その1(5)
これから話していくのは、僕の失態が招いた大事件である。と言っても、これは妄想の産物を現実世界に持ち込もうとした時点で逃れられぬ運命だったのかもしれない。現実と虚構の二つの境界線を曖昧にしておいて、何ら不自由なく生活できるという楽観論は机上の空論に過ぎなかった。これまでに話した出来事だけでもその片鱗は十分にあった。
人造人間にテルテという名前を与えたのがそもそもの発端だった。テルテが実体を持つ前には全く考えもしなかったが、僕以外の人にはテルテとてるての見分けがつかないらしいのだ。彼女や僕がいくら「テルテと言います」と訴えたところで「てるてと言います」としか聞こえないのだという。これがまずかった。
最初に軽く触れたように、テルテの由来はこの世界で現存する女性てるてからである。てるてはその美貌と聖人的な活躍が噂として世界中に広がっており、読み書きができる人ならまずその名を知らない人はいないと言っていい。さらに各地の貧しい人たちに施しをしているため顔を見たことがある人もそれなりにいる。
読者の中には、てるてとはどのような人物なのか知りたいという人もいるだろう。先にことわっておくと、僕自身も会ったことはあるが、ほとんど知らないというのが正直なところである。てるての体をモデルに利用できるくらいには観察したから、村の人の平均よりは詳しいかもしれないがその程度である。それだけでも僕は彼女の姿に惹かれた。あるいはそのくらいの接触が僕の妄想を活性化するにはちょうど良かったのだろう。
まだ名前だけなら揶揄われるくらいで、かの有名なてるて氏がこの小さな村にいて、それもニブイチのところで生活しているという馬鹿げた噂は鎮火した可能性はあったのかもしれない。しかし想像で補った部分を除いて、実際のてるてと寸分たがわないクオリティの体を目指して造ったのがテルテである。おかげで、一番出回っている彼女の肖像画は本人と完全に一致こそしないが特徴は掴んでいるために、その特徴をなぞっていくと、てるてにもテルテにもたどり着いてしまうのだった。噂は止めようがなかった。
妄想ばかりに気を取られてないで、テルテを造ることばかりに熱中しないで現実を直視していればよかったと言う人もいるだろう。妄想はそれ自体が直接役に立つわけではない。しかし僕の場合、妄想がなければ没頭することを思い出すことができたとは思えないのだ。意欲が壊滅的だった当時、僕にとってはそれだけが生きる苦しみを忘れ、幸せを嚙みしめることのできる唯一の手段だった。自分の前に理想の女が現れ、僕を無条件に受け入れ、一緒に支えあって生きる。そんなご都合主義全開のイメージが僕の精神の心臓部を担っていた。その心臓を止めまいとした僕の意志がテルテという形に結実した。
このとき、てるてではだめだった。彼女が既婚であると知ってしまったからである。無理やりてるてで結実させることも選択肢にはあったが、事あるごとに人妻の二文字を突き付けられるのは我慢ならなかった。心の中で生きている彼女からこの二文字を消去するには、テルテという別人である必要があった。
僕がテルテと二人川の畔にいた後から話を再開しよう。
あれから毎日の生活はテルテに振り回されっぱなしとなった。テルテは人間と同じように寝て起きる。食事はとらなくてもいい。僕が食事をとるときにテルテは僕からスプーンを奪って「あーん」と言って僕に口を開かせた。指示通り待っているとスプーンを口に運んでくれた。そのあと、食べかすの残るスプーンを今度はテルテ自身が口にした。本人曰く掃除とのことである。
このやり取りに飽きると、テルテは外に飛び出していくのが常であった。子供に紛れて遊ぶこともあれば、自然観察することもあったという。僕もたまには同行した。子供達は「テルテさん」と呼び、懐いていたようである。ネーテとルタの件があったので心配だったが、別に子供が嫌いなわけではないようでほっとした。