その7(29)
僕は手の上に積もっていた大量の毛を眺めた。メルメのしょうもない魔術のために、僕の毛穴から追い出された気の毒な毛たちだった。彼らは無心に僕の口の中に入りたがっていたが、消化液で形を失い、別の姿に変身したかったのだろうか。
テルテの睨みが毛たちによって何の意味を持っていたのかは知らない。それ以来、動けないわけではないだろうが、僕の毛は一本として動きそうな気配がなかった。それでもしょうもない魔術は、依然として僕の頭から毛を連れ出そうとしている気がする。
メルメは既にこの場にはいなかった。好き放題嫌がらせをした挙句、逃げた。結局彼から何も聞き出せなかったのは大きな損失だろう。手探りではどうしても効率が悪い。
「今から探すんでしょ、屋敷への入り方を」
テルテはそう言った。僕は返事代わりに曖昧に頷く。
本音を言えば、屋敷関連の前に魔術で抜け落ちた髪の毛をいくらか頭に戻しておきたかった。手に溜まったおびただしい毛の数を見ると、今の自分の身なりが不安で仕方がないのだ。人間は外見だけで全てが決まるわけではないが、知らない相手を判断する上での最初の材料はうわさと外見なのだから見過ごせるわけでもない。
メルメの真似をして、僕の方から魔術を行使し、髪の毛を頭皮に戻そうかと一度は考えた。そこで試しに一本に魂を撃ち込んだのだが、撃ち込んだのがよりにもよって髪の毛ではなく脇毛だった。毛のカーブの違和感に気づき、慌てて止めようとしたが止められず、脇毛は頭皮の毛穴を一つ我が物顔で占領してしまった。
「お前脇毛じゃないか。お門違いもいいところだよ。さっさとその毛穴から出て、脇に戻るなり、外をぶらつくなりしたまえ」
自分の毛に対してなので、強気に出た。対して脇毛は、
「お門違いはどちらかな?抜けた毛が元の毛穴に戻らなければならない道理はないだろう」
もはや僕に従う必要がないのか、こちらもこちらで強気である。だが僕を中心とする半径一メートルの物体を移動させる魔術がこちらにはあるから、あちらに勝機などなかったが。
風が吹いて、いくつかの毛は呆気なく飛ばされていった。首が突然痒くなり、掻いてみるとその原因は髪の毛だった。
僕はテルテに聞いた。
「どうだい、僕の髪の様子は?みすぼらしく」
「君、そんなことはあとでいいだろう。私には君の髪型を気にするような趣はない。見るからに十人いれば九人は二度見してしまうような陳腐で貧相なヘアスタイルだが、カツラをつければいくらでも誤魔化せる。誤魔化せないのは二人の無事の方だ」
と、まともに取り合ってくれない。いや、テルテの言う通りだろう。僕がどうかしている。
仮に屋敷に入れて二人に合流できたとして、このままだと二人から頭皮についてからかわれるのは目に見えている。特に詩人には馬鹿にされたくない。ただし、僕がからかわれるには、二人の安全が前提であることも忘れてはならない。僕、テルテ、スートを外に締め出した屋敷の人間の冷酷さが殺意と結びつけば、二人はただでは済まないだろう。今広がっている暗闇から、次の夕暮れに切り替わるまで、外で大人しく待っているわけにはいかない。
……そう分かっていながら、僕は取り憑かれたように毛に関心が向いている……毛の問題がすぐに決着が着くと仮定しているわけでもないのにだ……陰毛特有の複雑なカーブに心地よさを感じる……今まで毛についてここまで考えたことはないだけに、自分がよく分からない……こういうときの自分はテルテのように二人を心配するのが常だった……まるで自分が自分でないみたいに、毛に向かって突き動かされている……。
薄明かりで地面が何やらもぞもぞしているので目をやると、僕から抜け落ちた毛がミミズあるいはミルワームのように、全身をうねらせながら前進している。それもあちらこちらではなく、どの毛も同じ方向に向かっている。突如左薬指が圧迫された。見ると髪の毛が一本蝶々結びになっている。一方で掌にいた毛はほとんどいなくなっていた。
『こちら陰毛1、潜入にあたり、周辺に障害なし。用意が整い次第、一斉に屋敷に潜入する』
左薬指からこんな発信が聞こえてきた。僕らの知らないうちに、毛たちは自ら屋敷に入ろうとしているようだ。僕の右手に続いて毛までもが屋敷に向かっている。屋敷に向かう理由はなんだろう?
「右手が屋敷の壁で力尽きていました。毛たちも屋敷に入ろうと尽力しているのではないですか」
僕が何かを言う前に、スートが僕に語りかけた。
「スート、僕はどうしたらいいと思う」
「どういう結果がお望みですか?」
特別揚げ足取りな質問でもないと思うが、僕は返事に二の足を踏んだ。自分でも驚くほど、求めている結果が分からなかった。返事の作れない自分に苛立ちながら、左薬指に結ばれた毛を指でいじった。
『こちら、脇毛1、屋敷内への潜入に成功。これからサカと詩人の捜索を行う。陰毛1らは、屋敷の人間の位置を特定せよ』
毛たちはサカと詩人を助けようとしている。どうやら毛なら隙間から屋敷に入り込めるらしい。僕の毛への関心と二人の救出が偶然にも繋がった。毛を使えば、二人を助けられるのではないか。
『そしてニブイチよ、一応の指揮官として我らに通達することはないか?』
突然言葉を求められ、僕は目の前にいない相手に対してはにかんだ。




