その2
思い描いていたテルテとの二人っきりの時間は、彼女の有り余る体力のためにお預けとなってしまった。僕は自室に一人ポツンと立ち尽くしていた。喋るものがいないからテルテ完成前と同じく静寂に包まれていた。先程までが夢であったかのような気分になった。
テルテが座っていた椅子に腰かけ、ぼんやり部屋を見渡した。砂が床の窪みという窪みに入り込んでいる。人差し指で窪みをなぞると、指の腹に砂の粒が付着した。斑点模様のようだった。この砂が集まってテルテの体を構成している。もちろん自分で考えてやったことなので理論的には分っているのだが、砂が流動せずにある形を固定し、さらに自発的に行動していることは改めて不思議に思われた。
乾いた喉を潤した後、外に出かけた。とりあえず買い出しに行かなければならないが、その前にテルテの様子を確認したくて身体がうずうずしていた。妙なことに巻き込まれて僕の元に帰ってこなかったら、後悔してもしきれない。だが、この頃はテルテの実験で不要不急の外出はほぼしなかったので、辛抱強く歩けるほど脚力はないだろうし、行きつけの市場以外の地図は頭に入っていない。身体が欲求に追いつけないことは明らかである。
そうは分っても足は止まらなかった。何も考えず馴染みのない方向へためらわず進んでいた。根拠のある行動では決してなかったのだが、足取りを掌握していたかのようにすぐさまテルテを発見した。そこには彼女のほかに十歳くらいの少年が二人いた。二人向き合って何か言い合いをしているように見えた。その間にテルテは立っていた。この三人のうち、我先にと聞こえてきたのはテルテの声だった。
「ほう、若いもんで喧嘩か。いいねえ、さあさあ思う存分おっぱじめなさい。遠慮しちゃいけないよ。思ったことをためらわずズバッと言っちゃうんだ。この場では黙ってて、陰でぐちぐちと言うなんてのは見ていて不快だからね」
「うるさいよ、おばちゃん。ほっといてよ。そもそも喧嘩じゃないし」
「威勢がいいねえ」と言ったところで僕に気が付いた。「ニブイチさん、来ましたか」
「たまたま見かけただけさ」
「この二人はね、金貨一枚をめぐって喧嘩しているんです」
「どちらが自分のものかってこと?」
「ではなくて、何に使うかで」
「それで君に意見が求められたということ?」
「口にしなかっただけで、内心助言を求めていたと思う」
どうやら、呼ばれてもないのにテルテは乱入したらしい。僕はあまり他人事に関わりたくないのだが、テルテは逆に知りたくて仕方がないのだろうか。
僕は一方の少年に目線に合わせるようにしゃがんだ。
「お前ら友達なんだろ。そっちの目の細い少年よ、金貨で何がしたいんだ」
「兄弟だ。おれはネーテでそいつはルタだ」少年の一人が答え、「この金貨を病気の母ちゃんの薬代の足しにするんだ」
「ネーテがそうならルタはどうなんだ」
「おれはご馳走が食いてえんだ。最近碌な飯にありつけてねえからな」
「飯なら食えてるじゃないか」ネーテはルタの襟首を掴みかかり、「母ちゃんは今瀬戸際なんだぞ。少しぐらい我慢しろ」
「いやだよ、腹が減っておかしくなりそうなんだ」
僕はそこに割って入った。
「よしよし、いろいろ確認させてくれ。腹が減ったはともかく、薬代の方だな。薬はどれくらいかかるのかな」
「銀貨五枚で一日分」
「じゃあ二日分になるわけだ。高級な薬だな」
そうしてネーテから話を聞いていくと、どうやらファスという医者がかかりつけであるとのこと、薬を扱っているのはファスだけだから他は頼れないとのことだった。そしてネーテはその薬を見せてくれた。
「テルテ」薬の正体を探ってくれないかと言い添えるまでもなく、
「よしきた、行ってくる」テルテは薬を持って市場の賑やかな方へ駆けていった。
「何しに行ったの、まさかあの薬を売りに行ったんじゃないよね」
「違う。あれが安全か確認しに行ったんだ」
「嘘だったら、言いつけるからな」
「騙すだけなら僕も一緒に行けばいい。行かなかったってことはそういうことだ」
「そんなに待てねえよ。食いもんくれよ」
「僕だって買い物の前だから手持ちはない。まあひとまずあそこのテーブルでくつろごうじゃないか」
僕は声を張り上げて強引に二人をテーブルへ誘導した。僕が先頭を進む中、二人は何か相談をしながらついてきていた。その一瞬、二人合わせてしたり顔で笑ったのを僕は見逃さなかった。