その3
「時間潰しに、おれと腕相撲でもしませんか」
テーブル越しにネーテが提案してきた。先ほど彼の悪人顔を見たばかりである。間違いない、この唐突な提案には何か裏がある。
所詮は子供のすることだと信じたい。こちらは彼らのために頼まれてこそいないが調べごとをやっているのだ。そんな気前のいい?大人へのいたずらは些細なものにしてほしい。それなら喜んで騙されよう。だが、大人顔負けの本格的なものをくらおうものなら、どんな顔して村を歩けばいいのか分からなくなってしまうから勘弁願いたい。僕にはテルテを見せびらかして自慢げに外を歩くという重大なプランがあるのだ。ちょっと翳りが見えてきてはいるが。
「それよりも先に金貨の使い道について相談させてもらおうじゃないか」
平然を装ってこう言ったが、ネーテもルタもこの発言に応答しなかった。代わりにルタから、
「おじさん、腕相撲弱いの?大して時間もかかりませんししましょうよ」
と煽られた。
「そんなに腕相撲が好きなのか」
「腕と腕で語り合いましょう。楽しいですよ」
この調子でいつまでも問答を繰り返すのはうんざりだったので、しぶしぶ自分の左腕を出した。ところで腕と腕で語り合うとは何なのか。
ネーテの方からも腕が差し出され、互いの手が互いの手を握りしめた。ルタが二人の間に回り込み、組まれた手を彼の手が包み込んだ。
「よーい、スタート!」
ルタの手から解き放たれ、僕とネーテの左腕が衝突した。まず仕掛けてきたのはネーテの方でスタートしてすぐ勢いで押し込み、僕は手首とテーブルの距離一センチのところまで猛攻を許してしまった。始まって間もないというのに、僕の左腕は震えだし、今にも白旗を揚げんと言わんばかりであった。僕はウッとかケッとか音を漏らしながら耐えようとした。脚にも力が入り、気がつけば全身を精力的に活動させていた。子供相手に全力を出そうとしていたのである。
大人気ない状態でやっと互角というのがなんだが苛立たしいものの、少しずつ押し返し、なんとかスタート時の位置まで手を戻すことに成功した。
この時点でもう、ネーテは力尽きたのか、最初ほどの出力はなく、時間の経過とともに減衰し、僕の方はある程度力をセーブした状態でそのまま押し切って勝ってしまった。
「悔しいな……今度は右手でやりましょうよ。実は右手の方が自身あるんです」
いかにも言い訳がましいが、僕は勝ったことで気分が上向きだったので了承した。今度は難所を作ることなくネーテの手の甲をテーブルに叩きつけた。
「やっぱりおれじゃないとな」
そのままのノリで今度はルタの左腕との対戦に入った。
この時だった。僕は確かに何かで腹を触られた気がした。ルタの力に押されながらも隙を見て彼の顔を覗く。いやペンキでベタ塗りしたように真っ赤な顔をしているのだからルタは考えにくい。そこでネーテがしていると仮定して、次の右腕に臨むことにした。
流石に疑われていると勘づかれたわけではないようで、次の右腕でもやはり同じ感覚があった。何かをされている。確認すべく、上半身を使って腕を倒す風を装いながら視界にネーテが入るようにした。ネーテは僕の顔を見て平静を装っていたが、それにしては似つかない鋭い目をしていたのだった。
腕相撲自体はそのまま僕の勝利に終わった。
「いやあ、参りました。細い体型だからいけると思ったんだけどなあ」
とルタが笑いながら抜かしたが、生憎僕は太り気味である。もう少し相手を見て言葉を選んだほうがいい。おかげで僕は勝ち誇る気もなくし、さて何をされたのかと益々気になっていた。対して、子供二人は笑いを堪えているようにしか見えなかった。これは僕が"負けた"ということなのだろう。
「ちょっと小便してきます」
ルタが軽く腹を抱えるようにしてテーブルを後にした。
盗まれたか?大層なものは持ち合わせていなかったが、全くないわけでもない。これからそれを売りにいってお金にしようという算段なのだろう。それならこちらにも逆転の術がある。僕は一応魔術士である。使える数少ない術の一つに盗む術がある。と言っても、半径一メートルくらいにある最大一キロのものが限界という制約付きではあるが、お金ぐらいの重量なら問題あるまい。もし、一キロを超える高額で売り捌いたのなら、そのテクニックに免じて制約の超過分はくれてやろう……。
売るのに手間をかけているのか、先に帰って来たのはテルテだった。
「これニブイチさんのでしょ。ニブイチさんの匂いがしたんだ」と僕が持参した袋を渡してくれた。そんなに匂いがするのかと思って嗅いでみたのだがさっぱり分からなかった。テルテは犬以上に嗅覚に優れているのかもしれない。
「ちなみにどこで拾ったの」
「ルタが持ってたから分捕った」
とのことだった。ガキども盗んだだろと言ってるも同然だったが、ネーテをからかおうと、
「あれほんとだ、いつなくしたんだろう」
と三文芝居をしてやった。ネーテの顔は筋肉が麻痺してしまったように硬直していた。さぞかし気まずかろう。大人とは怖いのだ。
「変だなあ」と言ったと思うが、その声の方がよっぽど変だった。
ルタが戻っていなかったが、そのままテルテが薬の結果について話し出した。いつになく抑揚のないの声だった。
「薬じゃないって、毒だってさ。飲ませちゃいけないんだってね」