その49
コンクール会場まであともうちょっとだと聞かされる度に僕は胸中に殺意を溜め込んでいた。正確にはまだ着きそうにないのに、「少年」が戯言を放つからである。僕という容器の容積は決して無限ではなく、寿命と同じく有限なので、しばしば殺意が溢れてしまいそうになった。僕は「少年」に何度も拳を振るおうとしたが、あっさり倒された人形たちを思い出して、思いとどまっていた。
行き場のない視線は地下道の壁へ向かう。壁の無数の穴は小刻みに伸縮を繰り返しており、まるで呼吸をしているようである。穴の数だけ道はあるから、「少年」の油断の隙に逃げ出せば、あとは闇雲に穴をくぐり続けるだけで、「少年」から逃げ切れる気がした。しかし僕に道の情報をインプットし、誘導するプログラムを仕組んだ「少年」にそれを期待するのは無謀に尽きよう。「少年」が仮にこの通路に詳しくなくて逃げられようとも、今度は別の人形狩りに遭う懸念があった。
「少年」を殺そうにも、「少年」から逃げようにも、魔術士として強力な彼か彼以外に陥れられるに決まっている。死ぬことこそ人形だからないのかもしれないが、先の人形のように、この肉体をあの脇の中に閉じ込められることにはなるのだろう。意識はあるのに自由に動けない、ただひたすら至近距離にある人形のパーツを見つめるしかないというのは退屈を通り越して恐怖だと思う。
前触れなく「少年」は語り出した。かと思えばそうではなく、床下から聞こえている話し声だった。「少年」もそれが気になったのか歩くのをやめ、直立不動で眼球の高速運動を始めた。音源地を探っての行動だったのだろう、視線が右斜め下に定まると、床に体を倒し、耳をそばだてた。
聞こえてきたのは以下の話である。
『火打石で火起こしすることを取り立てて魔術だと言うことはないが、手から直接火を出すことがあれば、それは魔術だと称される。この差は一体何の差だというのか。セックスは妊娠を引き起こし、妊娠と出産は人形でも人造人間でもない人を製造する唯一の方法である。唯一性を持つために行為の神秘性は保証されているはずでありながら、この一連の行為はなぜ魔術という名を冠しえないのか?
こうした話題は最先端でも議論が発散し続けている。あるものが結論を出そうとも、他の者の同意を得ることが困難であるためだ。俺に言わせてもらえば、魔術とそれ以外の境界は不特定多数による再現性の有無ではないのかという仮説を立てている。それは同時に魔術が科学とは別物だという証拠でもある。魔術は人を選ぶが、科学は人を選ばないからだ。火打石での火起こしは、ある程度の手順が確立されている。妊娠にしても、その原理を知らない人間が大多数とはいえ、何をすれば子供を得るかは理解している。では、手から火を出す現象が魔術たりえるのは、方法が確立されていないからなのかというと、実は公にされていないだけで、一部の人間に知られている。知っている者は必要な手順を取りさえすれば、簡単に手から火を出すことができよう。だから、手から火を出す程度のことは人を選ぶ魔術とは言いがたい。それでありながら未だに魔術と称されている。となると、方法の隠蔽工作の結果か人々の惰性しか考えられない。知る者の誰もが口裏合わせをして、知らぬ人間に知らぬ顔をすることで自分たちの優位性を確保するのだ。未知を装い、人を恐怖という紐で縛りあげてしまう。自分の理解の及ばぬ現象に対しては阿呆はもとより、論理的で賢明な人間ですらスピリチュアルな物言いと解釈を迫られる。理解の及ぶ俺たちはこの優位性を資源とし、利益とすることで繁栄してきた。つまり魔術とは神秘の結晶ではなく、沈黙の結晶なのである。
さらに仮定が増えてしまうが、魔術という名前ですら、沈黙の産物ではないかと俺は睨んでいる。繰り返すが、知らない人間ならともかく、知っている俺たちからして大多数の魔術は方法論が言語化されているし、条件され揃えれば、何も知らぬ阿呆でも再現できる。魔術でありながら、人を大して選ばないのは矛盾している。俺は所属していた派閥に魔術という名を廃し、科学への参入を提案したが、返事と言えば鉄拳制裁と陰湿な嫌がらせだった。当時の俺は、科学の元に下るだけで自らの優位性は揺らぐはずはないと信じていたものだから、そんな身も蓋もない行動の、身も蓋もない本質に気づかなかった。俺は次に魔術という名への違和感から、名称を人造術や分魂術に変えることを進言したが、その返答は殺処分だった。当然だろう、俺の言葉と実践で有象無象の魔術の認識を変えることになれば、派閥はおろか、魔術士全体の優位性を神に返上してしまいかねない。それは集団自殺行為であり、許されるはずがない。黙っていれば畏敬の念を抱いてくれるカモに、どうぞナイフで切り裂いてくださいと告げるようなものだ。
それにしても俺を始末しようとしたときのファスの顔は怖かったなあ。普段の聖人ぶりはその顔から抽出できそうもなかった。だから化けの皮が剥がれたというよりは、鬼の面を被ったって感じがした。都合良く俺の記憶を消す魔術があれば、そんな気づかいはなかっただろうに。
……殺処分の話はこれくらいでよそう。それよりも人造術や分魂術という名称を考案した理由を話したい。
まずは人造術の方だ。こんな話がある。これも火を扱う魔術士の話だ。最初はマッチの火くらいに小さな火しか出せなかったが、練習とフィードバックを繰り返すうちに火の規模は増幅していった。点火する範囲も制御がきくようになって、水の周りを火で覆う器用な芸当もできるようになっていった。このまま魔術士は火を極めるかと思われた。
ところが火を制御できなくなった。前日まで平然こなしていた芸当が全くできないのだ。代わりに火を使おうとすると、火は自分と同じサイズの人型となって、魔術士の前に体育座りで座り込んだ。魔術士は予想から著しくかけ離れた現象にうろたえてしまう。
しかし、この魔術士は明るい性格だったから、時間の経過と共に開き直って犬をイメージして火を出そうとした。魔術士は、自分が火で何かを造形することができるようになったと勘違いしたのだ。しかし何を思い浮かべても現出するのは人型の火であり、逆に人をイメージして火を出そうとすると、今度は非常に曖昧な形の火が出現したという。
意図せず人型の火を何度も出すこととなった結果、人型の火はどこで学習したのか言葉を話すようになった。しかし、言葉を使う目的は専ら罵倒だった。これに魔術士は嘆いた。分かりにくいが、自分で自分を否定しているような辛さを味わったらしい。それでいて魔術を使おうとしていないときに、火が罵倒しようと行く先で待っていることもあったとか。火の繰り出す言葉の刃で、精神をすり減らして疲れた魔術士に、お前から燃やすものはもうないと火は言い、魔術士を蹴り倒した。火は意味もなく魔術士を足蹴にした。これではどちらが親でどちらが子かわかったものではない。魔術士が怒りに任せて説得を試みると、火は話を聞かずに魔術士の手首を掴んだ。熱いものに手を触れると反射的に引っ込めるように、魔術士は火の手を勢いよく振り払おうとしたが、手首が焦げて激痛が走るばかり。やがて火は身の色を青く変えて、まだあった、お前の体そのものが燃料となればと言って魔術士の返事を聞かず燃やし始めた。後に残ったのは穏やかな灰と骨。整った骨はなく、ガラスの破片のような細かなものばかりだったそうだ。一方の火はしばらくして燃え尽きて消えた。魔術とは人造人間作成法であり、魔術士はいずれも人形使いに他ならない。…………
俺が直接聞いた話はこれだけだが、魔術系の雑誌を漁ると、似たような話がごろごろと出てくるから、多分間違いないと思う。俺は話を信じるようになってから、魔術を使うのに躊躇うようになった。ほら、突然土が俺そっくりの形になってさ、俺を糾弾し始めたら嫌じゃん。俺にとっての魔術は、それまで口なしの相棒で、ひとりの時間を充実させる手段だったのにさ。言い方は変だけど、それまでぼんやりとしていた魔術という概念のイメージがさ、今じゃ四肢を生やして、目を鋭くして俺を監視しているような気がして、気まずいんだ。こんな話、知らなかったらよかったよ、もう。
そんな俺が魔術という存在への恐怖を克服しようとしてーーお前、単に現実逃避だろって言いたそうな顔をするなーー思いついた妄想がもう一つの候補、分魂術さ。ぶんこんじゅつ。俺が着目したのは、先の話の「自分で自分を否定しているような辛さ」のところだ。上司でも家族でも恋人でも神でもなく、自分というところが気になってな。そもそも魔術で作り出される人形に人格があるなら、その魂はどこからやってくるのか。最有力候補として魔術士自身の魂を考えた。だが魔術で発生させたものに魔術士から魂が移るのであれば、そのあとの魔術士は空蝉ということになるが、それでは辻褄が合わない。そこで、一人の魂は一つであるという暗黙の前提を変えることにした。具体的には一本の棒を折れば二本となるように、魂も単数から複数に分裂すると仮定したのだ。世の中には一つの体に複数人格が宿ることもあるらしいから、この仮定には自信があった。
(聞き手が、それなら幽霊が憑依するなんて話もあるし、霊を操る魔術もあるだろう、という反論をしたが、見事に無視された。聞き手になぜか親近感が湧いた)
仮説を基に、俺は検証を行うため、ある男と接触した(ここで聞き手、お前は魔術を使おうとしなかったのか、と言うも、やはり無視された)。男はある町内で脱毛サロンを経営していた。脱毛サロンは何かって?無駄な毛を取ってくれる施設だと思えばいい。とにかくこの脱毛という名の魔術を披露してもらった。俺の鼻毛、脇毛、胸毛、尻毛、陰毛と洗いざらい抜いてもらったのだが、剃刀で剃るのとは別物なんだ。男は剃っているふりをしているだけで、その実は俺の毛に魂を宿らせ、俺の肉体から毛を独立させていることが、見て取るようにわかった。俺は男に、実は抜けた毛を集める趣味がありまして……と切り出し、毛を回収しようとした。事情を全く知らない男は怪訝な顔をして、それはルールでできませんとか、あれこれ言い出した。これでもファスに殺されかけた経験もあるから、俺はそこで「ご安心を、単なる自己満足です」と言っておいた。こう言っておけば、相手も深追いしないだろうし、迷惑もかけないと分かる。……まあ、だめな文句だったな。こんなところを歩いているのも、男の手下に尾行されて疲れたからだし。
こうして回収した毛を机に並べた。その一本一本は自発的に動いた。あの男の魂が宿っていると思い、男との共通点を探そうとした。しかし毛の動きなんて、せいぜい蛇やイモムシのような運動しかできないのだから、共通点なんか観察したところで分かるわけがないんだな。それに全体を俯瞰していると群れのようで気持ち悪い。言葉を話せれば何とかなるのになと叶いもしない願望を口走り、その日は疲れて寝た。夢の中で俺は毛と熱く語り合ったもんだ。
すると翌日、本当に毛が喋り出したんだ。あの感動は忘れられない。あの体験ができただけでも毛を回収した甲斐があったってもんだ。もっとも、感動したのはそこまでで、そこからは地獄のような体験だったがな。
お前には残念だろうが、その地獄を具体的には紹介しない。文字通り、「自分で自分を否定しているような辛さ」を体験した。敢えて言い換えるなら、自分の局部を自分で殴りつける行為とでも言っておく。その地獄を潜り抜けて、俺は魂は魔術をもって分裂するのだと確信したのさ』
僕は脱毛の魔術士の正体はメルメではないかと思い巡らせた。脱毛をはじめ、実体験済みである。
「少年」は声を無理やり低くして呟いた。
「妄想からの出発にしてはいい線を通している。この者が言うように、知るということは特権を手にするということだ。しかし特権は多くが当然のようにもてば特権でなくなる。特権が特権であるうちに仕留めたい輩だな」
言い終わる前に「少年」は例の左腕だけ動く死体を走らせた。語り手は間も無く……




