の本質なのかもしれない。
だからだろうか。その《怠惰》を受け継ぐ悪魔達は、《怠惰》である故に決して怠惰であることを許さない。最高の結果を生み出すそのプロセスを重んじ、それが絶対の誇りと自信を形成する。
今、その誇りと自信をわが身にたっぷりと蓄えた悪魔がその大部隊を送り出す。
国盗りの未来を確実のものとするために。
「いやいや、これでやっと僕も安心して《惰眠》を貪れる」
「今日はまだ寝ちゃだめですよ?忙しいんですから。
さて、私はそろそろ自分の仕事に行かないと。レプト様、それではこの辺で」エルガデルは深々とお辞儀をする。
「君の仕事はとても大事だからね。頑張っておいで」ゆっくりと手を振ると、ふっとエルガデルは姿を消す。
「これでアンバール公国、いやアルべリオン大陸は僕のモノだ。抗うというなら存分にやってみ給え」幻影城の城主は勝利を確信し、高らかに笑うのであった。
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「悪魔の軍勢に関しては革新者の方々にお願いしましょう。それと城門の完全閉門と防備を」俺がすかさずアドバイスを口にする。
「了解した。今のを聞いたであろう。第3、第4部隊に各城門の守備を命じよ。第1部隊は王城の守備、第2部隊は第1部隊のフォロー、第6部隊以下は各区画のフォローだ!」
「はっ!」
「こっちはどうする?」魔人となったエルダンは食事が終わると、先程からカーラを標的に定め、お互いに隙を窺っていた。
「こちらは我々にお任せください。パトリック殿は革新者の方々へ、西部方面の悪魔部隊の掃討要請をお願いできますか?伝えて頂ければ了解して下さるはずです」
「分かった。気を付けるのだぞ!」そう言うと公王の寝室へと向かった。
「さぁ、エルダンもこんなことは望んでいないだろう。カーラ、引導を渡して楽にしてやれ!」
「お任せを!」俺はいつも通り《身体強化》《状態異常無効》のバフをかける。
「ありがとうございます!では、いざ尋常に、勝負!」カーラはそう言うと魔人エルダンへの攻撃を仕掛ける。




