その1(43)
水が水に飛び込む音が川辺のあたり全体に覆い響き、その中で小鳥のさえずりが弱々しく主張している。その音と音が共振することで空間に実感を与えている。川の付近は木がそれなりに生い茂り、それなりに差す木漏れ日により川は光沢を着飾っている。
リポーターA(以下、A) <おいニブイチ!ただでさえ遅いのに、何着飾って書いてやがるんだ!赤裸々に書けよ、全裸になるみたいにな>
そうは言ったって、この話はついこの間のことなんだよ。
リポーターB(以下、B) <言い訳どころか会話が成立していない……。ねえニブイチさん、直前の"犬"に引っ張られている場面から書けるでしょう。今書いている場面は全然違うじゃないですか>
いやいや、あんなのつまらない話だよ。いつの間にか僕一人森の中置き去りにされていた、としか書きようがない。
A<つまらないかどうかは、あんたの決めることじゃないだろ。書けよ>
必要に迫られるときが来るから、そこで告白するよ。それまで話をまとめておくから、しばらくは置き去りにされた後の話をさせてくれ。
B<……だそうです。ニブイチに代わり、話が飛ぶことをお詫び申し上げます>
僕は川の水面に顔を覗かせた。反射して映る自分の顔目がけて唾を吐いたあと、今日の食事となる魚が流れてくるのを待ち始めた。僕から半径一メートル以内の獲物は、見つけ次第掴んでバケツに放り込むことになっている。
このとき釣り竿のような道具は使用しない。ある魔術を利用するから使う必要がないのだ。射程圏内の獲物に対して魔術を作用させると、川を泳いでいる獲物は突如空中に瞬間移動し、その腹部は僕の手に握られて圧迫され、拘束されてしまう。その手が離されるときには、狭いバケツの中を虚しく泳ぐ選択肢しか魚には残ってない。
……誰かに見られているような心持ちで今日一匹目の魚を捕えたが、見るとゲロマズの種だった。見た目がたまに釣れるXに似ているからXモドキと勝手に読んでいる。その独特の臭みは凄まじく、間違って咀嚼しようものなら、三日間は口の中が腐卵臭で充満すること間違いなし。
そんなときに夢を見てはならない。ベッドに縛り付けられ、左右に立っている三ヶ月は歯を磨いていないであろう汚らしい歯の巨漢二人に、交互に息を顔に吹きかけられる悪夢しか見ることはできないからだ。
この川では希少なXと違い、その気になれば一日に百匹は獲れる。Xと思って釣れば大体はコイツであり、浅はかな期待をしていればすぐさま現実に引き戻してくれるわけだ。
僕の魔術ではXモドキをはじくセンサーを持ち合わせていないから、いつも目視と悪臭で確認している。
僕がそうやって毎日を凌いでいると、たまには人がやってくる。この日は一人の少年が来た。僕はXモドキを岩に叩きつけたのち、魚獲りを再開していた。少年は何の抵抗も恐怖心も持ち合わせていないのか、僕へ遠慮なく近づいてきた。僕は魚の相手に手一杯で人の相手をする気がなかった。だから少年の接近に気づくやそちらに振り向いて、怪訝な顔をして、あっちに行けという意味を込めて睨みつけた。
少年にはこの警告を警告と受け取らなかった。それどころか、少年は口を横いっぱいに伸ばして笑みを作り、笑みが消えたかと思えば、そこから眉間に皺を寄せ、僕を睨み返した。少年なりに僕の真似をしたのであろう。
少年はますます僕に近づいてくる。僕は視線こそ水中に向けていたが、何も発見することはできなかった。いや、発見しようとなんかしていなかった。少年が次何をしてくるのか気が気でなかった。
「魚とって」
少年はぶっきらぼうに言った。僕の半分くらいの身長であるようだった。
「一匹でいいのか」と聞くと「じゃあ五匹」と返ってきた。聞かなければ一匹で済んだのかもしれない。
ちょっと待ってろと僕は魔術を使う構えをとった。五分くらい静止して、集中力を高めるのだが、その途中で少年に喚き立てられた。何のつもりなのか分からないので僕は困惑して、
「邪魔したら捕まられないじゃないか」
と非難すると、少年はますます苛立ちをあらわにし、声を荒げた。さらには水面を叩き出すものだから、波紋が広がり、魚は射程から離れていった。これでは話にならないので僕は少年を追い払うことにした。もう会うことはないと思っていたので、かなり暴力的で強引な方法をとったと言うのに留めておく。
翌日は少年の応酬だった。
変わらず僕は魔術を使って魚を取っていたのだが、途中になって少年がやってきて川の中へ入った。比較的浅く流れが緩やかなので、溺れる心配はあまりない。その細い枝のような脚が移動するたびに水と音が跳ねた。一人川遊びでもするつもりなのかと最初は考えたが、それなら場所を昨日「騙し、脅した」僕の近くにするとは思えない。
しばらくそんな考えに耽っていたが、妄想が行き詰まると退屈になったので、仕方なく魚獲りを再開した。水面を睨んでいると横から水を浴びせられた。
子供のすることだからとそこまで深く考えなかった。ただこのまま川の中に居座られると邪魔なので、もっと離れた場所で遊べと注意した。
聞こえただろうか、伝わっただろうか、少年は雑に笑うと僕に背を向けた。これで終わらなかった。また水をかけられた。顔を向けると少年は遠くまで行っていなかった。むしろ水をかけやすく、僕の邪魔のしやすい場所に移動していたのだ。その行動は悪意に満ちていると解釈せざるをえなかった。
流石に腹を立てた僕は魚が入っていることも忘れてバケツに水を汲み、逃げ出さなかった魚ごと少年に投げつけた。少年の頭から下半身にかけて魚が水とともに流れて落ちていき、ツヤを見せつけながら川へと戻っていくのだった。
一部始終で投げたバケツがその頭を覆うまで、少年は瞬きひとつせず僕を見つめていた。僕は子供らしい激情を期待していたために、少年が暴れ出すのを待った。しかし動かない。
僕から何かしないと動けない魔術でもかけられているのだろうか。僕にそんな魔術は使えない。つまり少年の意思がこの沈黙の正体としか考えられないわけで、僕は余計にイラついた。
沈黙ののち、少年は仮面のように顔を隠すバケツを持ち上げ、口だけが外に晒されたところでバケツの動きを止めた。露わになった口は笑っていた。
僕はゾッとして背骨を軸に動けなくなった気がした。目は口よりものを語るらしいが、それは口が無口であることを意味するのではないだろう。相手の目に重点を置く必要がないため、口を中心に世界はぼやけていく。その口の中に吸い込まれそうな不快な感覚が僕を満たした。
同時にバケツの縁から水滴は規則的に落ちている。目の逃げ場に気づいた僕はそこに視点を移した。その動きが見えていたはずがないのに、僕が目を逃がした直後に少年はバケツを投げ捨て、ゆっくりと去っていった。バケツは岩に衝突して恫喝するようなキレのある音を立てた。
僕はバケツとその場に取り残された。しばらくして流されずにいるバケツを拾おうとして、拾ったつもりになったまま、なかなか拾えなかった。




