その3(45)
リポーターA(以下、A) <どこの馬の骨かも知れない少年を尾行した結果、開けた場所についたニブイチ氏。そこには女が立っていました>
リポーターB(以下、B) <その女と少年の関係が気になるところですね>
A<いやあの、今のあなたまで頭を掻きむしることはないでしょうに>
そうもいかない。記憶から引っ張ってきた内容が、時間を超越して僕を苦しめるものだったからね。
B<大袈裟でしょう。いちいち付き合っていられませんよ>
他人からすれば明日には忘れてしまうような些細なことも、ある人には呪いのように何年も刻まれることなんてよくあることだよ。
衝動が治まり、手を頭から離した。崖先の女は背を向けたままだったが、少年は女に馴れ馴れしく声をかけていた。
僕は彼らを、少し後ろの茂みから覗いている。距離にして二十メートルあるかないか。しかし覗いているという高揚感はなかった。むしろ、彼らに尾行は気づかれている確信があった。
少年は逃げている途中、息を切らしながらも、こまめに振り向いて、追いかける僕がどこにいるか把握しようと努めていた。僕は懸命に食らいつき、少年に存在を見せつけた。目と鼻の先に見える敵ほど、対処を迫られるものもない。
それから僕が大きく引き離されることはなかったはずだ。少年は足で逃げ切るのを諦めたのか、やがて僕の姿を確認しようとしなくなった。その時点では何も思わなかった。
今の少年は目と鼻の先に敵がいないかのように、女の前でくつろいでいるように見えた。少年が本当に気づかれていないとは思わなかった。だから少年の態度に違和感を感じた。敵だと思われていないのか。単に忘れっぽいのか。
僕の目論みは、糞魚Xモドキまみれのバケツを掴ませた時点で段取りを終えている。あとは少年がXモドキを口にすればいいのであって、僕の積極的な介入はもうない。僕が去ろうが去るまいが少年に無害であることまで読んだ上でこのひと芝居とすれば、彼は大したものだと思う。
あるいは少年はこちらから来るのを待っているだろうか。理由は知れないが少年の方から待っているとすれば、僕は何かを期待されていることになる。例えば魔術士としての腕を買われて、ある仕事に協力してほしい、報酬は安くないからという勧誘かもしれない。少年に加えて女がいるからそういう発想もやぶさかではない。
隠し撮りされた映像のような女と少年の光景に僕はひとまず声をかけようと決意して、喉を震わせようとするのだが、疲れからか音にならなかった。女は依然としてこちらに背を向けて黙っている。少年はときどき口を動かしながら荷づくりをしていた。口を動かしながらというのは、声を出しているのかここからでは分からなかったからである。
僕から彼らとの距離はそれほどなく、他に声をかき消すほどの音がそこになかったので(静かな場所だと思っていた)、彼らが小声で話していたのかもしれない。
そうやって彼らを観察しながら、僕は首を回した。このとき咳をした、かに思われた。空気を体内から押し出す感触はいつも通りあったのに対して、同時に発生するはずのあの鈍い音はなかった。彼らは二人とも反応しなかった。だから僕は咳をしていないと思ったのだが、そのあとくしゃみをしたときに汚らしく唾を飛ばしていながら、あの吐き出すハクションが鳴らなかったのを確認して、僕は音が出せなくなっていることを知った。
しかしこのくしゃみをしても彼らは微々たる反応すらしなかった。確かめようがないものの、彼らも聞こえていない可能性がある。僕があちらに危害を加えるつもりがない以上、別に聞こえたところで仕方のない音だから聞こえなくていいのだが、どうにかして聞こえないか考えることにした。
手元に転がっている石をあちらに向かって投げてみた。Xモドキいっぱいのバケツに当ててみようという魂胆だった。結果、勢い余って石を少年の頭にぶつけてしまった。危害を加えたはずだが、少年はまるで石をぶつけられていないかのように行動し、Xモドキを焼くためであろう火を焚いた。対応するように、ぶつけた場所に傷は見えなかった。
そんな態度を取られたものだから、僕は自分が幽霊にでもなったのかという荒唐無稽な仮説に夢中になった。足元をみて一応脚は二本とも付いていることは分かったが、この場に実在していないような不安が立ち込めた。
少年はXモドキを焼き始めていた。それを食べて後悔するリアクション見たさにここに来たことを思い出した。対して今素直に思ったのは、どうしてあんな不味いものを少年は意気揚々として料理しているのかという疑問だった。足元を見ると、太腿を雑草が貫通しているのだった。それでいて全く痛くも痒くもない。
そこでふと気づいた。あのXモドキが少年の手に触れているということは、少なくとも少年が僕からバケツを奪うまで、僕は確実に存在していたということに他ならない。だとすると、僕の実体はバケツと共に少年に奪われてしまったという可能性があるわけだ。しかし少年が僕とは次元の違うレベルの魔術を行使できるのを認めねばならなくなる。やはり別の理由での結果であってほしかった。
少年はそれほどの魔術を備えているとは思えないほどの無警戒で十分に焼けたXモドキを口にした(もっともいくら焼いてもゲロマズはゲロマズのままである)。期待は裏切られなかった。次の瞬間には悶絶ショーが開幕した。止まらない咳に、止まらない後悔。もし実体が僕にちゃんとあれば、僕は場所を気にせず腹を抱えて笑ったことだろう。だが僕は僕のことで余裕がなく、真顔で見ることしかできなかった。仕返しに満足する機会までも僕は奪われていたのだ。
少年の劇的な様子にも反して、女は仁王立ちでこちらに背を向けたままだった。日は沈みゆき、闇をその身に纏うかのようだった。テルテを思い出させたその肉体は、まだその正面を僕から隠したままである。女の素顔を見てみたいという欲求が芽吹くのを感じる。鳥肌が一時間止まらないような未知の真理がそこにあるような気がするのだ。どうすれば見えるのか、実体がないから崖から落ちずに浮遊できるか、僕が現状の分析を始めるのは直後のことだった。
実体がないからか僕には疲労が存在しなかった。
A<つまりニブイチさんはこの時点で死んでいるということですか。でもこうやって書いているということは……もとに戻れたわけですね>
B<やめなよ、ネタバレだろ。それにしても体毛が勝手に動いたと思えば、今度は全身ですか>
もとに戻れはしたが、彼らには振り回されたよ。コミュニケーションがとれないから大変だった。次回はその話をするよ。




